心を学ぶべき理由〜弘前の受講生の手記〜
見るものと見られるもの。 ここを分別できずに同一化してしまうことが苦しみの構造。 「私」を構成する身体そして心は、 見るものと見られるものそのどちらに属するのか。 見るものである「私」の実態は何なのか。 そして、 なぜ人は死を恐れるのか・・・ この問いは、なぜ人は幸せを求めるのか、ということと構造的には一緒であること。 般若心経はこの世にまだ肉体がある私たちのためのもの。 食べる、飲む、働く、遊ぶといった経験だけでは 苦しみの構造からは抜けられないよ、ということを説いてくれていました。 そのために神様もまた、 肉体の老化というプロセスをちゃんと私たちに与えてくれているのでしょう。 「案内人なしに道に入るものは誰であれ2日の旅が100年かかるだろう」 何年も同じところをグルグルしていませんか。 心のことを、身体の構造を説明するように、レントゲン写真を解説するように、 客観的に説いてくれる人に出会っていますか。 魔法や手品のように魅せられて終わりではなく、 メカニズムを自分で理解しようと思いませんか。 精神的な学びにはガイドが必要です。 心の解剖学では、月1回の6回講座、つまり半年をかけてこの境地まで学んでいきます。