「自分を愛しなさい」と言われてもわからない時は
インドでヨーガを学んでいる時、こんなことがありました。
生き方のヨーガ「ヤマ・ニヤマ」の中の非暴力「アヒムサ」についての講義の時のことです。
不殺生のテーマになった時、肉食からベジタリアンになることについて語っていた先生がこう言いました。
「とは言え、北極で暮らしているエスキモーに向かって私はアザラシの肉を食べるなと彼らには言えない」
どういうことかと言うと、
アザラシの脂肪を接収するから、エスキモーたちはあの極寒に耐えられる身体を持つことができるのであって、それをやめろと言うのは死ねと言っているようなものだ、と。
素晴らしい徳の高い生き方のあれこれを聞いたとしても、自分の社会的背景、家庭環境に合わせて使いなさいねと言うことを先生は教えてくれました。
ヨーガやスピリチュアルの中には、生き方の指針がたくさんありますね。
やさしいスピリチュアル本にも、「自分を大切にしなさい」「自分を愛しなさい」など書かれています。
私もそれを発信する側の立場とはいえ時にこう思います。
「どうやってそれができるようになるの?!」って考えるのではないだろうかって。
愛せない私から自分を愛せるようになるって・・・すごいことだと思いませんか?
言われてもそうは簡単にできない「こんな私」に、逆に強く直面するのではないかと思います。
と言うと今度は、「こんな私」と自分で自分のことを低くみつもるのはやめなさい、とこうきます(苦笑)
実はスピリチュアルの世界には、ここに苦しんでいる人が少なくないのです。
自分を愛する、自分を大切にする、自分を感じる・・・etc
その通りなのですが、このような言葉はとても象徴的で比喩的な表現です。
これが具体的にどういうことなのか理解することができなければ、それができなくて逆に苦しむことになります。
神を愛しなさい、神にゆだねなさいと言う言葉も同じです。
自分を愛すれば幸せになる、大切にすれば〜になる、という条件に縛られて逆に苦しくなってしまうのです。
精神世界の教えは、肉眼では知覚することのできない界層の秩序です。
それを、肉眼で物事を知覚する物質界の言葉になることで私たちは手に取ることができるのですが、実は手に取る側にある一つの責任が課されています。
正しく理解するという責任です。
言葉を鵜呑みにするなという表現がありますが、これは精神世界によく当てはまります。
自分を愛する、大切にする、この言葉の理解も千差万別です。
自分の好きなものを食べて、好きに暮らして、好き放題あれこれすること、五感を満足させることが自分を大切にすることという理解もあるでしょう。
精神世界の教えは鵜呑みにしないで、ワンクッションおいて考えることが大事なのです。
このことをインドの先生はこう言いました。
「私の言うことを盲信するのはやめなさい。疑うこともしないでただ聞いていてください。私が言ったことをあなたが実際に体験してみて本当だったら、その時信じなさい」
人間の意識の層は数値であらわせないほど微細に段階があります。
どの意識の階層で理解するかによって、言葉の意味は変わってくるのです。
ですから、精神世界の教えは「本質的に理解しなさい」と言われるのです。
「自分を愛する」ことの意味を、本質的に理解するまで、なんだか時間がかかりそうな感じですね。
なのでヒントを一つ!
仕事や生活がはかどらなくなってきた、しんどくなってきた、こんな時、本を読んだりスピリチュアルの世界に答えを求める時があるかもしれません。
しかし、そのドアを開けると「自分を愛しなさい、大切にしなさい、ゆだねなさい」とやってきます(笑)。
それができなくてイライラする、というパターンにならないように、安心してください、このことを考えてみてください。
心と身体はつながっています。
自分を愛すること、大切にすることができる身体のモードがあるのです。
まず、そのモードにシフトすることが、自分を愛すること大切にすることのはじめの一歩です。
その身体の状態はどんな状態?
今ここで簡単にいうなら呼吸の状態です。
深く息を吸って深く吐ける身体になってください。
そして、できれば深く息を吸った時に肺の広がりを感じられて、吐く時は広がった肺が縮んでいくのを感じられるような呼吸です。
深い呼吸がわからない!できない?!
なら、一度ため息を出してみましょう。そうすると、次に吸う息が自動的に深くなります。
やってみてください。遠慮せず大きく大きくかなり大きくですよ、ため息を出してください。
その後、吸ってみてください。驚くほど空気が入ってきますよ!
それができるようになったら次は、吸った息をほんの1〜2秒溜めてから吐いてみてください。
鼻からでも口からでも、どちらでも結構です。
息をほんの少しだけ止めてから吐くと、「息を吐く」という感覚を身体で感じることができます。
自分の内側から息が吐き出されているその流れを、自分の身体で感じることができますよ。
この感覚を繰り返し味わっていれば、自分を愛する、自分を大切にするという言葉の真意をあなたの言葉で言葉にならないところ(直感)で理解されているのではないかと思います。
生き方のヨーガ「ヤマ・ニヤマ」の中の非暴力「アヒムサ」についての講義の時のことです。
不殺生のテーマになった時、肉食からベジタリアンになることについて語っていた先生がこう言いました。
「とは言え、北極で暮らしているエスキモーに向かって私はアザラシの肉を食べるなと彼らには言えない」
どういうことかと言うと、
アザラシの脂肪を接収するから、エスキモーたちはあの極寒に耐えられる身体を持つことができるのであって、それをやめろと言うのは死ねと言っているようなものだ、と。
素晴らしい徳の高い生き方のあれこれを聞いたとしても、自分の社会的背景、家庭環境に合わせて使いなさいねと言うことを先生は教えてくれました。
ヨーガやスピリチュアルの中には、生き方の指針がたくさんありますね。
やさしいスピリチュアル本にも、「自分を大切にしなさい」「自分を愛しなさい」など書かれています。
私もそれを発信する側の立場とはいえ時にこう思います。
「どうやってそれができるようになるの?!」って考えるのではないだろうかって。
愛せない私から自分を愛せるようになるって・・・すごいことだと思いませんか?
言われてもそうは簡単にできない「こんな私」に、逆に強く直面するのではないかと思います。
と言うと今度は、「こんな私」と自分で自分のことを低くみつもるのはやめなさい、とこうきます(苦笑)
実はスピリチュアルの世界には、ここに苦しんでいる人が少なくないのです。
自分を愛する、自分を大切にする、自分を感じる・・・etc
その通りなのですが、このような言葉はとても象徴的で比喩的な表現です。
これが具体的にどういうことなのか理解することができなければ、それができなくて逆に苦しむことになります。
神を愛しなさい、神にゆだねなさいと言う言葉も同じです。
自分を愛すれば幸せになる、大切にすれば〜になる、という条件に縛られて逆に苦しくなってしまうのです。
精神世界の教えは、肉眼では知覚することのできない界層の秩序です。
それを、肉眼で物事を知覚する物質界の言葉になることで私たちは手に取ることができるのですが、実は手に取る側にある一つの責任が課されています。
正しく理解するという責任です。
言葉を鵜呑みにするなという表現がありますが、これは精神世界によく当てはまります。
自分を愛する、大切にする、この言葉の理解も千差万別です。
自分の好きなものを食べて、好きに暮らして、好き放題あれこれすること、五感を満足させることが自分を大切にすることという理解もあるでしょう。
精神世界の教えは鵜呑みにしないで、ワンクッションおいて考えることが大事なのです。
このことをインドの先生はこう言いました。
「私の言うことを盲信するのはやめなさい。疑うこともしないでただ聞いていてください。私が言ったことをあなたが実際に体験してみて本当だったら、その時信じなさい」
人間の意識の層は数値であらわせないほど微細に段階があります。
どの意識の階層で理解するかによって、言葉の意味は変わってくるのです。
ですから、精神世界の教えは「本質的に理解しなさい」と言われるのです。
「自分を愛する」ことの意味を、本質的に理解するまで、なんだか時間がかかりそうな感じですね。
なのでヒントを一つ!
仕事や生活がはかどらなくなってきた、しんどくなってきた、こんな時、本を読んだりスピリチュアルの世界に答えを求める時があるかもしれません。
しかし、そのドアを開けると「自分を愛しなさい、大切にしなさい、ゆだねなさい」とやってきます(笑)。
それができなくてイライラする、というパターンにならないように、安心してください、このことを考えてみてください。
心と身体はつながっています。
自分を愛すること、大切にすることができる身体のモードがあるのです。
まず、そのモードにシフトすることが、自分を愛すること大切にすることのはじめの一歩です。
その身体の状態はどんな状態?
今ここで簡単にいうなら呼吸の状態です。
深く息を吸って深く吐ける身体になってください。
そして、できれば深く息を吸った時に肺の広がりを感じられて、吐く時は広がった肺が縮んでいくのを感じられるような呼吸です。
深い呼吸がわからない!できない?!
なら、一度ため息を出してみましょう。そうすると、次に吸う息が自動的に深くなります。
やってみてください。遠慮せず大きく大きくかなり大きくですよ、ため息を出してください。
その後、吸ってみてください。驚くほど空気が入ってきますよ!
それができるようになったら次は、吸った息をほんの1〜2秒溜めてから吐いてみてください。
鼻からでも口からでも、どちらでも結構です。
息をほんの少しだけ止めてから吐くと、「息を吐く」という感覚を身体で感じることができます。
自分の内側から息が吐き出されているその流れを、自分の身体で感じることができますよ。
この感覚を繰り返し味わっていれば、自分を愛する、自分を大切にするという言葉の真意をあなたの言葉で言葉にならないところ(直感)で理解されているのではないかと思います。