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ヨーガ教室のトゥルシー、ヨーガの聖地リシケシへ旅立つ

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  当ヨーガ教室で咲くホーリーバジル。 伸びすぎてきたため一度カットしましたが、また伸びてきた様子です。 今夏は、ステキな巡り合わせがありました。 遠い知人から「紹介したい女性がいる」と連絡があり、東京駅で待ち合わせすることに。 そこに現れたのは、リシケシから一時帰国中の可愛らしい女性の方(Yさん)でした。 Yさんのご実家は中国地方ですが、帰国中はお兄様の単身先の千葉に一時滞在しているとのこと。 しかし、千葉といっても範囲は広い。 それがなんと私の家から電車で30分という近距離が好機となって、Yさんの帰国中に2度お会いでき、インドに戻る前日にもお見送りできました。 Yさんから伺う現在のリシケシは、私が滞在していた頃に比べ発展している様子が伺えました。 しかし変わらないのはヨーガ事情。 インドに行ったからといってヨーガがわかるようになるわけではないことは、私が滞在していた頃と変わりません。 場所を変えれば自分が変わるわけではないことと同じように、ヨーガは物理的な条件によって成し遂げられていくわけではないのです。 インドに行くことも一つの選択肢ですが、絶対的ではありません。 自分自身のヨーガに対する動機、ヨーガの目的意識が結果を左右するからです。 あの小さな街が迷路のように見えます。 袋小路で悩んでいるたくさんの魂が見えるようです。 魂の救済はただ一つ、光、それは智恵。 リシケシにトゥルシーが咲いて、迷いのエネルギーが智恵に昇華されていったらいいなぁと常々考えていました。 想いは必ず実現されるもの人と人の出会いによって。 昨日リシケシに戻って行かれたYさんに、当教室で咲いたトゥルシーの種をたくしました。

Eさんのヨーガレッスン体験記

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今日は、6月から当教室でヨーガを始められたEさんのレッスン日誌をご紹介いたします。 心と体の反応を観る。 この観察の意識を持続させていくヨーガを通して、Eさんの心情が、暖かさから感謝へ安心感へと変わっていく様子が文章から伝わってきます。 ※ 心と体の反応、認識のあり方は千差万別。 Eさん、手記をシェアしてくださり、ありがとうございました。 初めに、マットの上に仰向けになりました。 片方の手のひらを下腹部に乗せ、もう片方の手のひらは、小指を瞼の上に乗せるようにしておでこに乗せます。 呼吸をしていると、手のひらから血の流れや体の動きを感じました。 手の暖かさで体が緩んで、安心してくるのがわかります。  次は、みぞおちに手のひらをのせました。 おでこに乗せた手は、喉にのせて呼吸しました。 吸う時は、肩から首の筋肉が少し動き、胸が広がって鎖骨の動きを少し感じます。 吐く時は、肩から首までの筋肉が少し緩んで、鎖骨が沈んでいきます。 みぞおちにのせた手が、呼吸と一緒に動いていることを感じることが出来ました。 手の暖かさでみぞおちが暖まり、少し普段の疲れが取れていくのがわかります。 心臓のあたりに両手を重ねました。 心臓の鼓動や動きが手からつたわり、血液が流れる振動が感じられました。 体の流れ、自分の体が動いてくれていることを感じ、体への感謝を思いました。  仰向けから体を起こし、座って合掌しました。 祈りと感謝の気持ちで目を閉じます。 広い心の奥底まで高いところから見渡せる、そんな自分になったような感覚でいました。 すると先生が、「自分で自分をただ観ている、この観ている自分に意識を合わせていく」と仰ったのが聞こえてきました。 座って合掌している自分が、実際にどんな姿勢でいるのか想像してみました。 心を見渡せる場所で自分を観ている、そんな自分がいるのを感じました。 そうすると、だんだんと自分の体の2mか3mくらい外側に、自分を包む丸い自分の意識のような何かがわかり、その丸の中でただ集中している自分がいるのを感じました。  その意識でヨーガを続けていると、目を閉じているのに、一緒にレッスンを受けている方の動きが感じられました。 動きの速度は違えど同じ動作をしている「一体感」のようなものを感じます。 それぞれが自分と向き合い、集中していることもわかりました。 心地良さ、安心感を、自分

高次の意識に覚醒するヨーガのレッスン法

「精神世界の知識を学び続けているけど身にならない」とおっしゃる方に共通した盲点があります。 それは、体を放置していることです。 高次の意識に目覚める際に欠かせないものは、あなたの体だからです。 体には、本来の意義があります。 不可視の魂を表現、体現するためのものです。 ですから、誰もが自分の体を魂のエネルギーに対応できる体にグレードアップさせなければならないのです。 そのグレードアップさせるときのモデルが、「統合化」です。 魂の力は、肉体、感情体、精神体の三つの体が統合して働く健康な体に、その力を及ばせることができます。 このことから、健康とは三つの体が統合して働く結果だということがわかりますね。 さて、昨日のブログの続きです。 高次の意識を開発するヨーガレッスンをご紹介しましょう。 特別な技術もいらない、誰でもできる簡単な方法です。 体の動き・呼吸、これを常に意識的に行います。 そして、これらを行なっている自分を客観視してください。 体を動かす意識、呼吸をする意識、それらを観ている意識、この三つを同時に行ないます。 これまでのヨーガレッスンでは、どれか一つだけを意識してきたかもしれません。 さぁ次は、同時に三つの意識を一つの行為の中で同時に行なってみてください。 そうすることで、三つの体を統合するアプローチになります。 三つの体が統合されると一段上の身体機能に向上し、低次から高次の意識に切り替わります。 三つの意識を同時並行的に、意識的に使い、それをレッスンの間持続できるようになることを目指しましょう。 ですから、動きは極シンプルなものでなければなりません。 なぜなら、複雑な動きにすると一生懸命になる癖が出て、 低次の肉体意識に落ちてしまう からです。 次、ヨーガクラスに参加する際、本日のブログを思い出して意識して行なってみてくださいね。

高次の意識を開発する成長段階

人間は、いつかは必ず意識の開発に取り組まなければならないように進化の種が内臓されています。 「意識?!どういうこと?!」なんて反応がわいてきたとしても、誰もが意図的に自分の意識の発達に取り組むように設計されているのです。 それが、今生になるか来世になるかは人それぞれに時期があるだけのことです。 いざそのときがやってきた時のために、意識の成長についてわずかでも知っておきましょう! 「高次の意識」といわれる意識状態があります。 この言葉だけを見ると、「怪しい」「スピリチュアル?!」「怖い」そんなイメージがわいてくるかもしれません。 なぜ、知る前からこのような反応が出てしまうのでしょうか? 人間の意識は、発達段階が低次の段階にあるときは、まだ知らないこと、理解不能なもの、一般に知られていないもの、未知のものに対して、猜疑心や不安を抱きます。 怪しいイメージが頭のなかを占領してしまうと、抵抗感が出てきます。 こうして真の意味を知る前に、知る機会を遠ざけてしまうのです。 根拠のない「怪しい」「怖い」というイメージがあると、前進する力を奪われます。 自分のなかのイメージを、言葉がもつ本来の意味を知って健全な理解に変えていきましょう。 では、次の文章から日常をふりかえってみてください。 怒りや恐れ、不安などの感情にのみ込まれているとき、まともな考えは浮かんできますか?まともに考えることはできますか? 「あの人はこうだからこうだ」というように、決めつける断定的な思考が自分のなかにあるとき、ものごとを良好に運ぶ考えは浮かんできますか? まともな感情がわいてこない、まともな思考が働かない。 感情と思考そのものが悪いように思えます。 しかし、感情も思考の働き方も意識状態によって変わるものなのです。 「働き」には、低次・高次、ハイ&ローというように二重の働きがあります。 この法則は、私たちの意識にも当てはまります。 ですから、低次の意識・高次の意識があるのです。 低次の意識は、動く、繰り返す、習慣的な反応や感情・思考など、ルーティンワークに使われます。 一方、高次の意識は、考える、表現する、新しいことを発想する、物事を創造する、このような能力を 意識的に 行っているときに使われます。 日ごろ、どちらの意識状態にあるでしょうか? 低次の意識状態は、自動的な活動状態にあるときに優位になります。

ヨーガを選んだ理由がわかれば実践力が増す

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最寄り駅から家に向かうまっすぐの道では、駅の脇道から車道に出たとき遠くに目をやると、家の三角屋根が見えます。 遠路はるばる教室にお越しくださる方々が、遠方に見える緑の屋根を目指して、参道を歩くようにこの道を歩んでくださるといいなぁ、と思いながら私自身も歩いています。 道は、どんな志しで歩むかによって進む方向も途中で得るものも、結果も変わるからです。 そして、何のためのヨーガレッスンを受けるのか、ヨーガを実践してどんな力を得て、その力でどんな自分になりたいのか。 この目標が見えていれば、見えていない人の頑迷の道にある迷うだけの困難とは異なり、困難を成長の糧にすることができます。 人間は困難を乗り越えてこそ変容していくもの、この事実を自分を通して実感できるでしょう。 さて、今日のブログは、ヨーガレッスンに対する認識を深化させていくことを目的に進めていきます。 「自分は何のためにヨーガのクラスを受けているのか」 この認識をしっかり持ってクラスに参加できるようになりましょう。 そうすれば、自分の実践するヨーガこそが目標を具現化する比類なき力になるからです。 ヨーガは、潜在された自分の内面を発掘し、表面に現し人格化させていくための実践です。 もし、これからヨーガクラスを探すとしたら、深く検討するところは、自分の思考と感情のOSを高めるトレーニングとなり得るかどうかという点です。 ヨーガクラスで行うストレッチや呼吸、リラックスが、自分の認知能力を高める鍛錬となり得るものかどうかを見極めることが重要です。 この点は、私自身も吟味しました。 近所だから、安いから、有名なスタジオだから、という理由から教室を選ぶのではなく、このトレーニングを指導できる先生を探しました。 ここは絶対に妥協できない点でした。 今すでにヨーガを実践していたら、実際になり得ているかどうかを、客観的にはかり知ることが大切です。 自分が受けている指導が、人間の器をより深いものに変容させるトレーニングとなり得ているでしょうか? これを常に査定していくことで、道を脱線せず効果的な実践を続けていくことができます。 では次に、どのようなレッスン内容だったら内面の資質を性格に及ばせることができるのでしょうか? それは、三つの体に同時に働きかけるクロストレーニングを実践することです。 ヨーガにおける運動は、この三つの体をトレ

精神世界の概念が自分の知識になるとき拡大する意識

当教室で開催している 精神世界ゼミの入門コース 。 今月から3つのクラスが同時進行しています。 すべてのクラスが初回を通過した今、参加者のお一方から届いたお声をもとに所見をつづりたいと思います。 学びの後、仕事があったのですが、外見上は何も変わらないのですが、言葉にはまだ表せない何かを確実に感じました。先生が蒔いてくださった種でしょうか。 人間には、自分を自分として成り立たせている中身の部分「内面」があります。 あるときから私たちは、意識してもしなくてもここを意識するようになります。 一度意識してしまうと、そのことが頭から離れず、ここを知ろうとして、又はここをもっと良く変えようとして何かしらの行動に出るようになります。 そのとき誰でも一度は精神世界の本を手にしたことがあるのではないでしょうか。 セミナーや講座に参加して、実際に話を聞いたりすることもあると思います。 今ここで立ち止まり、あることを疑問視してみませんか? なぜ、精神世界は本を読んでも理解できない、学んだことが身になっていかないものなのでしょうか?! このことを、「自分を変える」このテーマから考察してみましょう。 自分を変えるということには、二つの方向があります。 アレもコレもできるようになる技能的な幅が広がる横の伸びしろ。 もう一つは、自分そのものが変容する縦に伸びていく方向。 精神世界の知識は、後者の縦に上昇していくように人間の意識を洗練させていくものです。 では、この精神世界の効力を自分に及ぼす学び方はどのようなものなのでしょうか?! これは、精神世界の知識を自分の知識にする学び方になります。 単に、知っている、聞いたことがある、読んだことがある、という体験をすることではありません。 自分の考え方、行動の指針になるように理解する学び方です。 これは、講師の話を一方的に聞いているだけでは達成できません。 話を聞きながら自分に置き換えて考える、聞いた知識をもとに湧き出てきた自分の考えを言葉にしてみる。 この練習が必要です。 そして、書いてあるとおりに概念を読むだけではなく、その概念が日常生活の自分の考えの一部になるまでかみ砕いて理解する、わからなければもっとかみ砕く、この作業が必要なのです。 意識の向上は、精神世界の知識を日常の中、人間関係の中、当面の問題に当てはめて、実際に活用してみることで拡大します

ホーリーバジルの聖なる波動とヨーガ

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  今年、一度も種を蒔いたことのない花壇からホーリーバジルが芽を出しました。 実はコロナ禍のこの2〜3年の間、毎年グングン育っていたホーリーバジルが芽吹いてこなかったのです。 それまでは、毎年自然に芽を出して自然に大きく育っていたのに、、不思議ですね。 この花壇の下がちょうどヨーガの教室になります。 ホーリーバジルの聖なるエネルギーの中でヨーガをしているのですね。 浄化力がそれはそれは凄いことでしょう。 ホーリーバジルは、インド名を「トゥルシー」。 比類なきものという意味があり、神の化身とみなされています。 さて、時の状況も鑑みて今月からヨーガクラスの定員は5名から4名に変更されました。 これまで以上にレッスン中の静寂が増しました。 室内の密度に余裕ができたぶん、教室内のエネルギーを皆さんに感じていただきやすくなりました。 レッスンが終わった後の、合掌の手を離しがたい精神状態。 これが、今まで以上に深く味わっていただけるようになっています。 いつまでも目を閉じて両手を合わせていたくなるような。 これは、教室が静かだからそうなるのではなく、ヨーガを行ったことにより、皆さんの内面が精神的な静けさ=静寂になったことで得られる境地なのです。 静かな場所に行ったり、街中を離れて田舎に行ったとしても、頭の中に日常がついてくるなんてことはありませんか? でも、なぜヨーガレッスンだと日常を忘れ、静かになり、神聖な気持ちにまでなれるのでしょうか? それは、心が鎮まるからです。 真の静寂とは、静かな場所や環境のことではなく、私たちが静寂な状態になったときを指します。 そのためには、心の働きをなんとしても鎮めなければなりません。 これは専門的な方法をとって行います。 心の働きを鎮めるために、筋肉、神経、血の質、呼吸、姿勢など、これらの動きに働きかけることを通して見えない心に働きかけます。 私たちの気分や言動は、まさにこれらに影響されて発動しています。 別の言い方をすれば、自然の中に行ったり静かな場所に行っても、これらの状態が日常モードからリセットされていなければ、場所を変えたとしても何をしたとしても自分は日常モードなのです。 ですから頭の中に日常の考えがついてまわるのです。 この囚われから解放される専門的な方法が、当ヨーガレッスンです。 解放されると涙が出るほど自分の内側が安心感につつま

意気消沈したらヨーガクラスへ

日常生活は、自分の思うとおりにいかないことが多々あります。 多種多様な価値観の中で生きていると、意気消沈したりマイナス傾向になったり、鬱々としたりしますよね。 それは悪いことではないと思います。絶好調のときもあれば落ち込むこともあるのは自然なことです。 「なんか調子出ないな・・・」と、悪い働きに意気消沈のエネルギーが変わっていく前にバランスをとれれば良いのです。 当方のヨーガクラスは、このバランスを上手にとれるようにプログラムしていますので、安心してご参加ください。 意気消沈から回復させるための適切なセルフケアをして、調子が良いときの自分に戻ることができます。 言葉が優しく自然に笑顔になって、自分にも他人にも優しく親切にできる余裕が回復します。 意気消沈は、体の疲労から始まっていきます。 意気消沈が感覚になって体に生じてくると、「時間がない」「忙しい」という頭の声がささやき始めます。 このささやきに耳をかしていると、悪循環にとりつかれます。不健康に導かれないように、意識をしっかり保ってセルフケアの手を早めに打ちましょう! こんなときこそヨーガ教室へ駆け込んでください! 意気消沈とは真逆のプラスのエネルギー、神聖な空間に身を置いて、不調が増していかないように体内環境を変えましょう。 クラスに参加するだけで、不調を平常に戻すための時間をとることになりますよ。 ヨーガレッスンの休息とリラックスによって、体をリフレッシュできます。 心のバランス感覚も取り戻せます。 マイナス思考に平静の刺激を与え、被害者意識や罪悪感になりやすい思考に理解力のバランスを取り戻すのです。 意気消沈や燃え尽き症候群などは、思考の低下を引き起こし、イライラしたり、言動がキツくなったりします。 このような不調がのしかかるときは、 静寂の中で 自分を調整します。 自分を客観的に観る、俯瞰する意識になるまで調整していくのがヨーガレッスンです。 地に足がついた安定した状態を取り戻しましょう。 当方の教室であれば静かな空間ですから、自分自身を俯瞰する意識になるまで集中することができます。 さて、たいていの場合どうしようもなくなってから気づきませんか? 部屋が散らかってきたり、食生活が乱れたり、睡眠の質が低下したり、意地悪な気分になってきたり・・・ こうなる前にバランスをとることができれば、落ち込みは浅くすみま

精神世界に必要な靴

私たちは成人した大人です。社会での生き方も、社会生活の営み方も知っています。 それなのに、なぜ精神世界となるとわからなくなる、迷ってしまうのでしょうか。 社会の道理を理解できる頭があるのに、どうして精神世界になると思考も理解力も追いつかなくなるのでしょうか?! これは、私たち自身に問題があるというよりも、精神世界を理解できるようになるための教育を受けてこなかったからだと考えています。 私たち現代人は、大人になって頭が固くなり始める頃になってやっと智恵を学ぶ必要性に気づくものの、まったく頭に入ってこないという壁にぶつかります。 ここから迷いの道が始まっていくのです。 精神世界という抽象的な知識を読む力、咀嚼して理解する能力、自分に応用する力がないうちに、精神世界の知識を手にとっても見えてこないのです。 ですから多くの場合、感覚的に理解することで理解したこととする傾向があるのです。 しかし、精神世界は、抽象的な思考を使って理解する知識のため、感覚では理解できないから、理解したつもりになってしまうのです。 その結果、何年か経って自分を客観的にみたとき「いろいろなことをしてきたけれど何も身についていない」と気づきます。 今日9月3日は、精神世界ゼミ「入門コース」土曜コースの初日でした。 参加者のおひとりの方が、同じように「色々学んできたけれど、何も身についていなかった」と打ち明けてくれました。 とても勇気ある言動だと思います。 見てみないふりをしないで、一度立ち止まって正直に今の自分に気づき、現状を認めることからこそ道は軌道修正され、身になる道を歩み始めることができるからです。 内面の精神的な成長は、「魂とつながる」「宇宙とつながる」などいろいろな表現がありますが、いずれにせよ実現することを望んでいるなら避けたいことは、闇雲にあれこれ手を出すことです。 無秩序に学んでいくと、よけいに道が長く遠くなるばかりか一向に進んでいかないからです。 スタート地点に立つこともできません。 いろいろな方のお話を伺っていると、今この段階にまだ必要のない知識に手を出しているケースが多く見られます。 理解できないことは、どんなに本を買って読んでも身になりませんし、成長の促進剤にもなりません。 身になる、成果、成長という結果は、今必要なことに取り組むことでのみ達成できます。 入門コースでは、これま

私たちは「智恵」のおかげで生きている

古代の人々は、精神世界の智恵が生き方に根づいているという感覚を、私たち現代人より当たり前のこととして持っていたのだと思います。 特に、芸術家や人々に影響をもたらす人など、魂の力で生きることを望む人にとっては、なくてはならないものだったはずです。 当然に、心と体と、魂を同期させるために「ヨーガ」はなくてはならないものでした。 ヨーガを通して生命の法則を自分に浸透させることで、心身の健康レベルを一般的なレベルよりも向上させ、誰もが持っている一般的なレベルを超えた能力を社会に発揮していったのです。 精神世界の智恵(ヨーガ、生命の法則、スピリチュアルなどと言われるもの)には、長い歴史があります。 それは、人類と一緒に進化し、次々と新しい手段に刷新されてきました。 私たちが何気なく行っているポーズや呼吸法、リラックスなど一連のヨーガプログラムも、一朝一夕にできたわけではありません。 多くの先人たちが、効果的に行えるように工夫してきた成果なのです。 精神世界の智恵は、人が幸せになるためのものです。 智恵を学ぶことは、まだまだ一般的とは言えませんが、智恵を学ぶことの大切さを理解する人が増えれば増えるほど、私たちの生活レベルがります。 生活レベルとは、体の健康、精神的に大人であること、良好な人間関係、発展的な仕事、家族関係、経済力、などです。 智恵を学ぶ人が100人に1人の会社と、10人に1人が学ぶ会社では、どちらが発展するか察しがつきますね。 私たちは大人になる過程で、学校教育で「道徳」を学んできたはずです。 果たしてそれが、大人になった自分に生かされ、幸せの種になってきたでしょうか。 私たちの情報社会は、智恵と情報の間に深い溝ができ、智恵が役に立つという理解が薄れているのではないでしょうか?! 自分のなかに智恵が増えれば増えるほど、幸せになっていく自分がいる。 そう実感する人が、一人でも多く増えますように。