理性が感情を助けるとき
足もとに猫がスリスリするのを感じながら、グラスに氷を入れて朝のアイスカフェオレを作っていました。
氷をグラスに入れる音に夏を感じます。
豆乳とコーヒーを全部混ぜてしまわないで二分化させておく。時の流れの中で、自然と一つになっていく様(ヨガ)を見ているのが好きです。
人間も、氷という心の障害物に遭遇しながら、豆乳とコーヒーが一体化することで別の飲み物(力)に変容していくように、心と肉体・魂が調和して統合されて、新しい自分に変容します。
しかし、このプロセスを、性急に楽に、努力しないで為そうとするのが人間の性。
いつの時代もこういう人たちが失敗してきたのだそうです。
どの書物を見ても、このことが書かれています。
この人間の性分を、落ち着いた性質に変容することがヨガのはじめに行うことです。
感情をコントロールできるようになることで、物質的な意識から精神的な意識に発達していくからです。
昨日のブログに「感情を克服する」と題したのは、この理由からもきています。
ですから、ヨガを始めたての時がいちばん難しく、一番苦労する時だと思います。
なぜなら、感情に振り回される状態で、感情をコントロールできるようになっていかなければならないからです。
当然に足を引っ張られますし、目の前のことに疑いをもたらすようなことを囁いてきます。
このことをヨガでは、「盲人は盲人を導けない」と表現されています。
現代のヨガは、ポーズを入り口に入る方が多いと思います。私もそうでした。
この先がなるべく困難なものにならないように、心と身体を準備する手段として行えると、ポーズから入ってしまっても失敗になりません。
道を途中で軌道修正すれば良いからです。
しかし、このことを知らずに単にポーズの形をとることを行っていると、初めに身につけておかなければならない感情のコントロールが備わりません。
ですから、心の障害物がやってきた時、理性より感情が先立ってしまい、自分の感情の激しさに負けてしまうのです。
冷静な自分をとり戻せるように練習していれば、障害物を見極め、どう乗り越えたら良いか、理性を働かせて考えられるようになります。
感情に飲み込まれてしまうと、同じところに止まるという別の障害にはまってしまうのです。
このことに気づかずに、イライラを静めるために闇雲にポーズを行う、誤ったストレス解消法でより不健康になっていくというパターンに陥っている方が、現代ヨガにはとても多いように思います。
ヨガは、癒しの世界観を画像や音響を駆使してイメージを作り、感情的に見せられています。しかし、本来は感情的な世界ではありません。
感情を使って理解する手段は、大衆に訴えかける時の対策です。
はじめは、癒しやリラックス、癒しに接したことで涙を流すなど感極まる体験もありますが、そこに一喜一憂して浸ってはならない、ということはヨーガ・スートラにも示唆されています。
そして、あなたにヨガの指導者がついていて下されば、決してそこに溺れさせないはずです。淡々と体験させるはずなのです。
感情にオーバーに寄り添うこともせず、ドラマチックに膨らませることもせず、あなたの感情が湧き出て静まるまでのプロセスを静かに見守ってくださるだけだと思います。
感情に浸る癖、感情を通してしか物事を理解できない自分を固定化させてしまうと、感情体が強くなり、魂との一体化ができなくなってしまうからです。
人生の試練に必要なのは、感情ではなく理性、メンタルの力なのです。これは、ヨガを体系的に学んで下さればよくわかります。
ヨガ、魂の道、精神世界は五感に捉えられない、言葉で理解できない世界です。
ですから、五感や感情を使って理解できるものほど物質的なレベルだと理解することができます。
感情的に理解できるものはわかりやすくて良いという利点はあります。
しかし、それをどんなに手に入れても、自分を目覚めさせる作用にはなっていないのではないでしょうか。
感情的な興奮の体験までで、本当の自分は目覚めていないから、また感情がもたらす高揚感を求めるというパターンを心と身体に作ってしまいます。
もし、ご自身にも当てはまっていたら、軌道修正するために、闇雲にあれこれやっていた心と身体を整えることを、今必要なことをやるというやり方に変えることを考えてみてください。
今必要なことにしか人間は集中できません。それ以外のことになると挑戦になります。
挑戦は、それに耐えられる自分になってからいくらでもできます。そして、望まなくても自然にその道が訪れるのものなのです。
まずは、今の自分に合った必要なことを課題として自分に与えます。
それなら無理せず、今の力を使って精一杯できるので結果もついてきます。
力がついたという実感も得られることから、自信にもつながります。
このように、きちんと整理して教えてもらい、自分に適切なヨガをしていくことからこそ、成長した自分になって目覚めるのです。
そして、「俺はいったい何をしていたんだろう・・・」「私はこれまで何をしてきたんだろう・・・」と、たいていの方がガクっと脱力されます。
この脱力こそが、これまで自分を苦しめてきた我が外れる瞬間です。
我がひとつ外れるたび、魂の光を覆っていた心の障害物が消えて、魂との一体化に一つ近づいていきます。
この体験は、感情を超えています。
これまでこの瞬間に立ち会ってきましたが、文章化することはとてもできません。
人間にこの脱力を起こすのが智慧の言葉の力なのです。
人間は、悩みながらさまよいながら智慧に出会っていきます。
ですから、誰もがはじめは智慧ではないものに出会い、そうすることで智慧ではないことを知る体験をします。
安心してください。もちろん私もそうでした。
でも、そこで必要以上の時間を過ごしてはならないのです。
心に、素直さ、謙虚さ、誠実さが残っていれば、必ず内側の理性が働いて、あなたを正しい道の方へ行くよう気づかせてくれます。
なぜ理性なのかというと、感情より理性の方が魂に近いからです。
智慧の光で我を照らされて、頑固さが抜けて素直になれた時、心と身体が魂の光を表現できるようにひとつ進化します。
この進化を繰り返し、繰り返し、最終的に魂で生きる人になっていくのです。
このプロセスがヨガの科学です。
本質的なヨガはクールで理性的、科学的です。
このことを理解していただけたら、昨日より一歩先へ進んだことになりますね。
こんな時だからこそ、智慧の本を手もとに置いてみるのも良いですね。
氷をグラスに入れる音に夏を感じます。
豆乳とコーヒーを全部混ぜてしまわないで二分化させておく。時の流れの中で、自然と一つになっていく様(ヨガ)を見ているのが好きです。
人間も、氷という心の障害物に遭遇しながら、豆乳とコーヒーが一体化することで別の飲み物(力)に変容していくように、心と肉体・魂が調和して統合されて、新しい自分に変容します。
しかし、このプロセスを、性急に楽に、努力しないで為そうとするのが人間の性。
いつの時代もこういう人たちが失敗してきたのだそうです。
どの書物を見ても、このことが書かれています。
この人間の性分を、落ち着いた性質に変容することがヨガのはじめに行うことです。
感情をコントロールできるようになることで、物質的な意識から精神的な意識に発達していくからです。
昨日のブログに「感情を克服する」と題したのは、この理由からもきています。
ですから、ヨガを始めたての時がいちばん難しく、一番苦労する時だと思います。
なぜなら、感情に振り回される状態で、感情をコントロールできるようになっていかなければならないからです。
当然に足を引っ張られますし、目の前のことに疑いをもたらすようなことを囁いてきます。
このことをヨガでは、「盲人は盲人を導けない」と表現されています。
現代のヨガは、ポーズを入り口に入る方が多いと思います。私もそうでした。
この先がなるべく困難なものにならないように、心と身体を準備する手段として行えると、ポーズから入ってしまっても失敗になりません。
道を途中で軌道修正すれば良いからです。
しかし、このことを知らずに単にポーズの形をとることを行っていると、初めに身につけておかなければならない感情のコントロールが備わりません。
ですから、心の障害物がやってきた時、理性より感情が先立ってしまい、自分の感情の激しさに負けてしまうのです。
冷静な自分をとり戻せるように練習していれば、障害物を見極め、どう乗り越えたら良いか、理性を働かせて考えられるようになります。
感情に飲み込まれてしまうと、同じところに止まるという別の障害にはまってしまうのです。
このことに気づかずに、イライラを静めるために闇雲にポーズを行う、誤ったストレス解消法でより不健康になっていくというパターンに陥っている方が、現代ヨガにはとても多いように思います。
ヨガは、癒しの世界観を画像や音響を駆使してイメージを作り、感情的に見せられています。しかし、本来は感情的な世界ではありません。
感情を使って理解する手段は、大衆に訴えかける時の対策です。
はじめは、癒しやリラックス、癒しに接したことで涙を流すなど感極まる体験もありますが、そこに一喜一憂して浸ってはならない、ということはヨーガ・スートラにも示唆されています。
そして、あなたにヨガの指導者がついていて下されば、決してそこに溺れさせないはずです。淡々と体験させるはずなのです。
感情にオーバーに寄り添うこともせず、ドラマチックに膨らませることもせず、あなたの感情が湧き出て静まるまでのプロセスを静かに見守ってくださるだけだと思います。
感情に浸る癖、感情を通してしか物事を理解できない自分を固定化させてしまうと、感情体が強くなり、魂との一体化ができなくなってしまうからです。
人生の試練に必要なのは、感情ではなく理性、メンタルの力なのです。これは、ヨガを体系的に学んで下さればよくわかります。
ヨガ、魂の道、精神世界は五感に捉えられない、言葉で理解できない世界です。
ですから、五感や感情を使って理解できるものほど物質的なレベルだと理解することができます。
感情的に理解できるものはわかりやすくて良いという利点はあります。
しかし、それをどんなに手に入れても、自分を目覚めさせる作用にはなっていないのではないでしょうか。
感情的な興奮の体験までで、本当の自分は目覚めていないから、また感情がもたらす高揚感を求めるというパターンを心と身体に作ってしまいます。
もし、ご自身にも当てはまっていたら、軌道修正するために、闇雲にあれこれやっていた心と身体を整えることを、今必要なことをやるというやり方に変えることを考えてみてください。
今必要なことにしか人間は集中できません。それ以外のことになると挑戦になります。
挑戦は、それに耐えられる自分になってからいくらでもできます。そして、望まなくても自然にその道が訪れるのものなのです。
まずは、今の自分に合った必要なことを課題として自分に与えます。
それなら無理せず、今の力を使って精一杯できるので結果もついてきます。
力がついたという実感も得られることから、自信にもつながります。
このように、きちんと整理して教えてもらい、自分に適切なヨガをしていくことからこそ、成長した自分になって目覚めるのです。
そして、「俺はいったい何をしていたんだろう・・・」「私はこれまで何をしてきたんだろう・・・」と、たいていの方がガクっと脱力されます。
この脱力こそが、これまで自分を苦しめてきた我が外れる瞬間です。
我がひとつ外れるたび、魂の光を覆っていた心の障害物が消えて、魂との一体化に一つ近づいていきます。
この体験は、感情を超えています。
これまでこの瞬間に立ち会ってきましたが、文章化することはとてもできません。
人間にこの脱力を起こすのが智慧の言葉の力なのです。
人間は、悩みながらさまよいながら智慧に出会っていきます。
ですから、誰もがはじめは智慧ではないものに出会い、そうすることで智慧ではないことを知る体験をします。
安心してください。もちろん私もそうでした。
でも、そこで必要以上の時間を過ごしてはならないのです。
心に、素直さ、謙虚さ、誠実さが残っていれば、必ず内側の理性が働いて、あなたを正しい道の方へ行くよう気づかせてくれます。
なぜ理性なのかというと、感情より理性の方が魂に近いからです。
智慧の光で我を照らされて、頑固さが抜けて素直になれた時、心と身体が魂の光を表現できるようにひとつ進化します。
この進化を繰り返し、繰り返し、最終的に魂で生きる人になっていくのです。
このプロセスがヨガの科学です。
本質的なヨガはクールで理性的、科学的です。
このことを理解していただけたら、昨日より一歩先へ進んだことになりますね。
こんな時だからこそ、智慧の本を手もとに置いてみるのも良いですね。