52歳、人生何度目かの転換期とキャリアの関係
社会の動きが変わり、人間よりモノがどんどんシフトしていきますね。
その後をゼェゼェしながら人間がついて行くという、なんだか妙な世界になりました。
オンライン学習やオンライン会議など、これまで一般的ではありませんでしたが、あっという間に足並み揃えて世界中オンライン化されてしまいました。
さて、自粛の要請はこれまでと違う日常を強制され、ストレスを感じた方もいらっしゃると思います。
私自身もスーパーへ買い物に行く(これが楽しかった😆)以外、毎日家の中でした。
母と猫2匹と暮らしていますが、母と会話するほど友達親子などではありません。
お互いが別の世界を暮らしています。
なので、ドラとロージーと話す以外、言葉を発しませんでした。
とても窮屈な生活に見えますが、私にとってはその逆で、インドに行かなくても自分の家でアシュラム(精神の修行場)生活をするシフトの機会になりました。
人間は言葉で創られていくと言ます。
これまでの常用語が一切この口から発せられないのです。
これは、自分を変えるまたとないチャンスです。
実際の口頭を介した唯一の会話は一人の友人。
ともにアメリのヨガ全盛期から、日本でスピリチュアルが一般的になった時代を駆け抜けた友人も還暦を迎え、私も52歳になりました。
世間は人を不安にさせる情報ばかりですが、友人と私は良い意味で不安や緊張がないぶん笑って話して免疫力もアップ!
沢山の友人を持つより一人でも良いからこういう友人関係がいい。
これは、50代になってつくづく思うことです。
友人じゃない友人を軽く抱え、代わりに人間関係に悩んで枯れているより、一緒に美味しいワインを飲んで、質の良い会話でからつくられていく人間の深みを選びたい。
なぜって、この先はこれまでの生き方がどんどん、どんどん顔に現れてくるのですもの!
「自分探し」や「本当の自分」、「自分らしく生きたい」という想いが出てきた時は、転換期、シフトを迎えているサインの一つです。
しかし、人間が実際にシフトする時は、前述の三つのイメージとは全く異なり、複雑なプロセスを通過していかなければなりません。
「自分なりに」は迷いますし遠回りになります。
一般的な情報と常識では、必要なシフトの工程を判断できないからです。
ですから、専門家がいて、シフトの工程に集中するための特別な施設、アシュラムが昔はあったのです。
アシュラムに行く意味は、日常生活を遮断して精神的にも肉体的にも、思考の使い方から会話の内容、食事までの自分に関わる全てを精神的な質に統一して暮らすためです。
そうして、物質的なガチャガチャした質を精神的なものに高め、これまでのルーティンワークを全く新しいものに替えていきます。
そして、最も重要なポイントはここです。
暮らしを精神的な質に統一して高める意味は、スピリチュアルな人になるため、ではありません。
精神的な質に、変える力、変換の力があるからです。この力が発揮されるように計画しながら生活をして、心、身体、感情といった各ツールを変えていく、という複雑で緻密、科学的なプランが必要なのです。
私たちの日常生活の原動力は、習慣。ということは、日常生活を脱しない限り習慣的な自分は切っても切り離せまない⁈
と言って、アシュラムが途絶えた時代を生きる現代の私たちは諦めるしかないのでしょうか?!
そうではありませんね。
「ないならないなりの道を行く」時代に合わせていきましょう
無いものは無いで理解して、「では、どうしたらいいか」と気転をきかます。(中年以降の人にとって気転の幅は若々しさの秘訣!)
気転を利かして成功させるためには、基本が大切です。
では、基本を知っている人はどういう人なのでしょうか。
基本を崩さないように状況の要請に合わせながら結果はその道の通りに出す「技」を持っている人です。
例えば、お寿司を知らない国の人が作るカリフォルニアロールと、寿司職人の作るカリフォルニアロールでは、味も見栄えも全く違ったものになります。
寿司職人から見れば、カリフォルニアロールは本物ではないかもしれません。
でも、職人ならではの技がちゃんとその中に活かされています。
ですから、それを食べた人は、カリフォルニアロールであってもお寿司を食べた満足感が得られるのです。
このことを知ったのは、エアロビクスのインストラクター時代にロサンゼルスで暮らしたことがきっかけでした。
当時の LAではカリフォルニアロールが大人気流でした。
サンタモニカのモールでお寿司を握っていた知人がいたのですが、寿司職人の技を活かし、本物のお寿司を知らないアメリカ人に、まずはカリフォルニアロールでお寿司を知ってもらい、そこからお寿司の世界を広げて楽しませていました。
50代になってやっとできるキャリアは、年数ではなく自分自身の人間としての深みを仕事に現せるようになることだと思います。
人生の転換期を繰り返すと自分に関わる物事も深まっていき、提供していく先も人類レベルに拡大していくことだと思います。
仕事を主体にして自分の存在意義を自覚したり、仕事の成功で自分の価値を見出していると、その仕事を失うと同時に自分を失うことになります。
そんな若い道も通過して、自分を主体にして仕事を考える、あくまで人間としての自分の在り方が基本になります。
そうすれば、仕事を失っても仕事で失敗したとしても、他人や社会のせいにするのではなく、自分自身に責任をおいて考えていくことができます。
その時、そこにあるのは深い内省です。
この内省こそが人を深い気づきに至らせ、本気で「自分、変わろう!」と覚悟を抱かせるのです。
この覚悟があれば、人生の転換期にまつわるどんなことも乗り越えていけます。
やがては誰もがキャリアの全盛期を終えて終盤に入っていきます。
私も自分に宿した智慧をどう残していくか、という思考に入っています。
コロナと言うつもりはありませんが、これをきっかけに仕事の流れが変わり、これまでのキャリアの方向転換を迫られました。
50代、これまでのキャリアをどうシフトさせていくか。
この年代から先は情報に流されていてはだめです!!
情報をあてにして自分の方向性を定めようとしてもだめ!その次元には、私たちの年代の悩みに対応できるものはありません。
探すとよけいにツラくなります。ですから、50代以降の方ほど、他人や情報をあてにせず、自分で答えを出せるように心の技術を身につけることを考えて欲しい。
今日のブログのポイントをもう一度。
情報は、健康や人生にも影響します。ですから、どんな情報(言葉)を自分に取り入れるかは日々意識しなければならない社会になってしまったわけです。
ですから、私たち自身の情報リテラシーは、取り入れることだけではありません。
自分に必要なものを知ることのできる自己理解、潜入観をはさまず純粋に解釈する理解力、情報を形に発展させていく活用力が必要です。
これまでの健康の基準が変わり、情報に関連した自分自身の技術が健康に大きく左右するようになると思います。
その後をゼェゼェしながら人間がついて行くという、なんだか妙な世界になりました。
オンライン学習やオンライン会議など、これまで一般的ではありませんでしたが、あっという間に足並み揃えて世界中オンライン化されてしまいました。
さて、自粛の要請はこれまでと違う日常を強制され、ストレスを感じた方もいらっしゃると思います。
私自身もスーパーへ買い物に行く(これが楽しかった😆)以外、毎日家の中でした。
母と猫2匹と暮らしていますが、母と会話するほど友達親子などではありません。
お互いが別の世界を暮らしています。
なので、ドラとロージーと話す以外、言葉を発しませんでした。
とても窮屈な生活に見えますが、私にとってはその逆で、インドに行かなくても自分の家でアシュラム(精神の修行場)生活をするシフトの機会になりました。
人間は言葉で創られていくと言ます。
これまでの常用語が一切この口から発せられないのです。
これは、自分を変えるまたとないチャンスです。
実際の口頭を介した唯一の会話は一人の友人。
ともにアメリのヨガ全盛期から、日本でスピリチュアルが一般的になった時代を駆け抜けた友人も還暦を迎え、私も52歳になりました。
世間は人を不安にさせる情報ばかりですが、友人と私は良い意味で不安や緊張がないぶん笑って話して免疫力もアップ!
沢山の友人を持つより一人でも良いからこういう友人関係がいい。
これは、50代になってつくづく思うことです。
友人じゃない友人を軽く抱え、代わりに人間関係に悩んで枯れているより、一緒に美味しいワインを飲んで、質の良い会話でからつくられていく人間の深みを選びたい。
なぜって、この先はこれまでの生き方がどんどん、どんどん顔に現れてくるのですもの!
自分の中にどんな情報を取り入れるか、
これはとても大切なことです。
「自分探し」や「本当の自分」、「自分らしく生きたい」という想いが出てきた時は、転換期、シフトを迎えているサインの一つです。
しかし、人間が実際にシフトする時は、前述の三つのイメージとは全く異なり、複雑なプロセスを通過していかなければなりません。
「自分なりに」は迷いますし遠回りになります。
一般的な情報と常識では、必要なシフトの工程を判断できないからです。
ですから、専門家がいて、シフトの工程に集中するための特別な施設、アシュラムが昔はあったのです。
アシュラムに行く意味は、日常生活を遮断して精神的にも肉体的にも、思考の使い方から会話の内容、食事までの自分に関わる全てを精神的な質に統一して暮らすためです。
そうして、物質的なガチャガチャした質を精神的なものに高め、これまでのルーティンワークを全く新しいものに替えていきます。
そして、最も重要なポイントはここです。
暮らしを精神的な質に統一して高める意味は、スピリチュアルな人になるため、ではありません。
精神的な質に、変える力、変換の力があるからです。この力が発揮されるように計画しながら生活をして、心、身体、感情といった各ツールを変えていく、という複雑で緻密、科学的なプランが必要なのです。
私たちの日常生活の原動力は、習慣。ということは、日常生活を脱しない限り習慣的な自分は切っても切り離せまない⁈
と言って、アシュラムが途絶えた時代を生きる現代の私たちは諦めるしかないのでしょうか?!
そうではありませんね。
「ないならないなりの道を行く」時代に合わせていきましょう
無いものは無いで理解して、「では、どうしたらいいか」と気転をきかます。(中年以降の人にとって気転の幅は若々しさの秘訣!)
気転を利かして成功させるためには、基本が大切です。
では、基本を知っている人はどういう人なのでしょうか。
基本を崩さないように状況の要請に合わせながら結果はその道の通りに出す「技」を持っている人です。
例えば、お寿司を知らない国の人が作るカリフォルニアロールと、寿司職人の作るカリフォルニアロールでは、味も見栄えも全く違ったものになります。
寿司職人から見れば、カリフォルニアロールは本物ではないかもしれません。
でも、職人ならではの技がちゃんとその中に活かされています。
ですから、それを食べた人は、カリフォルニアロールであってもお寿司を食べた満足感が得られるのです。
このことを知ったのは、エアロビクスのインストラクター時代にロサンゼルスで暮らしたことがきっかけでした。
当時の LAではカリフォルニアロールが大人気流でした。
サンタモニカのモールでお寿司を握っていた知人がいたのですが、寿司職人の技を活かし、本物のお寿司を知らないアメリカ人に、まずはカリフォルニアロールでお寿司を知ってもらい、そこからお寿司の世界を広げて楽しませていました。
50代になってやっとできるキャリアは、年数ではなく自分自身の人間としての深みを仕事に現せるようになることだと思います。
人生の転換期を繰り返すと自分に関わる物事も深まっていき、提供していく先も人類レベルに拡大していくことだと思います。
仕事を主体にして自分の存在意義を自覚したり、仕事の成功で自分の価値を見出していると、その仕事を失うと同時に自分を失うことになります。
そんな若い道も通過して、自分を主体にして仕事を考える、あくまで人間としての自分の在り方が基本になります。
そうすれば、仕事を失っても仕事で失敗したとしても、他人や社会のせいにするのではなく、自分自身に責任をおいて考えていくことができます。
その時、そこにあるのは深い内省です。
この内省こそが人を深い気づきに至らせ、本気で「自分、変わろう!」と覚悟を抱かせるのです。
この覚悟があれば、人生の転換期にまつわるどんなことも乗り越えていけます。
やがては誰もがキャリアの全盛期を終えて終盤に入っていきます。
私も自分に宿した智慧をどう残していくか、という思考に入っています。
コロナと言うつもりはありませんが、これをきっかけに仕事の流れが変わり、これまでのキャリアの方向転換を迫られました。
50代、これまでのキャリアをどうシフトさせていくか。
この年代から先は情報に流されていてはだめです!!
情報をあてにして自分の方向性を定めようとしてもだめ!その次元には、私たちの年代の悩みに対応できるものはありません。
探すとよけいにツラくなります。ですから、50代以降の方ほど、他人や情報をあてにせず、自分で答えを出せるように心の技術を身につけることを考えて欲しい。
今日のブログのポイントをもう一度。
自分にどんな情報を取り入れるか、
これはとても大切なことです。
情報は、健康や人生にも影響します。ですから、どんな情報(言葉)を自分に取り入れるかは日々意識しなければならない社会になってしまったわけです。
ですから、私たち自身の情報リテラシーは、取り入れることだけではありません。
自分に必要なものを知ることのできる自己理解、潜入観をはさまず純粋に解釈する理解力、情報を形に発展させていく活用力が必要です。
これまでの健康の基準が変わり、情報に関連した自分自身の技術が健康に大きく左右するようになると思います。