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6月, 2020の投稿を表示しています

お茶をどうぞの一言に込める仕事

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アマゾンプライムで小林聡美さんの出ている作品を楽しんでいます。 「パンとスープとネコ日和り」が好きで、今日もう一度はじめから見ていました。 小林聡美さんの出ている映画は、日常のなんてことない場面を一枚の絵画のように魅せてくれるので、ていねいに生きたくなる気分にさせてくれます。 焼いたお魚の切り身を丁寧に盛り付けて、テーブルで静かにひとり晩酌のシーン。 卵を焼く時のジュワ〜っという音。 猫がただす〜っと通るだけのシュールな場面。 本当になんてことないシーンに見入ってしまう不思議なリズムの作品です。 今日見た中に、岸恵子さんが昔の自分を回想して、「時代も自分も変わってきた」とセリフを言うシーンがありました。 今、世界中でいろいろな人がこのセリフと同じ体験をしているのだろうと思います。 私もそのひとりです。 先日、久しぶりに地下の教室にお客様が訪ねてきてくれました。 個人指導の方です。 しばらく休業していたので私も久しぶりに自分を使う日でした。 きっかけは社会の変化であれ、私たち自身の内にすでに変わる時期がきているのです。 価値観が変わっていく時は、肉体的にも感情的にもエネルギー的にも、精神的にもトータルで、統一して変えていく技術を駆使しなければなりません。 人が変わる時は、自分を構成している要素がすべて同じラインに整った時に、「変容」と「成長」として成就されます。 私は、このラインを統一する手技を提供しているのですが、先日はとても素敵な体験をさせていただきました。 例えば、肩こりがあると一般的にはその痛みがある部分だけを考えます。 でも、人間は複数の部分がつながって一つになった存在なので、全体を視野に入れて肩こりを視る必要があるのです。 この考え方と同じように、心を開放的にするために胸を開くという考えがありますが、いきなり胸は開けません。 胸を開いても良い環境を先に築いて安全な状況を心身ともに準備してからです。 「開く」という言葉はとても魅力的ですが、それは一側面的なものの見方で、あまりうまくいきません。 開くことに伴うマイナスの面も考えて開くことが理にかなった方法です。 様々なプロセスを経て、胸を意識して呼吸をしていただきました。 その後、

本屋さんとスタバの赤いフラペチーノ

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今日は暑い一日でしたね。 なんだかんだと日傘の季節になってしまいました。 電車に乗って15分のところにある大型の本屋さんへ行き、帰りにスタバによりました。 本をジッと物色しているだけなのに、マスクをしているせいで体温が上がり、汗ばんで気持ち悪くなってきました。 誰もいない科学の書棚のコーナーに潜り込んで、マスクをずらして呼吸しました。 ハァ〜っ。 レッスンで呼吸をして安堵感に浸るって、こういう気持ちなのだろうかと思いました。 だとしたら素晴らしいなと思いました。 それほどマスクを外してする呼吸が気持ちよかったのです。 本屋さんで1時間半ほど過ごした後は、どうしようかな〜と思いましたがスタバによってみました。 テーブルと椅子がぎっしりセッティングされた店内はいつも人でいっぱいなのに、ガラ〜んとした空間になっていました。 ガラスケースのフードも在庫がいっぱいありました。 入り口のドアが解放されていて、外の風が入ってくる店内は、パソコンに集中している人たちのあの独特の雰囲気ではなく、ゆる〜い開放感が漂っていました。 お店の方の指示通りに並んでオーダーしたのは赤いフラペチーノ。 本当はフラペチーノとか冷たいものをオーダーすることは滅多にないのですが。 真夏でもホットを「エキストラホット」でカスタマイズです。 久しぶりのスタバで見かけた赤い色の飲み物に魅かれてしまいました。 赤いフラペチーノには、シュワっのタイプと、ゴロっの二種類がありました。 暑かったのでシュワっがよかったのですが、メニューを見たら SOLD OUT のシールがバーンと貼られていてシュンとなってしまいました。 気を取り直し、イチゴのゴロゴロした食かんを楽しめるらしいゴロっにしました。 隣のテーブルとの距離間が、ケンカした子供どうしが机を離す時のようで、妙に開いた間がおかしかったです。 仲間外れにされているように置かれたテーブルに座り、赤いフラペチーノと向き合います。 ホイップを突き抜けて底までストローをさして、飲む前にグルグル何度もグルグル。 ホイップとフラペチーノがほどよく一つになったところで、チュー。 真夏になる前の生温かい外の風と、喉のヒンヤリが重なり合って気持ちいい。 ウットリ目を閉じて飲

顔を使って性格を変える

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昨夜の天気予報では今日も雨の予報でしたが、穏やかに晴れましたね。 部屋の位置替えをして、窓ぎわに机を移動させました。 窓から入ってくる風がパソコンに向かう私の胸と顔をスゥ〜ッと柔らかく通り抜けていきます。 机よりほんの少しだけ高い窓台にピッタリ付けて置いたら、猫がのぼってきました。 机に向かいながら、窓台から外を見ている猫の横顔を見て癒されています。 さて、今日のブログのタイトル、なんだか美容家のようになってしまいました。 顔は、「表情筋」と言われるように感情がダイレクトに現われるところですね。 そして、同じ感情を繰り返すたび同じ表情筋を使います。 すると習慣になって、やがて固定されてしまいますね。 こうして自動的な反応がつくられていきます。 ですから、「なかなか性格が変わらない」というお悩みも、顔の筋肉にその性格が固定されてしまっているから、なんて考えたことありますか? 心が生み出した考えや感情は他の人には見えません。 ですから、骨の位置を変えたり筋肉をキュッと縮めたり、グっと硬めたりすることで表現しています。 ただし、です。 これを無意識にしてはなりませんよ! という注意をヨガは人類に促し、身体のコントロールと、感情を意識して扱うことを教えたのです。 昨日のブログ に、人類がヨーガでどのように進化してきたか簡単にご説明しましたが、過去の人たちは自分の身体と感情を意識的に動かすことを身につけました。 そうすることで、 身体や感情の自動化から解放されて自由を獲得した のです。 しかし、現代人の私たちは、それでもまだ生きづらいと感じる時があります。なぜでしょうか? 何か自分じゃないような、生きづらさみたいな感覚を抱くことはありませんか? 「心と身体はつながっている」とはいえ、肩から下しか身体として認識されていない傾向があります。顔も身体として見てみるとどうでしょうか。 顔ほどわかりやすく心の状態が現れるところはないのでは⁈ だったら、身体を意識するだけではなくもう一つ、顔も意識して動かさなければなりませんね! 自分の顔を観察していると勝手に動く筋肉があることに驚きます。 身体にも勝手に動く筋肉のしわざがありますよ。例えば、猫背やイカリ肩など悪

第二の人生にそなえたい魂の視点

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世界中でヨーガがブームになったのは、マドンナがやっていたから? ではなく、地球人全体の成長が ヨーガの目標の頂点 に近づいてきたからなのだそうです。 そして、私たち現代人はその頂点を極めなければならない人類です。 人類の進化とともに歩んできたヨーガ。 今日までの人間の発達に様々な役割を果たしてきました。 はじめに人類は、ハタ・ヨーガを通して身体を意識的に扱うことを身につけました。 内臓の意義や目的、扱い方を学んで、意識的に行動したり話したりといった、私たちが当たり前に日常でしている行動を身につけたのです。 次第に身体の扱い方が進歩して、肉体一辺倒だった状態に感情的な覚醒が起こり、感情を意識的に扱えるようになりました。 こうして人間社会に演劇が生まれたのだそうです。 この進歩によって人間は、神秘的な気持ちを抱くようになり、宗教心の土台が構築されました。 「原始人」という言葉から猿人のイメージがわいてきませんか? 原始の人間はほとんど動物と変わらなかったと言われます。 その人間が、ハタ・ヨガで自分の身体をコントロールして扱うことを覚え、次に感情を扱うことを覚え、漸進的に進歩をとげたことで今の私たちがあります。 その進歩の努力を引き継いで、21世紀の人類がヨガで果たす課題とはいったい何でしょうか。 意識的な肉体の扱い方を学んで、感情も意識的に扱えるようになった、その次は何を意識的に扱えるようになる? 心です。 魂の道具として心を扱えるようになること。 これが、進化を引き継いでいく私たち現代人の課題です。 この課題は、ラージャ・ヨーガというヨーガの科学によって達成することができます。 ですからヨーガは、私たち人間の成長にずっと伴走してくれているのです。         ラージャ・ヨーガは、この目標を果たすための法則です。 この科学を私たちが実際にやってみることで、目標に最適な脳が覚醒されます。 あなたの魂がもたらすアイデアを、あなた自身が理解できる脳に進歩させるのです。 魂はそれを待ち望んでいます。 私たちの脳といえば何に使われているでしょうか。 日常生活で接している情報を思い出してみて下さい。 テレビやネットから入

スピリチュアルの目覚めへの憧れ

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うだるような暑さが続くのも今日でいったんお休み。 明日からしばらく雨の予報ですね。 当方のブログを、楽しみにしていましたと言うお声をいただきまして、ありがとうございます。 時々、精神的な内容に触れたくなる時がありませんか? 実は、私たちには隠れた衝動があるのです。 自分が精神的に存在できる環境や、成長できる場所を求める、潜在的な欲求があります。 ですから、スピリチュアルな事柄を求めるのは自然なことです。 それをどうか、「怪しい〜」「大丈夫〜?」と 茶化さないで差し上げて欲しいのです。自分にも他人にも。 人からどう思われるかを気にして、その欲求があることに気づいていても隠してしまう人は少なくありません。 実際に当方も、「おかしなことをしていると思われたくないので口外しないで下さい」とそっとお願いされることは何度かありました。 世間の先入観や大衆的価値観は、理解していますので、そんな時は当方もそっと配慮しています。 「精神的覚醒」と言う言葉がありますね。 どういうことかと言うと、例えば自分に何か問題が起きたとします。 「あの人が言ったから」「なんで私だけ」「どうせ私なんて」 「なんでこんな目に合わなきゃならないの!」理不尽な想いが込み上げてきます。 その人が意識している範囲が物質的なこと、五感で理解できることに限定されてしまうと、出来事の理由を探す範囲は自分のネガティブな感情の中に限られてしまいます。 そうすると、嫌な想いをしている自分しか見えてこないので、被害者意識になり相手が憎く見えてしまうのです。 これとは反対に、五感でとらえられない物事の背後にある隠れた理由にも意識が向かうようになることを、「意識の目覚め」や「精神的覚醒」という言葉で表現されています。 では、精神的覚醒を促すものは、何んですかと言ったら、ヨガが登場します。 精神的な雰囲気にさせてくれる魔法は沢山ありますが、その人自体が精神的な人になっているわけではないので、魔法がなくなると日常の自分に戻ります。 自分の心と身体を使って、精神を目覚めさせようという意識で取り組むと、ヨガがはその人を安全に、遠回りせず精神的覚醒をもたらしてくれます。 本にも、その作用があるものもあります。ど

52歳、人生何度目かの転換期とキャリアの関係

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社会の動きが変わり、人間よりモノがどんどんシフトしていきますね。 その後をゼェゼェしながら人間がついて行くという、なんだか妙な世界になりました。 オンライン学習やオンライン会議など、これまで一般的ではありませんでしたが、あっという間に足並み揃えて世界中オンライン化されてしまいました。 さて、自粛の要請はこれまでと違う日常を強制され、ストレスを感じた方もいらっしゃると思います。 私自身もスーパーへ買い物に行く(これが楽しかった😆)以外、毎日家の中でした。 母と猫2匹と暮らしていますが、母と会話するほど友達親子などではありません。 お互いが別の世界を暮らしています。 なので、ドラとロージーと話す以外、言葉を発しませんでした。 とても窮屈な生活に見えますが、私にとってはその逆で、インドに行かなくても自分の家でアシュラム(精神の修行場)生活をするシフトの機会になりました。 人間は言葉で創られていくと言ます。 これまでの常用語が一切この口から発せられないのです。 これは、自分を変えるまたとないチャンスです。 実際の口頭を介した唯一の会話は一人の友人。 ともにアメリのヨガ全盛期から、日本でスピリチュアルが一般的になった時代を駆け抜けた友人も還暦を迎え、私も52歳になりました。 世間は人を不安にさせる情報ばかりですが、友人と私は良い意味で不安や緊張がないぶん笑って話して免疫力もアップ! 沢山の友人を持つより一人でも良いからこういう友人関係がいい。 これは、50代になってつくづく思うことです。 友人じゃない友人を軽く抱え、代わりに人間関係に悩んで枯れているより、一緒に美味しいワインを飲んで、質の良い会話でからつくられていく人間の深みを選びたい。 なぜって、この先はこれまでの生き方がどんどん、どんどん顔に現れてくるのですもの! 自分の中にどんな情報を取り入れるか、 これはとても大切なことです。 「自分探し」や「本当の自分」、「自分らしく生きたい」という想いが出てきた時は、転換期、シフトを迎えているサインの一つです。 しかし、人間が実際にシフトする時は、前述の三つのイメージとは全く異なり、複雑なプロセスを通過していかなけ

満月の願い事はもうしないけれど

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初夏を迎えました。 5月の後半に暖房が活躍した今年の夏の衣装換えは、今朝すませました。 大きなビニール袋がヨガウェアや小物でいっぱいになりました。 30歳になる2ヶ月ほど前にも同じことをしていたなぁ・・・と思い出しました。 10年続けたエアロビクスのインストラクターに終止符を打ち、レオタードやカセット(当時は)、 本などの道具を断捨離して何も残さずフランスへ旅立ちました。 あの頃の写真を1枚くらい残しておけばよかった、なんて思うことも時々あったり。 モノを残しておくより、自分の精神に刻まれていれば未練はありません。 自分の血肉になっていれば言葉になって出てきます。 だから、捨てたことにはならないのです。 それを世間では、「経験がモノを言う」と言うのでしょうか。 やる時はやる、やめる時はやめる。 新しい世界へ行く時は過去の栄光は振りかざさない。 何も知らない赤子のように新しい世界へ旅立とう。 そこには昨日までの私じゃない新しい自分がいるのだから。 10年周期で訪れる人生のシフト。 50代のシフトがこんな形でやってくるとは。 これまでのものを別の形に創造していく工程を終え、 満を持して満月の今日ゴールにたどり着いたような気持ちでいます。 あぁ、軽くなった。 新しい世界はゴールから始まっていきます。 抱えてきたものを手放すことを恐れず、無くなることを怖がらず、無い時はないなりの道を行けばいい。 なくなってももがかないで、耐える心を使って過ごしていきます。 そうすれば、人は年齢に関係なく再生していけることを、シフトの体験を何度か重ねて学びました。 自分の方から形あるものを崩し、白紙にして新しく始めることは勇気がいるけれど、宇宙の方からやってきた流れには逆らえません。 創造ー維持ー破壊、この周期があるのだから。 この周期の意味を知り、今どのプロセスなのか見極める力があれば何も恐れることはない。 自分も自然の一部という自覚に真に目覚めていれば、流れていく力に逆らわず一度は流されます。 これも「委ねる」ということなのだから大自然は手強い。 でも、自分も自然の一部なのだから大自然に委ねていれば力を差し出してくれます。 直観