アマビエとヨーガ・スートラ
長い梅雨が続いていますね。
ふと気づくと、私たちの日常はコロナウィルス一色になってしまいました。
緊急事態宣言が解除され、自粛生活から解放されたと思ったのも束の間。
以前にも増して増加の傾向を辿る感染者数、社会の動揺。
お城の中で守られ育ったお釈迦様は、城の外に出て初めて人間の苦悩を知ります。
そして、苦悶しながら「なぜ人は苦しむのか」と出家して最終的に悟りを開かれます。
私たちも今、「なぜ?!」の境地だとしたら、お釈迦様のように潜在意識に眠っている力を引き出して前に進むことしかもう道はない、というところまできてしまったのでしょうか。
ピンチはチャンス、火事場の底力と言われるように、窮地に陥った時こそ人間の潜在能力は開花すると言われます。
その時必要になるのが、智慧です。
不気味かわいい😅アマビエもよみがえってきたように、神業は人間が窮地に陥った時に意識に顕れてくるのだそうです・・・
迷ったとき、精神世界やスピリチュアルのジャンルの扉を開けると思います。
するとそこには星の数ほど様々なことを言う人がいて、色々な方法や知識が目の前に怒涛の如く現れてきます。
「精神世界は一寸先は闇」と言われるように、容易く頑迷の道に入っていくことができる世界です。そして、目覚めるまでは頑迷の道に入ってしまっていることすら気づくことができません。
精神世界の知識は、理解できる心に準備してから受け取ると言う順番が本来の道理なのですが、今の時代は自由に手にできるようになりました。
そのため、理解の目が開いていないうちに手に入れるというように順番が逆になってしまっているのですね。
そこで、人間の意識を科学的に変容していくヨーガの登場です。
ヨーガは、人間が迷うことも踏まえ、迷わないように導いています。
それが、ヨーガの八肢則、アシュタンガ・ヨーガと言われる心の科学です(ポーズのアシュタンガ・ヨガとは別)
ヨーガ・スートラの2章29節〜55節の中に、八つの方法のうちの前半部分の方法が解説されています。
実際のヨーガの部分は、後半三つ「ダーラナー(一点集中)・ディヤーナ(瞑想意識)・サマーディ(三昧、悟り)」。
前半は、実際のヨーガを行うためのプラクティカルなことになります。
ヤマ・ニヤマ・アーサナ・プラーナーヤーマ・プラティヤーハーラです。
これで心と身体を実際のヨーガに向けて波動を調整していきます。
そうすることで、壁を乗り越えていく力が獲得されるようになっているのです。
ヨーガ・スートラは、1章1節から順番に読んでいくと眠くなるようです。
読んでもわからないように構成されているのかもしれません。
おそらく悪用されないようにするためではないかと思います。
本を読むとき、私は「あとがき」を先に読んだりします。そこに著者の想いが書いてあるので、本の大枠を掴めて読みやすくなるからです。
ヨーガ・スートラも同じように、4章から見ていくとヨーガ・スートラが私たちに何を教えているのか、ヨーガ・スートラの想いが見えてくるようになります。
4章には、実際のヨーガを行った結果、人間の意識がどうなるか、どういう人になって生きていくかが説明されています。
今の自分の限界を超えていくことができるよ、とヨーガは教えているのです。
その限界を超える鍵になるものが、魂を開花させることです。
魂が目覚めることで、潜在能力を発達させることができます。
これは、特別な人だけができることではなく、私たち人間の本質は魂ですから、人間に生まれていれば必ず実現できることなのです。
魂が目覚めていくことで心をコントロールすることもできるようになります。
怒りや恐れ、ネガティブな思考や感情、悪い習慣、忘れたいのに忘れられない記憶など、客観的にとらえられる意識状態に変容するのです。
1章4節曰く、それまでの私たちは、心が生み出す価値観や先入観、偏見、固定観念、習慣、癖、記憶と同一化して生きているのだそうです。
ヨーガは↑これが苦しみ(無知)だ!と断言しているのです。
だから、2章17節で、この苦しみを何としてでも取り去らなければならないんだよと私たちに伝えています。
しかし、そうしたくても、心が魂とつながらないと自分が心と同一化していることには気づけないような仕組みになっているのが人間の構造の複雑なところです。
人と人の間に第三者が入ることで、物理的な距離ができて分かれることができます。
そうではなく、自分の意識と心がくっついて(同一化)しまっていると、心が生み出す通りの人間になってしまうよ、とヨーガ・スートラ1章4節が言っているのです。
恋人どうしの間に誰かが割り込んで2人の間に距離ができることで、それまで見えていなかった互いの姿や本音が見えてくるように自分の心が見えてくるようになります。4章18節
ここではじめて精神世界のグルたちが言う「自分をよく見なさい」が現実になるのです。
この見えてくる目を、しっかり自分のものにする過程がヨーガ(瞑想)であり、獲得された意識状態のこともヨーガと言います。
瞑想することによって心とあなたの同一化が取れるんだよ、自由になれるんだよと、2章11節で伝えています。
ところが、瞑想しようとして目を閉じると、思考や感情、イライラや過去の記憶、身体のムズムズや足の痺れ、姿勢の歪みなどがやってきます。
瞑想に苦痛な体験をしない人はまずいないと思います。
ヨーガはその困難も踏まえ、「一つの原理を通して力をつけなさい」と、瞑想の障害を克服する方法を1章32節で述べています。
ここで、あっちをやってみたり、こっちに行ってみたりしたくなるのが、心と同一化している人間の性なのですが、ここは我慢のしどころ。
それは単に移動しているだけになってしまうので、多くのことをしているようでいて実は実になっていないという結果になってしまいます。
もし、瞑想できる力をつけたいと思ったら、ヨーガレッスンに行かなきゃダメなのかな〜と思わなくてもおうちで十分にできます。
正座をして呼吸をしてみましょう。正座がむずかしいようでしたら椅子に座ることでもいいです。
はじめのうちは、飽きるしつらい、眠い、これしかないと思います。こんなことでどうやって自分が変わることができるのかと疑いの心が出てくることもあるでしょう。
でも、すぐ飽きてしまう心の声に引きづられていたら、いつまでたっても瞑想はできないのです。
心を静めることができると、潜在されていた力を引き出すことができます。
ですから、飽きる心、じっとしていられない身体が出てきたら、それらに引っ張られないで、深呼吸をして続けていく努力をしてください。
はじめは3分でも十分ですよ。
ヨガマットを敷く必要もありません。
心をしつける、ということを1日の中にわずかでも取り入れてみてください。
そうして心と同一化していた自分を、心に抵抗させないように少しずつ引き離す準備をしていきましょう。
瞑想は基盤をしっかり構築すること。大きな大きな成功の秘訣です。
魂とつながれないはずがないのです。だって、心の奥深くには魂がすでに宿っているのですから、誰にでも。
そのことを信じて開拓していってください。魂が目覚めることで不安から解放されて、この先の時代をまっすぐ生きていけるように。
また続きを書いていきますね。
頑張って!私もここからヨーガをはじめました。
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ふと気づくと、私たちの日常はコロナウィルス一色になってしまいました。
緊急事態宣言が解除され、自粛生活から解放されたと思ったのも束の間。
以前にも増して増加の傾向を辿る感染者数、社会の動揺。
お城の中で守られ育ったお釈迦様は、城の外に出て初めて人間の苦悩を知ります。
そして、苦悶しながら「なぜ人は苦しむのか」と出家して最終的に悟りを開かれます。
私たちも今、「なぜ?!」の境地だとしたら、お釈迦様のように潜在意識に眠っている力を引き出して前に進むことしかもう道はない、というところまできてしまったのでしょうか。
ピンチはチャンス、火事場の底力と言われるように、窮地に陥った時こそ人間の潜在能力は開花すると言われます。
その時必要になるのが、智慧です。
不気味かわいい😅アマビエもよみがえってきたように、神業は人間が窮地に陥った時に意識に顕れてくるのだそうです・・・
迷ったとき、精神世界やスピリチュアルのジャンルの扉を開けると思います。
するとそこには星の数ほど様々なことを言う人がいて、色々な方法や知識が目の前に怒涛の如く現れてきます。
「精神世界は一寸先は闇」と言われるように、容易く頑迷の道に入っていくことができる世界です。そして、目覚めるまでは頑迷の道に入ってしまっていることすら気づくことができません。
精神世界の知識は、理解できる心に準備してから受け取ると言う順番が本来の道理なのですが、今の時代は自由に手にできるようになりました。
そのため、理解の目が開いていないうちに手に入れるというように順番が逆になってしまっているのですね。
そこで、人間の意識を科学的に変容していくヨーガの登場です。
ヨーガは、人間が迷うことも踏まえ、迷わないように導いています。
それが、ヨーガの八肢則、アシュタンガ・ヨーガと言われる心の科学です(ポーズのアシュタンガ・ヨガとは別)
ヨーガ・スートラの2章29節〜55節の中に、八つの方法のうちの前半部分の方法が解説されています。
実際のヨーガの部分は、後半三つ「ダーラナー(一点集中)・ディヤーナ(瞑想意識)・サマーディ(三昧、悟り)」。
前半は、実際のヨーガを行うためのプラクティカルなことになります。
ヤマ・ニヤマ・アーサナ・プラーナーヤーマ・プラティヤーハーラです。
これで心と身体を実際のヨーガに向けて波動を調整していきます。
そうすることで、壁を乗り越えていく力が獲得されるようになっているのです。
ヨーガ・スートラは、1章1節から順番に読んでいくと眠くなるようです。
読んでもわからないように構成されているのかもしれません。
おそらく悪用されないようにするためではないかと思います。
本を読むとき、私は「あとがき」を先に読んだりします。そこに著者の想いが書いてあるので、本の大枠を掴めて読みやすくなるからです。
ヨーガ・スートラも同じように、4章から見ていくとヨーガ・スートラが私たちに何を教えているのか、ヨーガ・スートラの想いが見えてくるようになります。
4章には、実際のヨーガを行った結果、人間の意識がどうなるか、どういう人になって生きていくかが説明されています。
今の自分の限界を超えていくことができるよ、とヨーガは教えているのです。
その限界を超える鍵になるものが、魂を開花させることです。
魂が目覚めることで、潜在能力を発達させることができます。
これは、特別な人だけができることではなく、私たち人間の本質は魂ですから、人間に生まれていれば必ず実現できることなのです。
魂が目覚めていくことで心をコントロールすることもできるようになります。
怒りや恐れ、ネガティブな思考や感情、悪い習慣、忘れたいのに忘れられない記憶など、客観的にとらえられる意識状態に変容するのです。
1章4節曰く、それまでの私たちは、心が生み出す価値観や先入観、偏見、固定観念、習慣、癖、記憶と同一化して生きているのだそうです。
ヨーガは↑これが苦しみ(無知)だ!と断言しているのです。
だから、2章17節で、この苦しみを何としてでも取り去らなければならないんだよと私たちに伝えています。
しかし、そうしたくても、心が魂とつながらないと自分が心と同一化していることには気づけないような仕組みになっているのが人間の構造の複雑なところです。
人と人の間に第三者が入ることで、物理的な距離ができて分かれることができます。
そうではなく、自分の意識と心がくっついて(同一化)しまっていると、心が生み出す通りの人間になってしまうよ、とヨーガ・スートラ1章4節が言っているのです。
恋人どうしの間に誰かが割り込んで2人の間に距離ができることで、それまで見えていなかった互いの姿や本音が見えてくるように自分の心が見えてくるようになります。4章18節
ここではじめて精神世界のグルたちが言う「自分をよく見なさい」が現実になるのです。
この見えてくる目を、しっかり自分のものにする過程がヨーガ(瞑想)であり、獲得された意識状態のこともヨーガと言います。
瞑想することによって心とあなたの同一化が取れるんだよ、自由になれるんだよと、2章11節で伝えています。
ところが、瞑想しようとして目を閉じると、思考や感情、イライラや過去の記憶、身体のムズムズや足の痺れ、姿勢の歪みなどがやってきます。
瞑想に苦痛な体験をしない人はまずいないと思います。
ヨーガはその困難も踏まえ、「一つの原理を通して力をつけなさい」と、瞑想の障害を克服する方法を1章32節で述べています。
ここで、あっちをやってみたり、こっちに行ってみたりしたくなるのが、心と同一化している人間の性なのですが、ここは我慢のしどころ。
それは単に移動しているだけになってしまうので、多くのことをしているようでいて実は実になっていないという結果になってしまいます。
もし、瞑想できる力をつけたいと思ったら、ヨーガレッスンに行かなきゃダメなのかな〜と思わなくてもおうちで十分にできます。
正座をして呼吸をしてみましょう。正座がむずかしいようでしたら椅子に座ることでもいいです。
はじめのうちは、飽きるしつらい、眠い、これしかないと思います。こんなことでどうやって自分が変わることができるのかと疑いの心が出てくることもあるでしょう。
でも、すぐ飽きてしまう心の声に引きづられていたら、いつまでたっても瞑想はできないのです。
心を静めることができると、潜在されていた力を引き出すことができます。
ですから、飽きる心、じっとしていられない身体が出てきたら、それらに引っ張られないで、深呼吸をして続けていく努力をしてください。
はじめは3分でも十分ですよ。
ヨガマットを敷く必要もありません。
心をしつける、ということを1日の中にわずかでも取り入れてみてください。
そうして心と同一化していた自分を、心に抵抗させないように少しずつ引き離す準備をしていきましょう。
瞑想は基盤をしっかり構築すること。大きな大きな成功の秘訣です。
魂とつながれないはずがないのです。だって、心の奥深くには魂がすでに宿っているのですから、誰にでも。
そのことを信じて開拓していってください。魂が目覚めることで不安から解放されて、この先の時代をまっすぐ生きていけるように。
また続きを書いていきますね。
頑張って!私もここからヨーガをはじめました。
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