ヨーガを英語で学ぶ日本人の盲点

あ~ナンダカよくわからない・・・


現代のヨーガの学び方は、バリエーション豊富です。

そのうちの一つである海外ヨーガ留学を挙げてみたいと思います。



海外でヨーガ指導の資格取得コースに人気があるようです。

ですが、これには特にヨーガ初心者の方には気づかないであろう盲点がいくつかあります。



海外で、しかも英語でヨーガを学ぶことが適当かどうか、見極める冷静さが必要です。

以下、ご説明していきます。



ヨーガの技法の根幹は、真理によって支えられています。

アーサナ、呼吸法、リラクゼーションといった肉体的なプラクティスでさえ、哲学的要素から構成されています。

この哲学的な解釈に要する知性がそなわっていないままヨーガを学ぼうとすると、

なぜそうするかその意図がわからずボディワークになっていきます。





初めてヨーガを体験した方のご感想に、次のようなものがあります。

なんだかストレッチのようだった。

ゆっくり動いて、じっとしてばかり。

何をしているのかよくわからなかった。

眠ってしまった。

筋トレみたい。



なぜ神聖なヨーガの実習が、このような大雑把な感想になるのでしょう?

それは、実践している内容の根本的意味の理解不足と哲学的意味がともなわなはいままポーズだけを実践しているからです。


これは、海外でヨーガを学ぶ中でも起こります。

英語で行われる通訳付きのヨガインストラクター養成コースです。

カリキュラムの中に、ヨーガ哲学が含まれていると思います。

ヨーガの哲学は、本人の精神的な深さ、理解のレベル、心の受け入れ姿勢、霊的知性の段階に合わせて学んでいきます。

哲学は、学ぶことそれ自体が無知に光明をもたらす意識の目覚めにつながっています。

ですから、苦悩に光を指す言葉で内側の深い部分に語られなければ、意識の目覚めの体験にはならないのです。

今聴いている講義がヨーガ哲学であっても、あなにとって真意を理解できない言葉は単なる文字の羅列にすぎず、睡魔をもたらすだけになったはずです。

受け入れる段階に達してない状態で学んでも、やはり同じように睡眠薬となるばかりなのです。



ヨーガの哲学ばかりではありません。

ヨーガは、アーサナ、プラーナーヤーマといった肉体的技法でさえも、哲学的理解によって意味をつかんでいかなければなエクササイズになります。

近代流行りのアジャストや肉体的解剖学の理解だけでは、ヨーガのアーサナを霊的成長の技法として使いこなすまでには不十分です。

なぜなら、肉体は心と繋がっています。

ですから肉体、心と個別にみる意識ではなく、両方を重ねて一つとしてとらえられる理解がなければ、アーサナを真の意味で実践していくことにはなり得ないのです。

このようなヨーガを習得するには、あなたの母国語で学ぶことをお勧めします。

言葉を超えた霊的知識のヨーガを、さらにわからない英語で学ぼうとするのは賢い選択とは言えません。

ヨーガの教えと道は、アーサナ一つとっても非常に繊細な言葉の操りによって導師から伝えられていくものです。




英語と日本語の解釈では、ニュアンスもかなり異なります。

また、外国人の解説であれば、英語をさらに日本語に訳すという二重の媒介を経てあなたの心に届いてきます。

それでは、指導者の言葉の中に隠されたエネルギーを洞察することはできないでしょう。

通訳を通過した時点で、導師の言葉のエネルギーは雑なレベルに変わってしまうからです。

そうなってしまうと、自分で意味を想像するしかなくなります。

これは、海外で学んだ大半の方が体験して来ることではないでしょうか。




ヨーガや哲学は、自分の浅い経験からくる想像で理解できるものではありません。

私たちヨーガを学ぶ者に必要なのは、あなたを目覚めさせてくれる、気づきをもたらす言葉に変換して語ってくれる導師の存在です。

本やDVDは、導師の代わりを務めることはできません。

あなたの母国語で、あなたに対面して、成長の壁を取り除くためのヨーガを語ってもらって下さい。

今、あなたのそばにいなければ、真摯にお探し下さい。

「家から近いから」あるいは「海外で学べるから」

こうした浅い動機からヨーガの導師を探しても、現れることはないでしょう。



ヨーガは、あなたの師をこの大宇宙から探し出すことから始まります。

誠実さと謙虚さを持って、忍耐強く探して下さい。


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