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10月, 2020の投稿を表示しています

ザ・マインド

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これは、真理を自分を通して表現するというマインドのトレーニングです。 進化していくための実践的心理学とも言えるでしょう。 その知識が秘教のヨーガ・スートラです。 人間とは本質的にどのようなものか、 どのようにすればその本質を体現できるのか、 又それらを妨げているものは何なのか。 このような疑問に明解かつ論理的に答えている秘教。 理解に挑むことは後に大きな一つの結果をもたらします。 意識の進化です。 秘教は、物事を深く考察し理解する訓練をマインドに与えてくれます。 私たちの日頃のマインドの使い方は単純な傾向にあります。 例えば、テレビやネットの画面にはテロップや効果音が常に流れ、何でもわかりやすくなっています。 マインドは低位の働きになる一方です。 だからこそあえて現代にいながら古代の秘教に接します。 そうして直観と理性を働かせる機会をマインドに与えるのです。 秘教を読むとはじめは猛烈に眠くなるかもしれません。 この眠気がマインドのレベルを知らしめているのだと理解して、諦めずに続けていくと必ずマインドに成長の芽が出てきます。 秘教の文章を読むことは、この時代の瞑想です。 身体を使ってヨーガのポーズにチャレンジすることが今日までのヨーガだとしたら、 これからは智慧の言葉を頭の中に並べ、ポーズを維持したように文章を頭の中にとどめておきながら考え、瞑想します。 そうして内側から理解がわいてくるように静かに待つことを覚えていきます。 マインドがこのような瞑想的な態度を身につけると、マインドが魂とつながるようにマインドと脳がつながって、散漫で落ち着きのなかった心が整い、直観という高い認識力が少しずつ目覚めていきます。

分裂から統合へ

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今朝、夢から目覚めました。 タヒチへの航空券をプレゼントされるのですが、夢だとわかって見ている不思議な感覚でした。 南の島で生きることを夢見てた頃があったなぁと思い出しました。 どうして人は現実にないところから様々な理想を描けるのかと考えると、そうした記憶が心の奥にあるからなのかもしれません、ね。 でも、意識が拡大してくると脳裏に自動的に描かれる理想や想像に(それらには良し悪しありますが)大袈裟に反応しなくなります。 前なら(20代)浮かんできても客観的に気づけることもなく浮かぶままに思い考え、行動していました。 それがすべての問題の根源だったとは知らずにいたことは、なんとも無防備な生き方をしていたのだろうと思います。 20代の頃は派手に生きていたぶん敵も多かったと思います。 自分の心が現実をそうさせていたのだと今はわかりますが、当時は知る由もなく、自分の心について悩むことも身体を休めることもしませんでした。 でも、問題が多かったのは確かです、心にも身体にも。 そんな私が「協調」「調和」「平和」という言葉に意識が向くようになったのは、心理学を学んでヨーガを始めるようになってからです。 心理学は私にとってヨーガに出会うための準備でした。 これまでの我がまま放題の生き方を省みることをさせていただけたと思っています。 そうして自分が変わりはじめると、もっと本質的に自分自身を再生していくものはないかと考えるようになりました。 それが私にとってはヨーガだったのですが、実践することで意識が拡大してくると、いかに自分自身が問題の発端だったか見えてくるようになったのです。 これがわかったおかげで生きることの苦しさの半分以上がとれました。 なぜなら、他人や環境のせいにする理由が見当たらなくなってしまったからです。 自分に原因があることがわかるのはショックでしたが、もう自分を立て直すしか道はないと覚悟できるようになりました。 私がヨーガに夢中になっているのはこのためです。 自分が病気だとわかったら病について知るために本を読んだり、治療法を探したり、治療に一生懸命になると思います。それと全く同じです。 分裂していた自分を統合に向け始めると、まだ過程でありながらも色々な変化が出始めま

ある地点に到達するまでは講座を活用した方が実は早道

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私は小学2年生までは賢かった記憶があります、それ以降は落ちこぼれでした。 そんな私を学ぶことに夢中にさせてくれたのが、心理学の学校の担任でした。 なんと言っても説明がうまい!面白い楽しい! わかりやすいのはもちろん、聞いているだけで理解力がどんどん開花され、授業のたび思考の力を鍛えた充実感がありました。 1年通いましたが、もっと学んでいたかったくらい学ぶことが毎回新鮮でした。 うまい講師は知識を教えることを通して人生に影響を与えてくれます。 このことを知ったのは恩師の存在でした。 しかし、講師を通して知識を得る方法と違って1人で本を読むことは有効的に働いているのでしょうか?! 本を読む言葉は会話と違ってリズム感もなく、身振りもないから抑揚がありません。 単調になるから脳も鈍くなり読んでも頭に入ってこない、だから眠くなるというパターンになります。 これとは違って講座はこの問題を解決してくれます。 解説も教えることも上手だけじゃない、それが天職のような講師に当たると、1人で本を読むことからは得られない勢いで知識を吸収できます。 知識を自分を変える力にして提供してもらえるのです。 むずかしい内容に直面した時も、講師が要点をかいつまんで大切な部分に引きつけて集中させてくれます。 講座では、このような講師の指導技術があるからこそ受講者の脳が活性化され、言葉を理解しようと活動してくれるのです。 それではなぜ、一人で本を読んでも知識がそこまで自分に影響しないのでしょうか⁇ それは、重点を置くべきところと読み飛ばして良いところの見極めがつかず同じ力配分で読んでしまうからです。 すべて同じリズムと集中力で読んでいると平坦になって入っていかないのです。 そんな中でも簡単に読めてしまう本もあると思います。 それは、自分がすでに知っていることが書いてある本です。 脳が新しいことを理解する運動をしなくて済みます。 ですから簡単に読めてしまいますが、あまりためにならなかったのではないかと思います。 その反対に、最後まで読めないどころか始めの数ページでやめてしまう本があると思います。 実は、読むのがむずかしい本とそこから得られるものはトレードオフの関係にあります。 むずかしい本の中にこそ、人間の力になる為に

感情的なパーソナルマインドから魂のハイヤーマインドへ

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精神界の力は物質界の私たちが手に取りやすいように三つの様相に分化されて現れています。 しかし、一般的な人々が肉体的健康をメインに人生を考えるように一つの面しか見えなくなるのが人間です。 しかし、あるレベルに達すると人間はその限界に気づき超えようとします。 私たちはすでに人間という姿形になって生きているけれど、自分が生まれた意味や本質、生命の法則を知ろうとする意志が芽生えるのです。 ニューノーマル。 この言葉は単に生活様式が変わることだけを示唆しているのではないでしょう。 新しい次元への過渡期は古いものは手放して行かなければなりません。 その心構えを促されているのではないでしょうか。 人類の意識が新しく変わっていく過渡期です。 意識は、生活レベルの意識では気づかないほど微細な変化で進化上しています。 気づかないくらいの変化が、水面下では大きな影響となっていることを自覚できるのは、これまでの人格を客観的に見えるようになった時です。 自分を客観的にとらえても、何年も生きてきた人格や感情を浅い客観視では負けてしまうのは自然なことです。 ヨーガ・スートラに書いてあるように、自分を客観的に見続けていると、古い皮膚が新しい皮膚に変わるように過去の人格が意識から離れていきます。 昨日までの人格を他人を観るように眺めることができるようになるから意識の変容とは不思議なものです。 その時、同時にパーソナリティーの浄化という大きな波が押し寄せてきます。 これは、自己嫌悪や自己否定になっていく、誰にも会いたくない引きこもりたくなる、殻に閉じこもるようになることではありません。 自分の愚かさから学ぶ精神的学びです。 高位のマインドを使って過去を冷静に査定していく中に、意識の成長をかいま見ることができます。 傍観者になって自分を観れば観るほど過去の言動の動機が見えてきます。 隠れた動機がないかよく観て、出来る限り表面化させてパーソナリティーを浄化します。 感情的な低位のパーソナリティーが浄化されればされるほど魂の高位のマインドが発達します。 そうして人間はパーソナリティーに魂の性質を顕して生きていくようになるのです。 集中が伴った精神的意識の中でこそ、感情的にではなく冷静に自分の言動や隠れた動機を観ていくことができます。 思考の力を精神的に使うこと、ハイヤーマインドが優位に働いている中で自分の行