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ヨーガ修行の壁を教示する必要性

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多くの人々がヨーガに興味を示し取り組むものの、闇に葬られている事実があります。

それは、ヨーガ修行にまつわる壁、障害に対処できず、悩み苦しんでいる人々が後を絶たないということです。


ヨーガは、軽々しくやれるものではない。
その様に言う師の存在は、現代社会の中ではみられなくなりました。

代わりに、入会金と引き換えに始められ、未経験でもヨガインストラクターになって人々に教えられる時代になりました。

この様に言われたら、現代人は手厳しさを感じて拒否反応を示すかもしれません。

「じゃあいいよ、や~めた」となるでしょう?



旅の安全ガイドがあるように、ヨーガにもなければならないものです。

本来はあります。

ですが、大衆的なヨガの中には示されていません。

人々が気にいる良い面ばかりです。
ですが、その良い面は本来のヨーガとはまったく関係がなかったりします。
一般的な理解には、これを見抜く眼力がそなわっていません。
ですから、夢と憧れだけを持って気軽に入っていきます。



なぜ旅の安全ガイドがなくてはならないのでしょう?

ヨーガで行く旅は、安全な国ではないのです。

あなたを悩ますその心。

ヨーガの旅は、自分の心の中です。

ヨーガ・スートラを読んで下さると、この意味は十分にわかって頂けると思います。



心の旅は、キレイな観光地巡りではありません。

写真を撮っても、曇ってしまったり濁って写ります。
本来は澄んだ国です。
人間が、濁り曇らせてしまったのです。


この旅は長い道のりになります。
相応の忍耐と努力が必要です。

途中には予期せぬハプニングもたくさんあります。
根気と勇気、謙虚さをそなえてご出発下さい。
それがないうちは、師に見抜かれヨーガ修行は始まりません。
師はあなたに意地悪をしているのでも、美味しいものを取り上げているのでもないのです。
危険を回避して下さってるのです。
あなたにヨーガの壁を乗り越える力が、まだそなわっていないのを見抜いているからです。
本来はそうだったのです。


私は、ヨーガと瞑想の指導現場におります。
ヨーガ修行の脱落者や障害に対処できずにいる人々、対処法を示しても対処する前に自我に負けてしまう人々、その様な現場を多く見てきたことを事実として申し上げます。


犬が自分の尾を自分で追いかけまわすように、自分の心に追いかけられてしまうのです。
ですから、心を変えていくヨーガは体系立てて、段階的に変化のプ…

少年院のヨーガ道その1

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朝日新聞に、「いま子どもたちは」という連載が8回にわたり掲載されました。
少年院で生活する20歳のBさんの取材記事です。

記事の中のBさんは、回を重ねる度に変わっていきました。
社会不適応になってしまった少年が更生されていく様子から、ヨーガの心の統制を感じさせられました。




私は以前、死刑囚の方が書いた水墨画を見たことがあります。
一見、モノクロの写真と見間違えたほど、繊細に描写されていました。

驚いたことは、絵の上手さよりも絵の中にある静寂です。
自分の死を待つ人間が、こんなにも落ち着いた心になれるのか。

静かな水墨画に、人間が抱く死への恐怖はなかったのです。



心の中には様々な思いや恐怖の念もあったのではないかと勝手な想像が浮かびました。

「生きて私の神性に気づく」

犯罪を犯してしまいましたが、その後をどう在るかによって、彼はもしかしたらこの一件を機に、仏の道を歩まれて逝ったのかもしれません・・・。
水墨画に投影された心は、本心であったのでしょう。
人間の心は、打撃を通してこそ本性が顕れる。




意識は、いつ何をきっかけに目覚めるかはわかりません。

少年院で暮らすBさんも、その一人であったような気がしています。
以下、記事中の文章を抜粋させて頂きます。


逮捕前夜、Bさんは避けを飲んでいたカラオケ店を抜け出して、仲間と繁華街に繰り出した。たまたま通りがかった中年男性を襲い、けがを負わせた。

現金を奪った。店に支払うお金を持ち合わせていなかった。そんなことを理由に。

「1回ぐらいなら大丈夫だと思った。善悪の判断がつかなかった」。


Bさんは、中学卒業後、建設現場で働きながら通信制高校で学んでいた。まじめに仕事をしていたが、「遊びたい!」という気持ちも抑えられない。

友人や後輩ら数十人と立ち上げたイベントサークルでの活動が、どんどん楽しくなった。一方、仕事場からは足が遠のいていた。

「今日は気分違くね?」
「飲むから、明日は行かなくてよくね?」
そんな言い訳をしては仕事をさぼり、週に2回しか働かないこともあった。



多摩少年院の一室で、暴走を止められなかった自分を振り返るBさん。背筋を伸ばし、両手を太ももの上に置いて椅子に座る姿は、不良少年だったとは思えない。

多摩少年院には、日常生活の約束事が書かれた「生活のしおり」がある。

「気をつけの姿勢は両足のかかとを付け、つま先は60度に開く。手は4本の指をそろえ、親指を軽く内…

心の闇を照らすヨーガの道

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以下、ヨーガ道を歩む生徒様の手記です。心の不調和



自身の心の不調和を目の当たりにしました。

「ヨーガとは何ですか?」先生からの質問に、私はこのように答えました。

「脳が自動化されているため、ありのままに物事を捉えられないため、客観視を育てるもの」 答えはノーでした。

「すべての魂は一つのところから来ていて、生きとし生けるものすべてが同胞であるにもかかわらず、戦争や殺人で多くの命が奪われている。そうならないように正しくヨーガを学ばせていただき、祈り、すべての魂が一つのところから来ているという意識に還り、同胞を助けていかなければならない。」

先生から、さらに突っ込まれます。

「『魂』という言葉を使いたくないんでしょ」 

図星でした。



魂の科学を学ばせていただいているにもかかわらず、私は自分の中で信じているつもりでいて、周りの目を気にして、避けていました。

先生のご指摘と鋭い視線に萎縮し、言葉にできないショックを感じ、涙が出ました。

今でもその時のことを思い返すと、涙が出てきます。

先生はおっしゃいました。

「ヨーガを信じようが信じまいが、どちらを選ぶかではなく、自分の本当の思いと言動を統一することが大切です」

高みに上がろうとする勇気に値しない低次元の意識:先入観や固定観念が、自分の中で調和せず、成長の壁になっていたようです。

その一件以来、正直まだその時の自分の感覚、感情、どうしてそのような先入観や固定観念が植え付けられたのか、じっくり見つめる時間がとれていないのですが、

落胆したり、ふてくされるのではなく、ただ、浮き上がってきた感情や心を観てくださいとアドバイスをいただきました。



先入観については、過去に家族に言われたことや友人の体験談を聞いたことがきっかけだったと思います。

「他者に理解してもらえない」

「変に思われたらいやだ」そういった考えが潜んでいました。



今まで気付かなかったのか、気付いていながら気付かないフリをしていたのかまだわかりませんが、

無意識に持ち続けていた先入観によって、本来の自分で居られないのは、非常にもったいないです。

最初は自分を責めましたが、自分が悪いのではなく、脳が蓄積した他者の意見であることを、冷静に見つめていく必要があります。


「自責の念にかられる」

この行動も、誰かに指摘、叱咤されると、その根源を深く見つめる前にすぐ自…

2015年3月27日ヨーガ参入の日

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現代は、ヨガとしてエクササイズや体のゆがみ矯正、美容の部門で人々に知られるようになりました。

ですが、本来のヨーガの意味はそうしたものとはまったく関係がないものです。

ヨーガは、霊性の精神的修行です。

魂を自覚していく意識に目覚める自己訓練の道です。
ヨーガは、日常においての精神面を高める道でもあり、霊性を際立たせていく道です。


ヨーガの実習は、心の訓練です。

心とくれば当然に厳しい面もあります。
ヨーガの道のりと道中の障害、その対処法、障害を乗り越えることで到達する成長。

このことを知らず安易に取りかかると、本来のヨーガに直面した時とたんに尻込みします。
「こんなはずじゃなかった・・・」

これは、自分のイメージでヨーガを理解した方がぶつかる最初の壁です。

自己流でヨガや瞑想をしていた方もぶつかる壁です。

自分でつくりあげたヨーガのイメージを、正しい理解に変えていく時は、素直さと謙虚さが試される時です。

ですが、そこはヨーガの入り口です。

まだ始まってはいないのです。
この試練の段階で脱落していく方は、少なくありません。
無知なままで誤解であることに気づけないため、相変わらずこれまで通りのイメージを抱き続けます。

間違いと誤解を素直に認め、正しい理解に変えて下さい。

誤解を晴らし、正しい理解に変えることができた時、ヨーガに畏敬の念さえ抱くでしょう。

その時、はじめてヨーガの扉が開かれるのです。
扉など、思想やファンタジーを語っているのではないのです。
現実の話です。





3月27日、ヨーガの道に参入した7名の生徒様による神様へ捧げたお花が飾られました。










いつもの教室に、ささやかながら祭壇をつくり、皆様とともにヨーガの道の成就を祈願しました。

簡素ではありますが、伝統にならいヨーガ参入の儀式を行いました。
この一つ一つの体験が、ヨーガ実践者としての自覚につながるでしょう。
近代は、入会金と引き換えにヨーガを行えますが、生徒様には由緒正しい道を礼儀とともにお教えします。
マントラを唱え、ヨーガの道にまつわる障害の除去、達成を祈願と神への献身を捧げ、ヨーガの道を歩む決意表明をそれぞれの胸中で行って頂きます。







古代では、導師の人生を歩む中で得たヨーガの智慧の火が生徒にもたらされました。
現代に生きる私たちは、火の代わりにテキストに編纂してお一人お一人に手渡しました。







私の個人的…

大人のためのスピリチュアル・ドリル

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知識が増えたら、霊性が高まるだろうか?

いや、人間の場合は議論と争いのもとになるだけだ。

霊的知識に触れる前に、物質的意識を霊性の性向に傾けなければならない。

なぜだろう?

知識の集積に走るようになり、知識に翻弄されるからだ。



知識は時にエゴの餌になる。

気をつけて学びなさい。


いつでも、動機をよく確かめなさい。



人のためとするなら、知識はあなたの中で智慧の光になるだろう。

知識で人を欺くようになれば、迷いの道に入っていくことになる。

動機をいつでもよく確かめなさい。



瞑想をしたら、霊性が高まるだろうか?

それは、あなたの意識がどうあるかだ。



目を閉じていても、想像や妄想にふけっていれば居眠りとかわらない。

動機をいつでもよく確かめなさい。



知識が増えても、瞑想を何時間しても

「自分のため」

こうした心ない者もいるだろう?



だから、

動機をいつでもよく確かめなさい。


ヨーガを英語で学ぶ日本人の盲点

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現代のヨーガの学び方は、バリエーション豊富です。

そのうちの一つである海外ヨーガ留学を挙げてみたいと思います。



海外でヨーガ指導の資格取得コースに人気があるようです。

ですが、これには特にヨーガ初心者の方には気づかないであろう盲点がいくつかあります。



海外で、しかも英語でヨーガを学ぶことが適当かどうか、見極める冷静さが必要です。

以下、ご説明していきます。



ヨーガの技法の根幹は、真理によって支えられています。

アーサナ、呼吸法、リラクゼーションといった肉体的なプラクティスでさえ、哲学的要素から構成されています。

この哲学的な解釈に要する知性がそなわっていないままヨーガを学ぼうとすると、
なぜそうするかその意図がわからずボディワークになっていきます。





初めてヨーガを体験した方のご感想に、次のようなものがあります。

なんだかストレッチのようだった。

ゆっくり動いて、じっとしてばかり。
何をしているのかよくわからなかった。

眠ってしまった。
筋トレみたい。



なぜ神聖なヨーガの実習が、このような大雑把な感想になるのでしょう?

それは、実践している内容の根本的意味の理解不足と哲学的意味がともなわなはいままポーズだけを実践しているからです。


これは、海外でヨーガを学ぶ中でも起こります。

英語で行われる通訳付きのヨガインストラクター養成コースです。
カリキュラムの中に、ヨーガ哲学が含まれていると思います。

ヨーガの哲学は、本人の精神的な深さ、理解のレベル、心の受け入れ姿勢、霊的知性の段階に合わせて学んでいきます。

哲学は、学ぶことそれ自体が無知に光明をもたらす意識の目覚めにつながっています。

ですから、苦悩に光を指す言葉で内側の深い部分に語られなければ、意識の目覚めの体験にはならないのです。

今聴いている講義がヨーガ哲学であっても、あなにとって真意を理解できない言葉は単なる文字の羅列にすぎず、睡魔をもたらすだけになったはずです。

受け入れる段階に達してない状態で学んでも、やはり同じように睡眠薬となるばかりなのです。



ヨーガの哲学ばかりではありません。

ヨーガは、アーサナ、プラーナーヤーマといった肉体的技法でさえも、哲学的理解によって意味をつかんでいかなければなエクササイズになります。

近代流行りのアジャストや肉体的解剖学の理解だけでは、ヨーガのアーサナを霊的成長の技法として使いこ…

海外やTTCでヨーガを学ぶ前に知っておくべきこと

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弊サイトに公開しておりました「ヨーガ指導者への道」は、この度閉鎖いたしましたことをお知らせ申し上げます。

これまでご覧下さいました皆様、誠にありがとうございました。


昨年末に弊サイトを公開してから、関東では桜の開花を迎えるに至りました。

この季節に、弊サイト存続とともに感謝します。


これまで公開しておりました目的は、この道に使命をお持ちの方の道しるべとしてでした。

この道とは、自己犠牲の道です。

自己犠牲は、カルマヨーガの精神のあり方です。(実際の行動も必要としますが、柔らかく表現しておきます)
ヨーガ導師や伝導者(言葉で特定できない務めですが)の務めを果たす者に必要な条件です。

ヨーガ指導者への道へ入る前に、まずご自身がヨーガを実践して下さい。
そうして下されば、自己犠牲の真意がわかります。
自己犠牲という言葉に反応したその心は、まだ成長する必要があるというサインです。
この心構えなくして、真のヨーガを普及する務めは、果たせないことを断言します。



真のヨーガを普及するということは、世俗的な「自分の夢を叶えよう!なりたい自分になろう!」といった個人的な夢を叶える土壌ではありません。

個人的な想いを叶えるために、神がわざわざヨーガをたずさえ地上まで降りてくることを期待していませんか?

立場が逆です。
地上の人間が天を見上げ、正しい動機から献身的に祈るところでないとヨーガは降りてこないのです。

「求めよさらば与えられん」と言われておりませんか?

神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えて下さるだろう」の意。物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事だということ。デジタル大辞泉の解説より抜粋。




このことは以前の師の在り方から学ばせて頂きました。

師は、ヨーガ修行を望む者の動機と覚悟を見抜き、ヨーガを伝授するに適格でないと受け入れることはありませんでした。


ところが、何でも情報として入手できる先進国に住む私たちは、動機がまったく的はずれでもヨーガや瞑想を実践できる環境にいます。
インドには、まだまだ本来のヨーガの入り口の在り方が極わずかですが残っています。

師は、近所の人々の相談事に乗ったり、健康のためにヨーガの運動を教えたり、生きるための智慧を教えたりはされていましたが、それ以上のヨーガをほれほれと見せることはありませんでした。

アーサナをやめなさい、心を静めなさい

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なぜあなたは、アーサナばかりやるのだろうか?
あなたにとって、導師から語られる話しは退屈だろう。
ましてや、ヨーガスートラは尚更のことかもしれない。
いや、そうであろう。


あなたは、第三のアーサナしかやらない。
だが、意識の使い方を知らずにやると自我意識の強化になる。
それを知らずしてやる。
いつまでたっても心が揺れ動くのは、己のヨーガの誤解が原因であろう。


ヨーガの知識(真理、哲学、ヨーガ導師の話し*筆者訳)は、そなたの頭でとても理解できるものではない。
まず、心を一点に集中できるようにならなければならない。
心を静められなければ、アーサナより他の高度なヨーガ(アーサナはヨーガではない*筆者訳)に入ることはできない。
あなたは、アーサナでよけいに心の揺れ動きを強めていることに、まだ気づかないだろうか?

心を一点に集中させよ。
これは、現代人にとっては至難の業だ。
では、どうすればいい?
ヨーガを実践しなさい。


ヨーガを実践するには、言葉を超えた不可解なヨーガの体系を、自ら実証した導師を探し、解き明かしてもらわなければならない。
散漫な心(心が混乱している)の者には、ヨーガスートラは見えない。
そんなことはない私は瞑想している、と言うなら今すぐスートラを開いてみるといい。
揺れ動いたままの心が、想像で話しをつくりあげ誤解していくであろう。
経典は、湖面のように心を波立たせなくなった時しか見えてこない。

ヨーガを行じていくならば、始める前に


散漫な心を静めなさい。

突如たちはだかるエゴの壁

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ヨガスタジオのヨガは別として、ヨーガは単なる「自分を変えたい」など遊び半分でできるものではない。

古代に存在していたヨーガの実在を、現代人が知らなさすぎるがための楽観視だ。

あなたに相当の覚悟がなければ、覚悟が持てる時期がくるまで待った方がよいことは明らかだ。

しかし、それもあなたのカルマによるのだが。

カルマの埋め合わせによっては、その時期が訪れない場合もあるだろう。



現代では、「ヨガは体と心、魂を一つにすること」と言われている。

この解釈は、ヨーガを知らない大衆の期待に沿う表現だ。

だが、これを盲信してはヨーガの真実を知るに至らない。

多くの人々が、「ヨガは心と体をつなげていきます」と発表している。

そういう人々には、ヨーガの導師を謙虚に探すことを始めてほしい。

導師でないと、このことは解き明かせないだろう。



エゴは、知ったつもりという仮面を被って心に現れる。

ヨーガの道においては、いかなる時もその仮面を拒否することだ。


ヨーガを始める時のあなたは、まだヨーガを行じてはいない。

つまり、心が曇ったままでヨーガを始めているのだ。

まだ心を浄化する行法をしていない。

一点集中の力を養われていない心も散漫なままだ。

その段階において耳に入ることは、すべて曇ったままの心を通して色づけられる。

導師の存在はあなたの悩みの種になり、真理も誤った解釈になるだろう。



わかるだろうか?

先に述べたように、言葉ひとつとっても、そこにすでに誤認の壁があるのだ。

初心者のうちは、心が散漫なまま初めていかなければならないのだ。

見るもの聞くものすべてが、疑いをもたらす種となる。

そのことをよくふまえて、覚悟して行くがよい。


自分の心を観る

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思いと言葉、行動を統一させること。

これは、ヨーガ実践者の根幹となるものです。
日常的には、思いと言動がズレていることは頻繁にあります。
意志は早く起きようと思っているのに、心はそうしなかったり。
意志はすぐやろうと思ったのに、心は後回しにしてしまったり。
たくさんありますよね?


ですが、ヨーガを実践していく場合は、見ないフリをしていられません。
なぜなら、ヨーガの実習は(皆さんにとってはポーズだと思いますが)、ヨーガの本番に向けて、心のコントロールを訓練していく実践です。
自分を心の言いなりに行動させていては、心のコントロールにいざ取り組んでいく時どうにもいかなります。


よし!ヨーガを始めたから、今度は心を支配する側に逆転しよう。
そう思って取り組んでも、心はそうはさせてくれません。

ヨーガを始めるまでは、心の動きと自分を引き離して観ることがなかったため、すでに心と一体化されてしまっているからです。



心に支配されて行動していた自分を心から引き離していく始めの一歩が、自分の思いと言葉、行動を統一させることなのです。


例えば、あなたが成長を望んでいる方だとします。
ところが、グズグズしてしまう自分もいます。
成長しようとする高い志しの意識と、また今度やればいいや〜という低い意識は調和できません。
高みに上がろうとする自分が本当なのか。
やっぱりでも〜と、一歩を踏み出せない自分が本当の自分なのか?
そんな時は、一度落ち着いて、自分はいったいどちらの思い本当なんだろう?
ゆっくり見極めてみて下さい。



大切なのは、どちらを選ぶかではありません。
どちらを選んでも自分自身です。
選ぶことを始めると、人の意見や世間体を気にして選ぶ自分が出てます。
そうではありませんか?
今は、本当の自分はどちらの自分か「ねぇーどう思う?」ではなく、自分で観る練習です。



思いと言葉、行動を統一することがヨーガの生き方(これ限りではない)です。
そのために、本当の自分の思いに気づく練習から始めましょう。
人にどう思われるか?
ではなく、
あなたがどう思っているかです。


本当の自分を見極める前より先に、人目を怖れる心を自分の意識にのぼらせてしまったら、いつまでたっても本当の自分で生きることは叶わないと思いませんか?
あるいは、他人にこう思われたら?あー思われたら?
そんな想像がわいてきたら、本当にその人は私のことをそう思っているのだろうか?と、現実を見…

あなたに指導者は必要だ〜ヨーガ導師の役割

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現代人が、この物質豊かな日本社会の中で、ヨーガ修行をする際のヒントを述べてまいります。

大切なことですから、本当のヨーガを学びたい方へ向けて、(まだヨーガが何であるかもお解りでないことは承知しておりますが)ここに述べておきます。

ヨーガ(瞑想)を始めるには、導師が必要です。
現代は、自己流で行う人々も大勢います。
ですが、後になり自分一人では進めないことを切実に感じるはずです。
実践の途中では、幾度となく何らかの壁が立ちはだかるからです。

どうしたら良いか、壁の取り除き方がわからないでしょう。


壁が出てくるまでは、ヨーガ(瞑想)も調子よくできて(自分なりに)いました。
ヨーガ(瞑想)は気持ちいい、なんて素晴らしいんだろう。
こう感じられたかもしれません。

これは、自己流で行っている場合に起こります。

なぜ自己流で行った方が、気持ち良いのでしょう?

律することを自分の肉体と心に与えず、好きなようにやっているからです。




では、滝行みたいに意気込んで厳しくやるのか?

いいえ、そんなことはありません。

厳しさと律する間の違いが普通はわかりません。

ですから多くの方が、本道に怖れをなすのです。

さぞ厳しい修行なのではないかと。

これは、ヨーガの中身を知らぬがゆえの先入観です。





さて、気持ち良く取り組んでいたあなたの前に壁が立ちはだかりました。
あなたはとたんに機嫌が悪くなり、悪い思考を生み出し始めます。
これまでのヨーガ(瞑想)の後のように、気持ちよくなれません。
おかしいな?何でだろう…。



あの時のように気持ちよくなりたい。

もう一度。

でも、やってもやってもあの時のような気持ちにはなりません。

やればやるほど、迷いのツボにはまっていきそうになる自分がいます。

いつしか、嫌な自分が出てきて自己嫌悪になってしまいました。
無知さがあらわれ、目の前のことに疑いを生み出すようになるでしょう。
そこではじめて、導師を探し始めるのです。



この流れは、ヨーガ(瞑想)実践者の中で頻繁に起こることです。

ヨーガのガイドラインとして、おぼえておいて下さい。
あなたが、まだヨーガのスタートを切っておらず、先にこのことを知って下さったなら、それは幸運だと言えます。
なぜなら、ほとんどの場合、人々はヨーガ(瞑想)を自己流で続け、心がでたらめになってやっと気づくのですから。



ヨーガ導師の役割は、その鍛え抜かれた洞察力で弟子の資質を見極めます。


ヨーガ導師は、今…

私瞑想してます私ヨガやってます・・・私のソレ、本当ですか?

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「抗わず誠実に今ある道から始めなさい」



現代は、進化が加速した時代と言われています。

さとりも覚醒も今生で成就できるといった情報もあるようです。

しかしそれは、霊的進化の過程を本質的に誤解していることになります。




意識の拡大、魂の目覚めといわれるものは、セミナーやワークショップなどの体験や感動、興奮によって起こるものではないからです。 

その時は、新しい世界に触れるために自分が変わっていくような錯覚に陥ります。

ですが、セミナーが終わって日常に戻れば、感情的興奮の暗示は解けます。

想像で体験することと、魂をゆさぶる体験は全く質が異なることに気づかなければなりません。


この違いがわからないと、その場の感情的な高揚感から、スピリチュアルな体験をしたと錯覚してしまうことになります。




地上の人間は、一生を通して魂を進化させていきます。

打撃によりエゴが崩壊され、少しずつ魂の知性があらわれ進化を成し遂げていくのです。

魂の成長は、霊的な生き方を日常で実践する意志と努力、それにまつわる困難とその克服、誠実さと引き換えに実現されていきます。



ヨーガ(瞑想)を始めて頂くとおわかりになりますが、あなたの隣には低次のままの心が常にいることになります。

変わりたい心と変わりたくない心、向上心と諦めようとする心、意識の向上と停滞を行ったり来たりします。

このような葛藤を、幾度となく味わっていかなければなりません。

光へ向かっているはずが闇を見る。

この矛盾したプロセスこそが、進化にまつわる体験なのです。

真理をたずさえて歩んで下さい。





現代は情報が氾濫しているため、独自でヨーガ(瞑想)を「自分でやってます」という方々が大勢いらっしゃいます。

独断や自己流が勧められず、むしろ危険であると言われている理由は、進化にまつわる苦しみへの手立てと智慧が一般的にはないからです。

その手立てと智慧を、段階に応じて授けてくれる導師の存在が必要です。

頭の理解を超えたヨーガ(瞑想)のプロセスを、本で読み理解したつもりになった程度で取り組むことはできません。
ここに書いてきたことが理解できないとしたら、瞑想やヨーガをやっていたというそれは、やったつもりになっていたことが一目瞭然です。

インドの叡智・ヨーガが導くサマトワヨグ

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聖師チダナンダ大師様は仰います。

もしもあなたが、

心の中に湧き上ってくる無数の思いや想像で生み出したものに対し、


あたかも現実であるかのように反応さえしなければ、


私たちは貴い究極の調和(サマトワ)そのものでいられるのです。




サマトワは、バランス、ハーモニーという調和を超えた調和であり、

人間の理解力を超えるほどの究極存在がお持ちの調和です。

それは、すべての人間の内に存在しています。




この大いなる調和を、正しいやり方で他の人々と共有してゆこうとすることは、

ヨーガや瞑想を心がける神性な実践をする人々にとって、

最も大切なこととされています。



真理を実践する生き方を心がけ、

「自分だけ」という利己心のない人々にとっては、

この世界全体の平和を願って祈るように努め、

すべての人々の心と魂が調和の境地(サマトワヨグ)にあるようにと

自然にされなければならないのです。





しかし人間は、

そうした調和をどこで見つけ出したらよいか分らぬままに、

偽政者たちのサミット会議の中でとか、

数々の条約や契約の中に見出そうとしています。

しかし、真の調和というものは、

その調和に至る鍵を知り、使いこなさない限り、生じてはこないのです。

あなたもさっそく実践してみませんか?




ですから、もしもあなたの心が

内なる神性に気づき、

その神性からわきでる思いやりを、

親切さを、善き心を、バランスを、幸運を、光を、

神様そのものをあなたが受け入れてゆけば、

他の人々に伝え、手渡すことも可能になるのです。



こうした伝導の行いは、決して偉大な宗教家のみが行うことではなく、

人間ならば誰でもが生まれながらにしてできることなのです。

なぜなら、どんな人でも心の内側に

その究極の調和(サマトワ)を持ち合わせているからです。



あなたは神様による調和そのものです。

果たすべき役割を負わされているのです。

神様による調和(サマトワ)を伝え広める役割を、あなたも負わされているのです。



どうか、この神様による調和(サマトワ)を伝え広めるような人生を送って下さい。




AUM TAT SAT
聖音アウンは 真実在なる神である
EKAN SAT VIPRAH BAHUDA VADANTI
真実は唯一なり。 されど智者は多様に解説する。





本日の記事に抜粋させて頂いたヨーガが説く真理は、
こちらの書籍から学んで頂けます。