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9月, 2020の投稿を表示しています

ティール組織を実現するためのセルフネットワーク化

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7万部を突破したビジネス書「ティール組織」 管理職や経営者などマネジメントに携わる方、自己啓発として読まれた方にとってティール組織の理想は、 今の社会や組織が新しい次元にとって変わっていく、そんな予感を与えてくれたと言えるでしょう。 先が見えない今だからこそ、 この本の世界観に自由な未来を想像できたこともベストセラーになった理由の一つではないかと思います。 しかし、これらの理論や理想が現実になるのは遠い未来の話だと言われていることに注目しなければなりません。 著者は、なぜこのように言及したのでしょうか?! 精神世界では「汝自身を知れ」という言葉が有名です。 人間が宇宙の一部であるなら、私たちは宇宙のミニチュア版です。 宇宙という森の構造が、木という自分に反映しているのだから、まず自分を知りなさいということなのです。 そうしてはじめて宇宙を理解できる能力が開かれるよ、という認識能力の段階を表しています。 この理屈は、ビジネスのマネジメントにも当てはまります。 企業という組織のマネジメントと、心と身体の組織をマネジメントする原理は基本的に同じです。 私たちを構成している心と身体、魂の名部署のトップは宇宙です。 宇宙の統治下にある心と身体を、宇宙の意図に沿ってセルフマネジメントすることで人間として機能することができます。 私たちが各自セルフマネジメントする目的は、トップの意図を反映するパフォーマンスをするためです。 ここで大切なのは、トップと、トップの意図を受け取る私たちとの連携が取れていなければならないということです。 これを自分に置き換えて考えてみましょう。 心の考えを実行する身体、あなたに高い理想を掲げさせる魂、それを受け取る脳。 これらがすべてトップから一列に整列していますか? してない?しかもマネジメントする人がいない?! となると、皆んな自分勝手な理想や考え、欲求で動いてしまうから、あなたの組織体は統合されていない分裂した状態になってしまいます。 また、ティール組織ではボトムアップの企業体制が理想として掲げられていましたが、 これを成功させるためには、トップと同質の意識が下層部にも備わっていなければ未熟な組織になっていくことが容易に想像できます。 「汝自身を知れ」と

ビジネス書から智慧の書に変わるとき

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昨日のセミナーにご参加くださった皆さま、誠にありがとうございました。 10年以上ご一緒してきた方々、初めての方々、そして私にとりまして、 新しいヨーガ が始まる。 そんな兆しを抱かれたことと思っております。 成人した私たちが自己成長を試みたとき、どのような方法をとってきたかと考えました。 仕事に関連する資格を取る、ビジネス書や自己啓発の本を読む、ビジネスセミナーを受講するなどのご意見が上がりました。 ここで立ちどまり考えました。 何者でもないどこにも所属しない一人の人間としての自分の中身を、現状から別の状態へ変容させるための手段は何なのか。 このようなご意見も共有しました。 社会では年齢やキャリアを積んでいくと人を育成する立場になります。 教え育てる資質があるないに関係なく任されてしまうというお声も上がりました。 年齢とともに社会経験も積めば積むほど、公私にわたって課せられる内容や抱える問題、他との関わり方はどんどん複雑になります。 何を身につけてどのように生きることが望ましいのでしょうか。 ここで一つのアイディアを共有しました。 智慧を学ぶ、自分にまだ活動していない潜在された能力を発達させる。 そしてこれらを社会生活に適応させる、ということです。 パソコンでいえばバージョンアップです。 困った時、私たちはノウハウを探します。 ところが、今度はそのノウハウを実行できないという別の問題に直面します。 新しいノウハウは、同時に自分にも新しい器量がそなわってはじめて出来るようになる。 という筋から捉えてみるとノウハウを集めることはどう見えてくるでしょうか。 先ず自分の器量や性能を上げることが重要だったという見方が開けてきませんか。 ノウハウを結果だとしたら、その行動を起こす因が必要です。 つまり自分自身の能力です。 まだ使っていない潜在された能力を自己実現すること。 そうすることで、悩みや問題を抱えていた時点の自分を克服することができます。 問題を対処するのはノウハウではなく、問題を抱えてしまったた自分を超えた自分自身ということなのです。 さて、ここである問題に出会います。 潜在能力に対する先入観や偏見、誤解がついてしまっているのではないかということです。 精神世界、ビジネス、スピリチュアルと分野ごとに使われ方が変わ

真理の探求へ向かうようになっていく人

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ネットニュースのとある記事に目がとまりました。男性の手記です。 コロナ禍で予期せぬ急な大型連休をもらってしまった。 つまり、営業がまわらず仕方なく休業を余儀なくされたそうですが、その間4ヶ月。 9月から再開したとありました。 これまで休んでこなかっったぶん休むことができたと前向きに表現されていました。 この記事を見て心の中で同じ想いを抱きました。 お金や仕事は失いましたがよく考えてみると、大きく人生を転換させる機会になっていました。 この空白がなければ、同じ日常の中でした。 その中では体験できなかったほどの意識の切り替えを果たすことができました。 人生の複雑さがあらわす現象によって教えることが、わたしの喜びである。モリヤ大師 マインドを洗練させて深く考えられるようになると、シンプルな表現の中にこそ真理が隠されていることがみえます。 それが見えたとき怒涛のごとく癒しが訪れ、過去のパズル画がガラガラと音を立てて愛のストーリーに編成されていきます。 ところがマインドは、訓練してあげないと「厳しいむずかしい」といった単純な見方しかしなくなります。 マインドがそのように判断すると、人間は楽な方へ簡単な方へと逃げてしまいたくなるものです。 喜びを通して道を浄化せよ。君たちが弟子である間に、短気に打ち勝つよう学べ。モリヤ大師 私たちは心のどこかで精神世界に引け目を感じている自己がいたりするものです。 しかし、真理がもたらす力を自分自身を通して体験していくと、もはや隠すことの方に恥ずかしさを感じるようになるから不思議なものです。 これを自分だけに納めておくことが申し訳なくなってしまうのです。 周りのみんなが困ってお腹を空かせているのに、 自分も食べる物を持っていないふりをして実は家の中にひっそりたくさんのお米を隠して食べているような。 だから、分かち合わずにはいられなくなるのです。 教える道により、光が君に下るだろう。教えることと、愛することは神のご慈悲の現れである。モリヤ大師 私たちは人に教えることによって愛の媒介に、愛の経路になることができます。 私たち一人ひとりにその役目があることを忘れないでいてください。 あなたが果たせますように、果たすべきこ

「自分を愛しなさい」と言われてもわからない時は

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インドでヨーガを学んでいる時、こんなことがありました。 生き方のヨーガ「ヤマ・ニヤマ」の中の非暴力「アヒムサ」についての講義の時のことです。 不殺生のテーマになった時、肉食からベジタリアンになることについて語っていた先生がこう言いました。 「とは言え、北極で暮らしているエスキモーに向かって私はアザラシの肉を食べるなと彼らには言えない」 どういうことかと言うと、 アザラシの脂肪を接収するから、エスキモーたちはあの極寒に耐えられる身体を持つことができるのであって、それをやめろと言うのは死ねと言っているようなものだ、と。 素晴らしい徳の高い生き方のあれこれを聞いたとしても、自分の社会的背景、家庭環境に合わせて使いなさいねと言うことを先生は教えてくれました。 ヨーガやスピリチュアルの中には、生き方の指針がたくさんありますね。 やさしいスピリチュアル本にも、「自分を大切にしなさい」「自分を愛しなさい」など書かれています。 私もそれを発信する側の立場とはいえ時にこう思います。 「どうやってそれができるようになるの?!」って考えるのではないだろうかって。 愛せない私から自分を愛せるようになるって・・・すごいことだと思いませんか? 言われてもそうは簡単にできない「こんな私」に、逆に強く直面するのではないかと思います。 と言うと今度は、「こんな私」と自分で自分のことを低くみつもるのはやめなさい、とこうきます(苦笑) 実はスピリチュアルの世界には、ここに苦しんでいる人が少なくないのです。 自分を愛する、自分を大切にする、自分を感じる・・・etc その通りなのですが、このような言葉はとても象徴的で比喩的な表現です。 これが具体的にどういうことなのか理解することができなければ、それができなくて逆に苦しむことになります。 神を愛しなさい、神にゆだねなさいと言う言葉も同じです。 自分を愛すれば幸せになる、大切にすれば〜になる、という条件に縛られて逆に苦しくなってしまうのです。 精神世界の教えは、肉眼では知覚することのできない界層の秩序です。 それを、肉眼で物事を知覚する物質界の言葉になることで私たちは手に取ることができるのですが、実は手に取る側にある一つの責任が課されています。