40歳からの大人のヨーガ道


人生酸いも甘いも知ってたどり着く静寂の心

人生、酸いも甘いも経験してきました。

どんなに夢みても、叶わないこともあると知りました。

引き寄せの法則も、やってみたけど私のところにはきませんでした。




ミドルエイジの年代になり、魂のことを学んでみたいと思うようになりました。

人生の折り返し地点にきて、社会的にも私生活でもまずまずの物は手にしました。

でも…何かが足りない気がするのです。

それは、私にそう感じるのです。

そう、私には生きる智慧がないことに気づきました。

内面からにじみ出るものがないことに気づきました。

若い子は、若さと言う輝きがあります。

でも・・・

私、このまま年を重ねていってよいのでしょうか?



ヨーガは、自分と向き合うことだと聞きます。

でも、なんだか・・・若い子ばかり。

屋外で遊びがてらヨガをするんですか?

私はついていけなそうな気がします。

ファッションでやってるような世界は、もういいんです。

これからは、正道を求めたいと思います。




若いころはとにかく楽になりたかった。

皆がしていることに安心した。

覚醒を目指したり、あれこれスピリチュアルなことも齧ってみたけ。

でも、あまり変わらなかった。

いろんな自己啓発セミナーも行ったし、潜在意識を浄化するワークショップみたいのも。

生まれ変わるためのスピリチュアルの合宿にだって行ってみた。

でも、寝泊まりしてまで自分を変えようと頑張っても、変わらなかった。

いったい私の何がいけなかったんだろう・・・



瞑想したくてヨガをやってみたけれど、ポーズばかりなんですね⁉︎

どうみても私より年下の若い先生ばかり。

ヨーガは、体の歪みの矯正、骨盤矯正なのでしょうか?

私はヨーガのことはまだわかりませんが、何だか主旨が違う様な気がします。

私の人生のことを、彼女たちに質問しても果たしてわかってもらえるのでしょうか?

私の骨盤が矯正されたら、その後私の心と体、魂はどうなるか、彼女たちにわかるのでしょうか?







このような考えをお持ちのミドルエイジの方は、現代社会には少なくないのではないかと拝察します。

現代は情報ばかりで、真理を説く人がいません。

話しを進めていく前に言及しておきますが、私もミドルエイジです。現在47歳でございます。

(私事で失礼しました)


本来なら人として生きるすべを学ぶ精神世界が、現代は情報だけが悪戯に氾濫しています。

人々はそれにふりまわされ、何の知識も準備もないまま覚醒だ悟りだと、無造作に取り組み始めます。


実質的な成長の糧として存在している精神世界は、極わずかです。

俗世の情報から知識だけを得てしまうと、自らの実践による変化のプロセスがともないません。

ですから、知識を詰め込むほど低次の心が迷いを生み出すようになります。

これが脱線の原因です。

実践による段階的な変化があれば、霊的な知性が向上します。

その知性が、情報の正誤を理性的に識別できるようになるのです。

つまり、何が本当でそうでないか、理性で見極める必要がある年代だということです。

霊的に未熟なまま肉体を脱いでも、残るのはその未熟な精神だけです。

見かけに目を眩まされてばかりいてはなりません。



知識だけを詰め込んできた場合、頭ではわかることはできます。

ですが、心がそれを理解しているかどうか?

あなたの心が、高次の智慧を受け入れる状態になっているかが問題なのです。

つまり、低次の心のままでは、智慧の高い波動と調和しません。

内側で理解の消化不良が起きます。

これが、大きな変化につながらない理由です。



実質的な変化は、知的理解ではなく洞察的理解の中で起こります。

(このようなお話は、講座の中でさらに詳しくお伝えします)


霊的な成長の道は、知識だけを闇雲に増やしていくことは危険です。

幼い心を引き上げなければ、向上心と未熟な心の往来の繰り返しになり、それらに葛藤の日々をもたらされます。

ある時期はやる気が出て一気に、のめり込様にやった。

けれど、その先は滑り台を下るようにやる気が失せた。

そして結局、これまでの生き方に戻っていた。

この繰り返しをしている方は、想像する以上に大勢いらっしゃいます。



魂の成長と言われる深い側面を変えていくときは、ほんの少しの思いつきでできるものではありません。

40歳以上の人生の熟練者であれば、このことは理解る霊的レベルに達していたいものです。

なぜなら、20代や30代の方と生きるステージが違います。

これは、外見的なことを申し上げているのではありません。

霊的成長の視点からすべて述べております。



人生の折り返し地点を通過したということは、私たちは今、死に向かっているということです。

つまり、若いころのように、やってみたけどやっぱりやめちゃった~が効かないようになってきています。

その時期に達した私たちに、もう玩具は必要ないでしょう。

本道しかありません。




これをしたら幸せになれる、思い描くファンタジーは卒業しましょう。

これをやったら浄化される、これも卒業します。

私を愛して癒してあげる、もういい加減これも卒業していきます。

私を愛せなくても、癒してあげていなくても結構です。

地上の人間という境遇を生きる真理を学びます。

さとらなくても、覚醒しなくても大丈夫です。

死がそれをもたらしてくれます。

焦る必要はありません。





心を浄化したいと望む方は大勢いらっしゃいます。

ですが、浄化は遊び半分で取り組めるものではありません。

これは、大人のスピリチュアルとしてお伝えしておきます。

大人であれば、浄化のプロセスを智慧とともに実際的に学ぶべきなのです。

なぜなら、憧れで望めるものではないのですから。

意を決して挑まれて下さい。



ここまでご覧頂けましたことで、ヨーガは遊びじゃないことがおわかり頂けると思います。

浄化の過程では何があるか、何を絶える必要があるのか、きちんと学んで心得ておいて下さい。

私たちミドルエイジは、こうしたことを冷静に受けとめるために年齢を重ねてきたはずです。

それは、人生の苦しみから得られたものではありませんか?



私事になりますが、人の心(魂)に寄り添いこの道27年。ヨーガの導師を務めさせて頂いております。

かれこれ様々なご年齢の方と、ヨーガの道を歩んでまいりました。

下は21歳から上は89歳まで。

そうした中で思うことは、人は霊的な道を本気で歩めるようになるのは、40歳半ば以降ではないかと考えます。

稀にお若い方でもいらっしゃいます。

ですが、彼らはまだ物質社会の波の中で経験しなければならないことが本筋のようです。

そうした方々にとってのヨーガは、社会を霊的修行の場として、ヨーガをお教えしております。

さとりや覚醒などを、生半可に目指すような道を示すことはいたしません。








40歳を過ぎた方々が実践するヨーガ。

人生終盤を見据え、本気のヨーガ道を歩みませんか?


私たちミドルエイジは、ヨーガをどのように学び、どのように人生で実践し、人生に活かしていくか。

ヨーガは終活のツールにもなります。



お若い世代が目立つスピリチュアルの世界には、少々気後れしていた方にもお越し頂ければ幸いに思います。

当教室は、40歳以上の方が真面目に実践して頂ける精神修行の知識と空間をご提供しております。


よろしくお願いします。

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