強さとしなやかさの秘訣、レジリエンス

ポストコロナ時代の生き方として注目されているレジリエンス

「レジリエンス」と検索すると、レジリエンスがもたらす理想に接することができるページがあがってきます。

興味がありそうなページを流し読みで構いませんのでご覧になってみてください。

その理想からどんなイメージを持ちますか?

当方を利用くださるお客様目線で色々なページを拝察した結果、こんな感想を抱きました。

「わかっちゃいるけどできない」。








レジリエンスで実現できる理想的な姿を読むたび、こんな気持ちになりました。

「それができないから苦しんでいるんだってば!」。

理想ばかり掲げられ、読んでいるうちにだんだん腹が立ってきて・・・(私のレジリエンス、スイッチON😅)。




はじめは「レジリエンスがあるといいな」と興味関心から読みはじめても、「私にはムリ」って、途中で閉じてしまうのではないかと思います。

実際に私も読んでいるうちに「あ〜もういい」となって途中でクローズしてしまいました。

なぜなら、理想を掲げられても、概論をいくら読まされても、人は変わらないからです。

私たちに必要なのは、理想より具体的にそれができるようになる手段です。



その前に、レジリエンスがなぜ必要なのか理解できるように、この話から始めていきましょう。

不安にさせる情報に接すると、あなたは自分がどうなるか気づいていますか?

例えば、私の話から理解していきましょう。



私は、動物虐待のニュースに接すると自分のトーンが一気に急降下します。

ヤフーニュースの一覧をスクロールしていると、私のニーズに全く関係なく、世界中の動物虐待のニュースが、様々なニュースに紛れて入ってきます。

昨日は、ライオンの子供「シンバ」が、母ライオンから引き離され、逃げないように後ろ足を折られた状態で、観光客の写真撮影のために人間に扱われていたニュースが出てきました。

自分の日常の裏面に、このように声なき苦しみの世界があることを知ることは必要ですが、いきなり接するとやはり安定が乱れてドキドキします。



ニュースの内容とシンバの画像を機に、自分の心と身体の状態がだんだんと危機状態になっていくのを私は感じていました。

見なきゃよかったと後悔します。

今もこうして書いていると胸が締め付けられるほど苦しいです。

ここで私のレジリエンスを発揮させないと、私はこのニュースをきっかけに落ち込んだ心の状態になります。

身体は急な心のトーンダウンに接して互いの調和が危うくなりSOS状態になります。

心臓がバクバクして、血管がギュっと縮まり、その身体に対して心がさらに新たな緊張を生み出して、、、

といったネガティブな心と身体のシーソー状態になります。

そして、ネガティブな心と身体のシーソー状態を止めれない自分になります。

この状態になってしまうと、「苦しい」という感覚が発生します。

どうでしょう、身に覚えがありませんか。



ですから実際の困難は、シンバのニュースの方より、

シンバのニュースに接したことで引き起こされたネガティブな心と身体のシーソー状態なのです。

レジリエンスのある私とは、このシーソー状態になってシーソーが勝手に動き続けてしまう前に、自分自身の心と身体に「ちょっと待った!」ができる自分のことです。

お母さんが、言うことをきかない子供にとる最終手段として「ちょーっとまったー👹👹👹」と仁王立ちして変身するように。

ふだん見ないお母さんの姿から、子供は何かを察知して静かに言うことをきくようになります。

ここまでの例えから自分に置き換えてレジリエンスの必要性がイメージできますか?





子供は、お母さんの変身に何度か接しているうちに自分で学習します。

お母さんが👹になったら緊急事態発生!

子供は、「今はお母さんの言うことをきかなければいけない時だ」と理解します。




レジリエンスのある私になるために、あなたの心と身体にお母さんがいることを覚えさせること、学習させるのです。

心と身体のお母さんは誰?

あなた自身、あなたの今ここを生きている感覚、意識です。

過去や未来のことを考えながら👹になっても、子供にはちっとも効き目はありせん。

中途半端なところを見抜かれて、口が達者な子供なら口答えされてバトルに発展していきます😖

子供に気持ちを100%向けて👹になれば、何も言わなくても雰囲気で子供は何かを察します。

この100%の状態のことを、三位一体、全身全霊と言うのです。

そして、この三位一体の状態を、自分がその状態になりたい時になれるように、自分の心と身体と今ここに在る意識を三つ揃えて練習するのが、レジリエンス・ヨガなのです。



私自身、レジリエンス・ヨガを通してレジリエンスのある生き方をしていなかったら、

悲しいニュースが絶えないこの地球で生きていけないでしょう。

私は動物や子供が人間にいじめられているニュースに接するたび、全身全霊で悲しくなります。

それを放っておくと心臓が病気になってしまうでしょう。

鬱状態になってしまうと思います。

だから、自分のレジリエンスをしっかり保って生きているのです。

この生き方はこの社会で生きる限り必要です。




レジリエンスは頭でいくら考えても、文章を読んでも身につきません。

シンバの姿を見て一度は心が折れた私が、今日も安定した心と身体で生きていられるのは、自分のヨガで身につけたレジリエンスを維持しているからなのです。

悲しいニュースに接する機会が多い情報社会だからこそ、私は自分で開発したヨガを自分でしています。

これは、悲しい物語に接すると心が折れる子供時代の私に向けて、大人の私が開発したヨガと言えるかもしれません。

悲しいニュースに接して可愛そうがる私だけでは何の力にもならない。

悲惨な世界に接して心が折れたら自分のレジリエンスで復活して、ではどうしたらいいかと考え、自分にできることをする。

このように弱者に向けて自分の力を発揮して生きていけるようになります。

大きな事を成し遂げようとしなくても良いのです。

身の丈に合ったことを、全身全霊で。

祈ることができると思いませんか?

助かることを願って!

そんな人が一人でも多く増えていくことを願っています。


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