突如たちはだかるエゴの壁
賢者は語る「ヨーガは単なる「自分を変えたい」など遊び半分でできるものではない」
古代に存在していたヨーガの実在を、現代人が知らなさすぎるがための楽観視だ。
あなたに相当の覚悟がなければ、覚悟が持てる時期がくるまで待った方がよいことは明らかだ。
しかし、それもあなたのカルマによるのだが。
カルマの埋め合わせによっては、その時期が訪れない場合もあるだろう。
現代では、「ヨガは体と心、魂を一つにすること」と言われている。
この解釈は、ヨーガを知らない大衆の期待に沿う表現だ。
だが、これを盲信してはヨーガの真実を知るに至らない。
多くの人々が、「ヨガは心と体をつなげていきます」と発表している。
そういう人々には、ヨーガの導師を謙虚に探すことを始めてほしい。
導師でないと、このことは解き明かせないだろう。
エゴは、知ったつもりという仮面を被って心に現れる。
ヨーガの道においては、いかなる時もその仮面を拒否することだ。
ヨーガを始める時のあなたは、まだヨーガを行じてはいない。
つまり、心が曇ったままでヨーガを始めているのだ。
まだ心を浄化する行法をしていない。
一点集中の力を養われていない心も散漫なままだ。
その段階において耳に入ることは、すべて曇ったままの心を通して色づけられる。
導師の存在はあなたの悩みの種になり、真理も誤った解釈になるだろう。
わかるだろうか?
先に述べたように、言葉ひとつとっても、そこにすでに誤認の壁があるのだ。
初心者のうちは、心が散漫なまま初めていかなければならないのだ。
見るもの聞くものすべてが、疑いをもたらす種となる。
そのことをよくふまえて、覚悟して行くがよい。