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6月, 2016の投稿を表示しています

私らしく生きる期限

ふと考えた。 なぜだかわからないけど、 もし今余命を告げられたら私は何をする? この質問は最高だ。 人生をシフトする機会になる。 私はこの「ふと」きたそれを、 神からの囁きと受け止めた。 まず、 *素直に生きる。 もうこの世界から私はいなくなるのだから、 目の前の人に嘘偽りを語るのをやめる。 *自分が嫌なことは今からしない。 これ以上おかしなカルマをこしらえたくないから。 *来るべきことを自由に来させ、 去るべきものを自由に去らせる。 *何も望まない。 だってここからいなくなるのだもの。 *何も所有しない。 だってここでしか使用できないから。 何かをしたいか?と言えば ない。 あそこも行きたい、 あれもしておきたい。 この人にも会っておきたいとかも? ない。 探したけどなかった。 ただ、 心の中を整理しておきたい。 怒りや許してない想いや人があれば、 ここで手放していきたい。 そう思った。 死んで持っていけるものは 今の私には何一つ無い という 究極なことがわかった。 なんてありがたいことだろう。 「これをしなきゃ!」そんな衝動もない。 「ここでないと自分らしく生きられない」と自分を限定することもない。 「これがなくちゃ生きていけない」と自分を小さく制限することもない。 こんな制限や条件にしがみつく想い、 まるで餓鬼じゃない⁈ しかし、 ここではこんな想いを抱えた人がいっぱいいる。。。 唯一ここでもあっちでも通用するものが たった一つだけある。 神の力だ。 きっと死ぬ瞬間 私はこう思うだろう。 「神様ありがとう」 ここでは、 神なくして成し遂げられたことは何もなかった。 母の産道を私が通過することを押してくれた力。 ここまで大きく育った肉体の成長。 ぜんぶ私がしたことじゃない。 ヨーガに出会えたこと。 そして、 ヨーガの誤った道から軌道修正できたのも。 今こうしてここにいるのも、 これら全て神の力だもの。 私の中を 皆んなの中を流れる唯一の力。 何も望まなくていい。 何も所有しなくていい。 唯一のことだけわかったら 楽になった。 すごい質問だった。

ヨーガと良質なお水で軽やかに生きる

当教室でヨーガのレッスンをしている生徒様の80%は、 良質なお水を意識的に取り入れています。 ヨーガは、自らの波動を純粋な性質に変えていきます。 その方法が、ポーズや呼吸法、瞑想、心をキレイにする生き方などです。 食事はもちろん、思考や睡眠の質、 目に入る情報も波動に影響していることを意識して取り入れていきます。 とは言え、時間に追われる日常では、 全部を意識することはなかなかできません。 ですから、シンプルに、且つ気軽にできて、 しかも大きな効果を出してくれる方法をとりましょう! それが、質の良いお水を飲むことです。 質が良いというのは、成分が良いという意味もありますが、 より大切になるのは波動が良いということです。 私たち人間は、もとをただせば波動の存在と言われます。 ですから、自分の波動を高めていくように心がけると、 目に見える肉体や心もそれに応じて変化していきます。 つまり、ヨーガは目に見えるところを変えていこうとするより、 目に見える結果となる原因の部分を変えていくのです。 ですから、波動の状態を重視しています。 しかし、波動は目に見えないので、状態を自覚することができません。 その代わりに、体の不調や痛み、 気分にムラがあってイライラしたり、 落ち着かなくなったり、 不安になったり、 やる気が起きないという症状に現われます。 そんな時、波動が乱れている時です。 心と体を整えるということは、つまり、波動を整えるという意味でもあるのです。 良い波動のものを取り入れれば、 ネガティブな波動は高い波動の影響を受け、浄化されていきます。 良い波動のお水には、浄化の作用があるので意識的に取り入れたいですね。 自分の波動を、いつもベストな状態にしておくことができれば、 より生きやすくなり、体も疲れにくくなります。 しかし、様々なものに囲まれ影響を受ける日常の中では 波動が乱れるのは避けようがありません。 ですから、整えて生きる習慣を持つとよいのです。 その方法が、ヨーガ、そして波動の良いお水を飲むことです。

インドの動画

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こちらの動画を、よろしければちょっとご覧下さい。 眺めていると なんだか皆んな苦しんでないよ。 なんで? 風の中で皆んな自分のカラダに気持ちよさそう。。。 私も自分のカラダにジーッと佇んでみたい。 そう思えてくるような動画です。 動画のポーズと同じじゃなきゃダメなの? いいえ。 それではチャレンジすることになります。 それはヨーガにはなりません。 あなたの今やれるところでカラダを止める。 すると この動画の人たちのような静けさの境地が訪れます。 秘訣はポーズにチャレンジしないこと。 チャレンジしているとチャレンジのための時間になってしまうからです。 チャレンジの中に静けさはありませんよね? あなたのカラダにもこの動画の人たちのような静けさが あるんですよ。 私のヨーガレッスンでは、 この動画の中と同じような静けさの中で 皆さまヨーガをされていますよ。 あなたもやってみたくなったら お声かけて下さいね。

カラダの言い分

心よ、どうしてそんなにヨーガのポーズに頑張るの? ねぇどうして体をそんな小さな部屋に閉じこめて熱にさらすの? どうしてそんなに体をキリキリ締めつけるの? どうしてそんなに動かなきゃダメなの? ポーズが出来ても心の劣等感はなくならないよ。 そんな心には気づかない。 だからもっと体を使って難しいポーズをやろうとするね。 難しいポーズをしている人がヒーローに見えるんだね。 そんなふうに映っているその心をよく観て? 心と体を一時停止してみたことある? 時にはオブジェのように止まってみようよ? ポーズに頑張っている時も心はグルグル動いてるよ。 だから自分の心がますますわからなくなるんだよ。 ヨーガは心を止める練習なんだよ。 心は止まれないから止まる練習をする。 止まってみるとわかるから。 どれだけ止まれない心になってしまったか。 でもいつかきっと知る時がくる。 止まれることが強さなんだってこと。 オブジェのように心と体を止めてみたくない? 心と体は動いてる時より止まった時の方が気持ちいい。 どうして? 止まってくれた時にやっと あなたをずっと支えてる神の力が出てくるからだよ。

あなたの中のウーマン・ウォリアー

人生の困難にも情熱で向き合い、 心身ともに強く、 行く手にはだかるどんな魂の試練にも応じる彼女は誰? 女戦士 ウーマン・ウォリアー。 内面は穏やかで調和がとれている彼女。 でも、 必要な時には火山のごとく突撃に出れる宇宙エネルギー。 シャクティ。 なぜ、現代は多くのヨガ雑誌は、 美しいポーズをした女性のカラダばかり見せるのでしょうか? 地上の魂がヨーガを手段に昇華せんとするその働きに、 肉体意識に固執させるメカニズムは強く、 しばしば人々に頑迷と苦痛をもたらします。 女性たちは何年も苦しんでいます。 「もっと痩せなければ!」 何千年もの間、 霊的指導者たちの教えがあったにも関わらず 精神性を高めようとする時に働く闇の勢力を 私たちは超えることはできないのでしょうか? 「あなたの中の女性原理を目覚めさせることです」。 女性性の特質である忍耐とともに知る真実は尊く、 自分の目的を知った女性意識は、 あらゆる反作用を愛で理解し、 包み、 優しくたしなめるように闇を愛に変容します。 あなたの中の女性戦士を目覚めさせれば、 破壊的な行動から調和の行動に変わっていきます。 女性性とはおとなしく受け身で、 支配に服従することではありません。   ウーマン・ウォリアーの精神は、 利益からではなくハートから選択し、 自分の中の闇の勢力に立ち向かう力です。 エゴではなく愛からなるあなたの信念を守り、 信念に基づいた行動が、 あなたの人生で力強くとれるようになります。 武器ではなく、 ハートの矢からネガティブな勢力を射るのです。 家族、社会、環境、 グローバル、宇宙と多次元を ひとつの世界として見る意識から、 互いに魂の存在であることを認め合う 唱導者となることができるのは、 男性にも女性にもそなわった女性原理、 ウーマン・ウォリアーの精神です。

愛が溢れてる!ヨーガ個人指導、愛の体験記

ヨーガ個人セッションを、 定期的に続けて下さっている ヨガインストラクターである生徒様の ご感想を、皆さまと分かち合いたいと思います。 彼女が私の教室を初めて訪れて下さったのは、 2年前の12月。 リュックを背負われ、 カチコチに緊張してやって来てくれました。 正座をしても すぐに脚を痺れさせ ウンウン唸る。 「貴女それでヨガのインストラクターですか?」 私にたしなめられ(-_^) 腹を立ててやめることも出来たであろうに。 しかし、彼女は粘り強かった! コツコツ、 コツコツ教室に通われ 少しずつ本来の才能を開かれていってます。 気づけば私は、 大人になっていく人様のお姿を 見守らせて頂く年齢になりました。 自分の身内でも子供でもない そんな関係性のそれは 魂のガイドだと自負しています。 見守ることの喜びを私に与えて下さった 貴女のその無垢な学ぶ姿勢に 感謝いたします。 Thank you for being my student. 今日は私が定期的に通わせていただいている 先生のセンシティブ・ヨガをご紹介します。 定期的に通っていると言うと驚かれることがあります。 「休みの日もヨガ?」 「え!?船橋まで行ってるの?」 でも、 ここでしか体験できない ことがあるのです。 個人セッションで、先生に触れていただくと、思わず 涙が出てきます。 それは、委ねられる安心感、 身体の伸ばしたい方向に伸びる気持ち良さ、 胸が開く心地よさ、 胸いっぱいに満たされる感覚、 先生の温かさ、 優しさ、 溢れ出す喜び。 その全てが、一度に押し寄せてきます。 言葉では表現できない感動を経験できます。 興奮して鼻息が荒くなる自分を必死で押さえて、 冷静に呼吸を繰り返します。 その後目を閉じると、 全身が温まり、 満たされた自分 を感じます。 全てを受け入れ、 全てに感謝する。 きっとこれが 愛 なんだな、と思います。 言葉で言っても伝わりにくいのがもどかしいですが、 是非みなさんに経験していただきたいです。 悲しいこと、辛いこと、腹が立つこと。 生きていると必ず出会います。 でもそんなと

体は内側の力をあらわす祠

体は私たち人間にとって、 何のためにあるのでしょうか? 肉体に宿って生きる魂である私たち人間は、 一人一人授かったこの体をドリルとして 魂の力を体現していくことを 学んでいるのかもしれません。 そのベーシックドリルは、 自分の体を大事に扱うことから始まります。 肉体は魂が宿る小さな祠(ほこら)です。 神様の分け御霊である魂が宿っている小堂なのです。 「私の小さな神様」が宿っている小堂を大事にすることから 慈悲の心を育み、 内に秘めた力を体に行き渡らせます。 血を流し、 体を温め、 体を通してその力を外に発現していきます。 人間社会では、 頭脳明晰な人物が素晴らしいとされます。 しかし、 決してそうとは言い切れないのです。 頭が良くても意識が鈍い人はいます。 その人が体とどういう関係性か見てみると、 今なぜこの人が苦しんでいるのか、 どこかわかるような気がする時があります。 体を大事にしようと思っても どこかで無意識に 体が悲鳴をあげたり 痛がることをしてしまったり、 体に無茶な事をしてしまう人がいます。 体が変化を見せて良くなっていく矢先に、 元に戻ることを無意識にしてしまう人もいます。 なぜ自分体にこんなことをしてしまうのでしょう? 心と体はつながっているからです。 心の状態が体の扱い方に現れます。 体とその人の考え方や生き方の間には 深い関係があるのです。 「こうしたいこうなりたい」と口で言っている事と、 実際の行動が一致しないことはよくあることです。 しかし、 自分でこの矛盾に気づかないと、 ヨーガはいっこうに進歩していかないのです。 ヨーガのレッスンで気づいたことや習ったことを 実際の生活や仕事の中で活かしていくことの方が、 本当のヨーガです。 ですからヨーガ教室でのレッスンは、 そのためのシュミレーションであり練習の場なのです。 現代人はまずヨーガを始めたら、 体を大事にすることから学ばなければなりません。 体の本当の意味と役目を学ぶことです。 これを知ってはじめて、 自分の体と正しい関係を持つことがで

体の声を聴くことからつながる愛のセンター

人生には様々な予期せぬことがあります。 できれば自分には起きてほしくありません。 誰もがそう思います。 しかし、 問題がない人生はないのです。 問題があるのが人生なのです。 そう理解の順序を組み替えると 静かな諦めが心に訪れます。 そうしてまた一つエゴさんが、 速やかに光りのエネルギーへと昇華していくのです。 でも、 また何かが起きて 問題解決しようとエゴさんが問題自体を支配しようとしたら、 この理解の順序の組み替えを思い出し 、 問題は問題などではなく エゴを昇華させてあげる チャンスに変えてあげようと思います。 それでもどうしても 問題からエゴさんが離れず、 なんとかして事態をコントロールしようとする 悪循環にハマってしまったら? 問題に対して頭の声まで介入してきたら? どうやってこの状況から脱したらよいのですか? 体と対話してみましょう。 センシティブ・ヨガを使って下さい。 私自身も実践していることなのですが、 体を使って自分の心に向き合っていきます。 その時の私の心の状態に適したアーサナを選び、 体にそっと刺激を与えていきます。 アーサナの刺激を受けた筋肉 呼吸 体温から鼓動や血の流れ 血圧 エネルギーの流れ、感情、思考と 一つ一つ粗雑なものから繊細なものへと意識の目を泳がせながら 一つ一つ扉を開けていくように 濃霧の中を歩くように静かに客観視していくのです。 体は内側につながるゲートです。 「内側とつながれない?」 大丈夫ですよ。 つながれない人なんて一人もいないのです。 「スピリチュアルなんてーそんなもん!」 と言いそうな男性でも センシティブ・ヨガをツールにすればつながれます。 だって、 私たち人間は内側があるから人間なんですよ。 つながれないはずはないのです。 体を通過して内側へ。 粗雑な次元から微細な次元へ。 その微細な次元に 問題(そう見えてしまった)に飲み込まれた状態から あなたの意識を引き上げてくれる 過去から今に目を覚ましてくれる 大事な答えに気づかせてくれる 愛のセンターが存在しています。 あなたのセンターに触れることができたら、 現実には問題が解決していないように見えたとしても、 あなたには何かこれを乗り越えていけそうな 静かな力を感じるはずです。 私たちの体は、 内側の存在の言葉にならない声を 受信するセンサーなのです。 ですから、

過去を愛で眺められた時に

私は今朝 何とも言えない安堵感に包まれた体験をしました。 言葉に出来ないのですが。 それはまるで、 天使たちがまわりにやって来て 本当の私を覆っていた布のような覆いを フワ〜っと外されていったその身軽さ。 鎧を取って重苦しさからやっと解放されたような。 そんな感覚を味わいました。 だからと言って、 日常が劇的に変化したわけではありません。 急にお金が引き寄せられたとか 欲しいものがやってきたとか何んとか…。 そんな素晴らしい感覚を体験したのだもの さぞ日常も大きく変化したのだろうと期待したいところですが。 そんなことさえ忘れるほどに 日常よりも大きな変革は 私のこの内側の意識です。 日常をとらえ反応するこの意識が変われば 日常もそれに連なり変わります。 これまでと同じに まったく映ってこないからです。 私は今朝ひとつ 大きな清算をしたような気がします。 過去を愛で受け入れる。 愛から過去に反応できた時 それがどんなにネガティヴな出来事や 辛いものであったとしても、 愛の意識で眺められたなら そのエネルギーは愛に昇華して 宇宙の一部になって消えていきます。 これで人生劇は ひとつフィナーレを迎えました。 ひとつ過去が愛に昇華されたことにより、 私の中の分裂していたエネルギーは、 プラスマイナスゼロになって 私の魂の光りが一段階深まっていくのです。 この清算のチャンスは常に私たち魂に訪れているのですが、 つい習慣や過去の癖が先に反応してしまい 愛で受け入れる反応のチャンスを逃してしまいます。 でも、 ここに自分の反応を観ている意識があれば 習慣的な反応を自動的に表出してしまうことを コントロールできます。 相手の言うことに 過去と同じ反応で返すのではなく、 相手の言うことを今はただ聴く。 反応しないで今はただ聴く。 そうして反応と自分の間にスペースを作っていくのです。 すると段々と過去が再現される力が薄れ その隙間で新しい反応を返すことができるのです。 相手と私の間に新しい関係が生まれます。   これまでの生の中で何度も私のことを知っていたこと。 大切な存在であること。 愛してる。 人間の感情ドラマの次元からのものではないこれらの言葉に 私は愛を体験したように思いました。 それは、 好きな男性から言われる「愛してる」とはまた違い 普遍的な愛のようでした。 これまでしてき