レモンを美味しいレモネードにするマインドの力
精神的な本を読んでいると「人間の力は神と同じである」 という一文を見たことはありませんか。 表現が極端になると自分のこととして考えられなくなりますよね。 なぜ、このように精神世界の表現は非日常的なのでしょうか。 精神世界の知識は物事のアイディアがあるところです。 意味がわからないからと言って投げてしまうのはもったいないです。 今日は、精神世界の知識の活かし方について書いていきます。 例えば「モーセの十戒」では、神の力を海を真っ二つに裂いてしまう象徴的な表現で描かれていますね。 もちろん、このような神わざを私たちもするわけではありません。 海を二つに裂く象徴的な中に込められた意味を理解して、問題や悩みを解決する際の行動に応用するのです。 私たちの現実の背後にある見えない世界は象徴的な世界です。 人間には、その象徴を知的な活動を通して創造する力があります。 例えば、レモンを生で食べると酸っぱいだけです。 でも、シロップを入れたりソーダで割ると美味しい飲み物に変わります。 先入観や偏見を入れず、ありのままにレモンを観察した人が発想を得て人々に喜ばれるカタチにしたのです。 私たちは当たり前にレモネードの味を知っています。 でも、初めてそれを発想した人のレモネードはどこからきたのでしょう? 大本の知識がレモンだとすると、知識という資源をカタチにする際の知的な活動が「人間の力は潜在的に神と同じである」と言われるところです。 レモンという象徴に集中して観察をして、意味を理解してカタチに具現化していくのです。 この過程のことを瞑想と言います。 その行動が利他の心から発動するとき、神の力が人間を通して働いていると言われます。 人間社会には、様々な人を通して様々なカタチになってその力が現れています。 意識の発達段階によって知性も能力も、現れる活動も様々です。 なぜなら一人ひとり意識のレベルは異なり、持って生まれた資質も違うからです。 海を真っ二つに裂けることができなくても、神の力が私たちに及んでいないわけではありません。 人間は、困っている人に手を差し伸べようとする動機がわくときがありませんか。 人の役に立ちたいという想いがわくとき、自分を通して大きな力を感じませんか?