感情的なパーソナルマインドから魂のハイヤーマインドへ
精神界の力は物質界の私たちが手に取りやすいように三つの様相に分化されて現れています。
しかし、一般的な人々が肉体的健康をメインに人生を考えるように一つの面しか見えなくなるのが人間です。
しかし、あるレベルに達すると人間はその限界に気づき超えようとします。
私たちはすでに人間という姿形になって生きているけれど、自分が生まれた意味や本質、生命の法則を知ろうとする意志が芽生えるのです。
ニューノーマル。
この言葉は単に生活様式が変わることだけを示唆しているのではないでしょう。
新しい次元への過渡期は古いものは手放して行かなければなりません。
その心構えを促されているのではないでしょうか。
人類の意識が新しく変わっていく過渡期です。
意識は、生活レベルの意識では気づかないほど微細な変化で進化上しています。
気づかないくらいの変化が、水面下では大きな影響となっていることを自覚できるのは、これまでの人格を客観的に見えるようになった時です。
自分を客観的にとらえても、何年も生きてきた人格や感情を浅い客観視では負けてしまうのは自然なことです。
ヨーガ・スートラに書いてあるように、自分を客観的に見続けていると、古い皮膚が新しい皮膚に変わるように過去の人格が意識から離れていきます。
昨日までの人格を他人を観るように眺めることができるようになるから意識の変容とは不思議なものです。
その時、同時にパーソナリティーの浄化という大きな波が押し寄せてきます。
これは、自己嫌悪や自己否定になっていく、誰にも会いたくない引きこもりたくなる、殻に閉じこもるようになることではありません。
自分の愚かさから学ぶ精神的学びです。
高位のマインドを使って過去を冷静に査定していく中に、意識の成長をかいま見ることができます。
傍観者になって自分を観れば観るほど過去の言動の動機が見えてきます。
隠れた動機がないかよく観て、出来る限り表面化させてパーソナリティーを浄化します。
感情的な低位のパーソナリティーが浄化されればされるほど魂の高位のマインドが発達します。
そうして人間はパーソナリティーに魂の性質を顕して生きていくようになるのです。
集中が伴った精神的意識の中でこそ、感情的にではなく冷静に自分の言動や隠れた動機を観ていくことができます。
思考の力を精神的に使うこと、ハイヤーマインドが優位に働いている中で自分の行動の動機のそのまた理由を理解することができます。
高位のハイヤーマインドが機能していれば、感情が出てきても感情的になって苦しむだけで終わらず自分のことを省みる方へ思考をシフトしていけるようになります。
感情を感情で制するよりハイヤーマインドを発達させることで結果的にこうなれたことが一番楽で早道だったと思います。
ハイヤーマインドのレベルはパーソナリティーを浄化するたび高まっていくようです。
結局ツライい時はどいう時かというと、他人のせいにしたり責めている時だったなと見えてくるようになる、そんな視点が備わります。