指導者は、必要





現代人が、この物質豊かな日本社会の中で、ヨーガ修行をする際のヒントを述べてまいります。

大切なことですから、本当のヨーガを学びたい方へ向けて、(まだヨーガが何であるかもお解りでないことは承知しておりますが)ここに述べておきます。


ヨーガ(瞑想)を始めるには、導師が必要です。

現代は、自己流で行う人々も大勢います。

ですが、後になり自分一人では進めないことを切実に感じるはずです。

実践の途中では、幾度となく何らかの壁が立ちはだかるからです。

どうしたら良いか、壁の取り除き方がわからないでしょう。



壁が出てくるまでは、ヨーガ(瞑想)も調子よくできて(自分なりに)いました。

ヨーガ(瞑想)は気持ちいい、なんて素晴らしいんだろう。

こう感じられたかもしれません。

これは、自己流で行っている場合に起こります。

なぜ自己流で行った方が、気持ち良いのでしょう?

律することを自分の肉体と心に与えず、好きなようにやっているからです。




では、滝行みたいに意気込んで厳しくやるのか?

いいえ、そんなことはありません。

厳しさと律する間の違いが普通はわかりません。

ですから多くの方が、本道に怖れをなすのです。

さぞ厳しい修行なのではないかと。

これは、ヨーガの中身を知らぬがゆえの先入観です。





さて、気持ち良く取り組んでいたあなたの前に壁が立ちはだかりました。

あなたはとたんに機嫌が悪くなり、悪い思考を生み出し始めます。

これまでのヨーガ(瞑想)の後のように、気持ちよくなれません。

おかしいな?何でだろう…。



あの時のように気持ちよくなりたい。

もう一度。

でも、やってもやってもあの時のような気持ちにはなりません。

やればやるほど、迷いのツボにはまっていきそうになる自分がいます。

いつしか、嫌な自分が出てきて自己嫌悪になってしまいました。

無知さがあらわれ、目の前のことに疑いを生み出すようになるでしょう。

そこではじめて、導師を探し始めるのです。



この流れは、ヨーガ(瞑想)実践者の中で頻繁に起こることです。

ヨーガのガイドラインとして、おぼえておいて下さい。

あなたが、まだヨーガのスタートを切っておらず、先にこのことを知って下さったなら、それは幸運だと言えます。

なぜなら、ほとんどの場合、人々はヨーガ(瞑想)を自己流で続け、心がでたらめになってやっと気づくのですから。




ヨーガ導師の役割は、その鍛え抜かれた洞察力で弟子の資質を見極めます。


ヨーガ導師は、今必要な実践を示し、物質的意識に染まった心身から、心が清められ魂が進化していく浄化の道へと段階的に導いていくことです。

心の曇りを取り除いて、無知な状態に霊的知識の理解力をつけるように導き、生きる息吹を与えます。

修行者は、肉体を持ったグル(霊的指導者)に対して、グルの中のグルである神の現われだと信じ、神同様の崇拝の念を払う。

肉体を持つグルは、弟子にもたらされるすべての良い出来事、幸福の源となる。

一方弟子は、グルの願望や命令に従うことが最高に重要であり、グルを信頼し、ひたむきにゆだねることを知らねばならない。 スワミ・シバナンダジ




現代の日本社会では、このような師弟関係を持つことは、むずかしいかもしれません。

情報が容易く手に入る今日のような時代となってしまっては、真理さえもネットで検索できる時代になりました。

真理に畏敬の念を持つことさえも、忘れてしまったようです。




私事になりますが、インドでヨーガに生きた頃。

昔の話と思いきや、今なお続くヨーガ修行の師弟関係を目の当たりにしていました。

グルに忠実に教えを乞う態度は、現代人は忘れてしまった心の態度です。

ですが、そこにはまだ存在していました。


本当にあるんだー!

もう、感動でした。

ヨーガ修行の師弟関係にある信頼と厳しさ、そして互いの間にある心の美しさ。

それは、言葉の次元を超えたものでした。



現代人はヨーガの効果を、骨盤矯正や身体の歪みの改善など、どんどん原型を姿かたちもなくして、違う品種にしてはヨーガだと見せています。

私は、これまでに出会った師から、そのように教えられたことは一度もありません。



インド人のお弟子さんが、外国人にウケるために、アメリカのヨーガの資格を取ろうとした時がありました。

「インドのヨーガがなぜアメリカに認められなければならない⁈」

「アメリカに魂を売るつもりか⁉︎」

この二言で事は解決です。

弟子が師の言わんとすることを理解するために、何分も話して頂く必要はありません。

現代人の私たちのように、納得いかないという態度が弟子の彼らにはないからです。




同じくしてインドにいた頃、北海道からヨーガ修行に来ていた日本人男性と知り合いになりました。

とても真面目で誠実な印象を今でも憶えています。

お互いに日本へ戻った後、彼からメールが届きました。


「インドにいた頃のように瞑想ができない」


彼はインドにいた頃、私の知人のヨーギについて毎日ヨーガ修行に励んでいました。

ところが、日本に戻り自分でやろうとしても、どうしてもヨーギと一緒だった時のように瞑想できない、心が落ち着かない、困っているとありました。



あの頃の彼にはまだ瞑想は早すぎたのです。

ヨーガの科学の知識もなく一人で目を閉じても、先は心の闇ばかりです。

そのような段階の彼でも、瞑想ができたように感じたのは、ヨーギの高い意識に導かれていたからです。

彼は、やはりこの道には師が必要であることを切実に感じられたようです。

私はメールで、少しのアドバイスを返しましたが、何の効果もないことは十分にわかっていました。



それからしばらくして、また彼から連絡がありました。

以前の弱っている感じがメールにありません。

「人生を預けてもいいと思えるくらいのグルを、やっと見つけました!しばらくインドへ行ってきます!」

おめでとう。





最後に、ヨーガの大師様シバナンダの聖なる言葉を綴ります。


ヨーガ修行者は、誤解や中傷に対して大胆に直面しなければならない。これが、普通人より高く上ろうとする者の運命である。

精神力と勇気が、この運命に立ち向かうために必要である。


たとえ周囲の人々がどう思い、言い、行動しても、常にヨーガ修行者として、自分の位置と正しい考えに確信を持つこと。

人々は軽蔑し迫害するかも知れない。しかし自分で確信を持って生きるために、強い精神力で大胆に受けとめなければならない。

その時、魂は高く成長する。




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