【ヨーガ指導形態の変化の流れ】大型店から少人数制の教室、個人指導へ
今朝、ゴミ出しで外に出たら秋の気配を感じました。
ふと見上げると空が少し遠くなったようです。そういえばもう8月も後半に入りましたね・・・
久しぶりの投稿になりました。ホームページの更新に時間を費やしておりました。
19歳の時から健康産業の中でフィットネス業界に携わってきた中で、大きな節目が三つありました。
その一つは、29歳の時。
ガンガンに激しく運動するエアロビクスと筋トレの世界から、心の世界、ヨーガに転身したことです。
それから10年たち、大型のヨガスタジオやスポーツクラブで、グループレッスンを提供するヨガインストラクターから、個人で教室を開き、個人指導の指導技術と知識、人間性を求められるヨーガ指導者へと転身した39歳。
二つの転換期を経てきましたが、今日ほどまでに時代の変化とともにヨーガの普及形態に変化が及んだことはなかったのではないか、そう思うほどです。
いまだパンデミックによる感染者数の勢いが情報番組やネットを占める割合は大きくある一方で、私たち自身の健康に対する意識は向上したのでしょうか。
一般生活者にとっての健康に関する知識は、主に情報から取り入れることになります。
情報は、万華鏡のように移り変わりが激しく、それに接する大衆は、一つのことを吸収する前に次の情報に流れます。
ですから、情報を頼りにしているだけでは、自分の中に何一つ深く残ることはないのです。
その結果が誤ったストレス解消法です。
表面的なことで問題を解決しようとしても、問題は根の部分にあるため、そこに向けた知識人に接しない限り、私たち自身の意識は変わりません。
情報にふりまわされる人間の大衆意識の傾向をふまえ、インドのヨーガ施設では、病気になると西洋医学の治療だけではなく、ヨーガの実践と智恵の勉強、これらすべてを治療とします。
今から10年以上前の話になりますが、私自身も実際に施設に宿泊して体験したときは、早朝5時から瞑想を行い、智恵を学びました。
こうして患者の意識から、つまり細胞レベルから改善の道をたどるのです。
なぜなら、意識が変わっていなければ、今の意識によって形成された病気が死滅することはないからです。
私たちが置かれている今この時代さ、まさに意識の変化から病気に向き合わないとならない時代です。
ウィルスそのものも昔からくらべ、知的に変化しているからです。
10年前インドで暮らしていたとき、某ヨガ情報サイトに現地特派員としてヨガのコラムを投稿していました。
ある日のテーマが、「各国のヨガ雑誌について」だったのですが、現地のヨガ仲間にリサーチしたところ、誰もが怪訝な表情をしました。
そんなものあるワケないだろう?!という意味を込めて。
その中の一人のヨギが「そんなもの(ヨガの雑誌)なんていらないよ。ここには生きたヨーガの師がいるし、何せバガヴァッド・ギーターというこれ以上の本はないほどのバイブルがこの地にはあるのだから」
インドにおいてヨーガを実践するということは、まず先に自分に指導してくれる師に出会うことから始まります。
あるヨギの自叙伝のヨガナンダ大師もその道をたどりましたね。本当の先生を求めてさまよっていたことが明かされていませんでしたか?
これはヨーガにおけるしかるべき道の一つで、私自身も大いに迷い迷いました。嫌な経験をしたこと、失敗も、道を外したこともたくさん数えきれないほどあります。
でも、失敗も迷いも必要な経過、経験なのです。
人間の真の知性は、光と闇の両方を経験することで開かれてくるからです。
私自身が迷い、迷っていることにも気づかず突進し、ぶつかったことでやっと誤った選択をしたこと、迷っていること、間違っていることに気づいたとき、ヨーガは一人で実践することは無理なんだと気づきました。
道先案内人のように存在する人物がヨーガには必要です。
インドのヨーガの師たちが自宅に生徒を招いてヨーガを指導するように、私たちの社会の中のヨーガのあり方も、この道を辿っています。
大型店のヨガインストラクターから、ヨーガ教室を自分で開く、その教室もさらにプライベートな指導をする「サロン」という形態へ変動しています。
日本のヨーガ志向も、ひとり一人にヨーガを教える技術と知識、人間性をそなえた人物がヨーガを教える流れに向かっています。
そして、それを求める人々が明らかに増えていくことでしょう。