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  私たち大人は、学校で心の扱い方を教えてもらわなかったばかりに、 雑念と感情の浮き沈みに悩まされる ようになってしまいました。 本当は、これらを「俯瞰して観ることができる意識」を養ってこなければならなかったのですが、私たちの親さえも知らずに生きてきたのです。 思考と感情に突き動かされている状態が今の大人の姿です。 感情に突き動かされるがままに子どもに激怒しているお母さん。 思考がエスカレートして理屈で子どもを責めたてるお父さん。 思考と感情は完全にコントロールして扱わなければならないものです。 この 生き方の基本 を、柔軟な子供の時期に少しずつ教えてあげましょう。 子どもは「感じる」「客観的に自分をみる」この言葉を自分に置きかえてまだ理解できません。ですから、 言葉を使わないで、自分のことを客観的に感じるよう指示を出します。 例えば、足首を回す動きを通してこんな体感トレーニンングをしました。 片手で足首をつかみ、もう片方の手でつま先を握って足首をゆっくり回します。 「足首は、どんなふうになってる?」と言いながら、感じている様子を先に見せます。 それから自分も感じてもらい、その体感を相手にわかるように言葉にしてもらいます。 なぜ、そのように感じるのか? それを感じると、どういう気持ちになるのか? 一つひとつの気づきを言語化していくトレーニングを続けます。 簡単なようですが、実際やっていただくと大人でもなかなかできません。 このトレーニングは、内面に意識を向け続けなければならないため、 かなり集中力がつきます。 体感を言語化するトレーニングで感性が高まり、脳も活性化されます。 子どものヨーガ個人指導をご利用中のお母さまから、嬉しいお便りをいただきました。 娘が大人になったとき、人生の支えになる大切なことを体験を通して学ばせていただいてることに感謝してもしきれません。 贅沢なことだと夫も感謝しております。 私自身も、本物のヨーガを娘と一緒にスタートから学ばせていただいていることに胸が熱くなりました。 心は、子どものうちからきちんと育ててあげましょう。 将来、親も子も苦しまないですむように。

息を引き取るその瞬間まで美しく

  インドでヨーガを学んでいたとき、ヨーガに対する私の価値観を変えた言葉があります。 「ヨーガは死の準備」 私のまわりのインド人は、皆ヨーガのことをそうとらえてヨーガに励んでいました。 人間は誰でも年老いて、そして、体が死にます。 その当たり前のことに争わず、自然の摂理をきちんと学んで理解して、それに合わせてヨーガで心と体を整えます。 衰えてからもとに戻そうとするのでは遅すぎるからです。 集中、意識、記憶、思考。 これらの機能は、疲れてきたらヨーガで最適化します。そのままにしておくと、年齢に関係なくお若い方でも老朽化します。 私は中学生の頃から自分の死の瞬間をイメージしていました。その瞬間を一番美しいものにしようと決めたのは、13歳のときです。 最後の瞬間が惨めな迎え方をしたとしても、たとえば、予期せぬ事故とか誰かに命を奪われたりとか、、それで恨んだり憎んだりして鬼の形相で死ぬのではなく、美しい花は美しいと思える心で死んでいける人になろうと思いました。 そのためには、怒りを優しさに切り替えることができなければなりません。 そんなこと、どうやって実現できるだろう? 誰かに殴られたり、意地悪されたら、その人を恨みます。それが、死の瞬間だったら恨んだまま逝かなければなりません。 どうやって激怒した心を優しい心に切り替えることができるの・・・?13歳の私はそう思ったのです。 大人になった私は、その方法をヨーガに見つけました。 ヨーガでは「心と体は道具」と認識されています。 体が病気で死んでも、私のこの意識は病気になりません。心が怒っても、私のこの意識は怒りとは別です。 このように言葉で言うことは容易いのですが、実際に体が病めば落ち込むし、人間関係で怒ることがあれば感情が乱れ自分の生活も同じようになります。 だから、練習するのです。意識を育て、意識を高めていけば、心と体は道具であると認識できるようになります。ヨーガはそのためのレッスンです。 この体がどうあろうと、私の意識は美しいまま、この概念を自分の生き方、価値観に実現できます。 生きているうちに磨き上げた自分の意識を、死ぬ瞬間まで保ち、意識的に死んでいくことをヨーガは目指しています。 意識が朦朧として周りのことも友達のことも、自分のこともわからないままこの世を去っていくことは悲しすぎます。人は、死ぬその瞬間が一番人間である

学校では教わらないことをヨーガで学ぶ

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  当教室で上級ヨーガを実践している生徒さんは、なんと小学1年生の女の子です。 個人指導でヨーガのレッスンを受けるため、お母さまと一緒に電車に乗ってリュックを背負って通ってきます。 なぜ上級ヨーガかというと、 「精神的な成長のためのヨーガ」 を行っているからです。 いろいろな意味で大人顔負けです。 当教室は靴を脱いで入っていただきます。その靴の脱ぎ方、脱いだ後の靴の並び方、この所作が一番綺麗です。 さて、7歳の子どものヨーガ個人指導、当教室ではどんなことをしているのでしょうか? ヨーガ専門教室ならではの 体を使って行う「心の教育」 をご提供しています。 なぜ子どものヨーガを個人指導で行うのか?皆んなと一緒にポーズをするのではないの? それでは、わざわざヨーガ教室に来る意味がありません。 心の作法、礼儀、いのちの教育という一般的に学べないことを補えるのがヨーガ専門教室です。 一般の義務教育ではできない、 個人の才能の芽を引き出す ことを実行できるのが「ヨーガ指導者による教育」です。 なぜ、このような教育ができるのでしょうか? ヨーガは成長法則です。この法則を一人一人に当てはめて指導できるように、ヨーガ指導者は長年かけて訓練するからです。 さて、子どもが持っている「資質」と「性質」は皆それぞれ違います。 ですから、望ましいのはその子に合った内容、その子の感性がときめく話し方、その子が興味がわくプログラムの進め方、能力の引き出し方と一貫して行うことで、その子の個性が輝いてきます。 当教室では、子どもの才能が芽生える瞬間に親御さんも立ち会っていただけるように、指導中はご一緒していただきます。 子どもの才能を引き出す方法は、英才教育のように、みんなが同じプログラムを行って、みんなが同じ能力を身につける方法もあれば、その子だけが持っている資質と才能が目覚める基盤を築くという道もあります。 才能、能力というものは土台があってこそ芽生えるものです。 ですから、能力の芽がでる子どもの時にこそ、正しい姿勢と呼吸ができるように教育してあげること。 これは子どもへの何よりのギフトです。 姿勢と呼吸は、脳の状態を左右する からです。 さて、7歳のミニヨギーニは「教室に神さまがいるよ」と教えてくれました。 どこにいるのか訊ねると、壁にも天井にも、床にもいるよと言います。 「じゃあ、神さまにあり