過去を愛で眺められた時に

私は今朝

何とも言えない安堵感に包まれた体験をしました。

言葉に出来ないのですが。



それはまるで、

天使たちがまわりにやって来て

本当の私を覆っていた布のような覆いを

フワ〜っと外されていったその身軽さ。

鎧を取って重苦しさからやっと解放されたような。

そんな感覚を味わいました。




だからと言って、

日常が劇的に変化したわけではありません。

急にお金が引き寄せられたとか

欲しいものがやってきたとか何んとか…。

そんな素晴らしい感覚を体験したのだもの

さぞ日常も大きく変化したのだろうと期待したいところですが。

そんなことさえ忘れるほどに

日常よりも大きな変革は

私のこの内側の意識です。



日常をとらえ反応するこの意識が変われば

日常もそれに連なり変わります。

これまでと同じに

まったく映ってこないからです。




私は今朝ひとつ

大きな清算をしたような気がします。

過去を愛で受け入れる。

愛から過去に反応できた時

それがどんなにネガティヴな出来事や

辛いものであったとしても、

愛の意識で眺められたなら

そのエネルギーは愛に昇華して

宇宙の一部になって消えていきます。

これで人生劇は

ひとつフィナーレを迎えました。




ひとつ過去が愛に昇華されたことにより、

私の中の分裂していたエネルギーは、

プラスマイナスゼロになって

私の魂の光りが一段階深まっていくのです。




この清算のチャンスは常に私たち魂に訪れているのですが、

つい習慣や過去の癖が先に反応してしまい

愛で受け入れる反応のチャンスを逃してしまいます。




でも、

ここに自分の反応を観ている意識があれば

習慣的な反応を自動的に表出してしまうことをコントロールできます。

相手の言うことに過去と同じ反応で返すのではなく、

相手の言うことを今はただ聴く。

反応しないで今はただ聴く。

そうして反応と自分の間にスペースを作っていくのです。

すると段々と過去が再現される力が薄れ

その隙間で新しい反応を返すことができるのです。

相手と私の間に新しい関係が生まれます。


 

これまでの生の中で何度も私のことを知っていたこと。

大切な存在であること。

愛してる。

人間の感情ドラマの次元からのものではないこれらの言葉に

私は愛を体験したように思いました。

それは、

好きな男性から言われる「愛してる」とはまた違い

普遍的な愛のようでした。



これまでしてきた数々の恋愛の中のどの愛の表現より

私の意識を深く霊的に変えたものはないでしょう。




私は結婚する前に、

男女の愛を超えた普遍的な愛を体験できたことを幸せに思います。

人間界は、

男女や家族など特定された人間関係を愛と理解されていますが

普遍的な愛はその限定された枠組みにあるものではなく、

もっと静かで

情熱的でも恋い焦がれる激情からでもなく、

なくなりもしなければ生まれもしない。

はじめからそこにあるもの。

愛は関係性の中にあるものではなく、

私たちが愛そのものなのです。





相手の言葉が

私の普遍的な愛を照らしてくれました。

この静かな幸福感は

私を偉大な信頼へと導いていきます。

それは内側の神様を信じること。

信仰です。




ヨーガが言ってることは本当だった。

「宇宙の大真実を教えよう。

本当の幸せは外からはやって来ない。

あなたの内側にあるのだ」

私はこの意味を

ヨーガをツールに検証できたように思います。




相手は自分の内側を映し出す鏡。

私たちには 

自分の内側の愛を映し出してくれる他者が必要です。

自分以外の他者の存在が目の前にあるから、

私たちは自分の内側の愛を相手を通して知ることができます。




だから、

相手にすぐ頭で反応しないで。

ハートで聴いてごらん?

あなたの内側の神様を引き出してくれています。

心を静めて相手を見てごらん?

相手の内側の神様が見えてくるから。



そして、

お互いひとつの同じものを見ていると

お互いを見ながら気づくのです。

そこにあるのは、

私たちは皆んなひとつの同じ本質からなる存在であるという真実。

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