身になる勉強をして豊かになる
先日、日曜日のレッスンで参加者の皆さまも私も、久しぶりにマスクを外してヨーガを行いました。
マスクを外したということ。
それは、仮面を剥がして本当の自分で生きる私たちを意味しているようです。
それと同時に、注文していた新しいヨガマットがとどきました。
マスクも外れて新しいヨガマット。
ヨーガも新しいチャプターの幕開けです。
さて、このところなぜか共通の話題が続く現象が起きています。
皆さんのお悩みに共通点があるのです。
「長いあいだ学んできたけれど身になっていない」というご相談なのです。
ご相談者の方には、一般の方もいれば当方のような専門家としてご活躍の方もいます。
伺ってみると、これまでさまざまなことを学ばれ努力されていらしたことが痛いほどわかります。
しかしなぜ?!精神世界の知識は学んでも身にならないという結果になってしまうのでしょうか。
ご相談者の方に実際にお応えしていることをブログに記載したいと思います。
よろしければこのままお読みくださいね。
まず、私たちがものを考えるということはどういうことか、このことを理解してみましょう。
私たちは、自分が聞いた言葉や読んだりしたその文章を理解していると思っています。
しかし、私たちの心はそれを理解しているのではありません。
それをもとに、心のなかの記憶でつくりあげるイメージ。
こちらの方を理解しています。
ということは、自分の心がどのようなイメージをつくり上げているかを観察できないと?
目の前の知識を理解しているつもりが、自分の心がつくり上げたイメージの方を理解している、ということになります。
これは、困ったことですよね。
当方の著書「覚醒のヨーガ」では、この理解力を超えていくことを提案しています。
その方法は、私たちに内在するもうひとつの心「高位のマインド」を覚醒させることです。
これは、潜在的な心なので、自分で働きかけて目覚めさせなければならないのです。
日常で使われているのは、もう一方の「低位のマインド」です。
顕在意識の心と理解しても良いでしょう。
この心は、高位の心から送られてくる抽象的なイメージを具体的に理解する働きをします。
本来、低位の心は高位の心とひとつになって働くものなのです。
ですからお察しのとおり、この二つの心がつながっていないと、高位の心から送られてくる抽象的なイメージが低位の心に届きません。
そうすると、自分の記憶をたよりに目の前の新しい知識を理解することになります。
ですから、あいまいな理解になってしまうのです。
そして、それは自分の内であやふやな記憶と化していきます。
このゆがんだ記憶が保存されればされるほど、理解できないという状態になります。
この状態は、ゆがんだ理解の記憶を正しい理解に変えることで解消できます。
ですから、きちんと理解する勉強のしかたが必要なのです。
わかったつもりで進んでいくのではなく、一つのことをきちんとわかった上で先に進んでください。
そうすれば、あることを実感できるようになります。
知らなかったことを知るということが、神の力であるということを。
知れば知るほど、自分の曇っていた視界が開かれ世界が広がって人生が豊かになっていくからです。
一見、不幸にみえるその裏に豊かさにつながる道があることが見えるようになります。
視野がせまかったときは気づかないから否定的な考え方になっていた、その自分の心が、ものごとの良い面に気づけるようになるのです。
この心の目が覚醒すれば悩みに心が折れない自分になれるんですよ!!
だから、きちんと身になる勉強をしましょう。
そして、物質的にも精神的にも、霊的にも豊かになってください。
それこそが、神の力があなたに及ぶことです。
春爛漫ですね。