時代の変化に応じたヨーガの道
コロナ禍の中で今日のヨーガは大きく変わろうとしています。
そして、ヨーガのとらえ方においても、今まで見えていなかったヨーガの正体を現すことにつながるくらいの転換なくして今この変化にはもはや対応できなくなっています。
これから私たちは古いものを手離して新たなやり方や価値観にぬり替えていく作業を、ページをめくるかのようにこなしていかなければなりません。
誰もが今はじっと我慢の時です。
今動くより、この社会情勢の変動を通過しなければならない私たちの心理状態と動向を観察し、次の方向性を発見する務めに専心する道を私は選んでいます。
なぜなら、時代は変わるのです。
これまでにはないコロナ禍によって生まれた苦悩に対応できる対策を、新たに生み出さなければなりません。
そうは言っても無収入ですからつらい選択になりますが、宇宙が大きく転換している時は人間はあれこれ動こうとせず嵐がやむのを耐えて待つ姿勢も時に必要です。
そのためにこの凛とした姿勢を培ってきたと言っても過言ではありません。
あぁ無常の意味を知る
無常という法の中で生きなければならない人間は、変化の中でバランスをとるために、変化とは反対の不動を身につけるのです。
荒れ狂う中で不動の姿勢をとり、人々が恐るコロナ禍に潜在された意図を感じとるのです。
必ずそこには闇だけではない、新たな世界につながる指針が潜んでいるはずです。
そこから新たな創造につながるヨーガを、今この苦難を乗り越えた私たちの進化につながる道を指し示すことが、これからの時代に必要とされるヨーガでありヨーガ指導者です。
そのシフトの時期を経て、新たな次元によみがえるまで私自身も今は耐える時です。
皆さまにまたお目にかかれることができればと思っています。
今この状況ではこれまでの肉体的・心理的セラピー、カウンセリングやその他対人による援助の技法が十全な効果を発揮することはできません。
従来のセッションをオンラインで提供することは私にとっては苦渋の決断になります。
この境地を私を医師として例えるならば、十全な成果を出せる治療を施せないのをわかっていて遂行し治療費をいただくようなものです。
ですから、これまでの時代に謳歌したものを、今この状況に無理やり適用させようと躍起になるのではなく、冷静になってコロナ禍からの未来を考えること。
コロナ禍に置かれた人々の必要は何であろうか観察し、それに応えられるもの、成長につながるものを創造する責任があると思っています。
なぜなら、人間が抗うことのできない自然の流れにのみ込まれ、それを通して可能になる大きな転換を経て、新たに自分自身をも含めた全体を刷新させない限り、ヨーガ自体も生き延びられなくなると考えています。
つまり、提供するヨーガそのものと、人材の質が、これまで以上に低下していくということにもつながっていくのです。
ヨーガ指導者は生業でありながら教育家、研究者と実務家の両方の立場を取らなければ成立しない仕事です。
ですから、単にオンラインに切り替えれば良いという問題意識ではこの場を乗り切る解決にならないのです。
とはいえ、時代の波に乗らなければなりません。
オンラインにシフトされるならオンラインに適したプログラムへ刷新するための研究、そして自分自身の指導者としてのあり方・見せ方、自分という人間も含め総合的にバージョンアップさせる必要があります。
果たして、自分自身の脱皮と刷新の過程に取り組んでいる方がどれだけいるだろうかと思います。
なぜなら、指導の道には「盲人は盲人を導けない」この原則があるからです。この苦悩の時代に人を導いていくには、まず自分の目を開かせなければなりません。それも、この渦中の中で、です。
目先のことにとらわれ、今この場を乗り切ることに焦りから策を興じても、次の時代に対応する基礎的体力がこの苦境の中で訓練されなかったツケが、後に現れてしまうことになりかねないのです。
今、この状況の中でヨーガに出会われた方、そして、この苦境に接することで生き方を問い正したい、改めて「ヨーガとは何か」を問い、そこから丁寧に学び直したい、そう思われた方もいらっしゃることと思います。
このコロナは、私たち一人ひとりにこれまでの自分のあり方を反省する機会を与えたと思います。私自身は大いにそれに当てはまる人間です。
ですから、社会を責めるより自分です。なぜなら、ヨーガにおいての社会の健全さは、健全な個人の集合体とみなしています。
ヨーガは、個人を進化させることで社会全体の進化を目的にしている科学なのです。
一人ひとりがヨーガに健全に取り組むことによって得られる結果は、コロナを経験した私たち現代人が新しい世界を創造することにつながることが考えられませんか?
そのために、これまでの私たちのヨーガの自己解釈を指導者ともども改める、軌道修正する必要があるのです。
自分の都合でヨーガを決めつけず、食わず嫌いや、偏見、先入観を手放し、ヨーガを学ばせていただく者として、純粋に受け入れ、学び直すことが必要です。
このまま誤った理解と方向性のまま従来のヨガを続けていっても得れらるものはありません。
ですから、コロナはヨーガをも崩壊していったと思うのです。創造・維持・破壊の宇宙の法に沿って。
日本のヨガはアメリカのパワーヨガの影響を受けて今に至りました。それが今のアメリカの状況を見ると目を閉じること以外にできる反応がありません。
これまでの取り組みを心機一転させよと啓示しているのではないでしょうか。
では、これまでのヨーガがダメだったのかと言うとそうではありません。
精神世界の道は、常に今手にしている学びが次のステップにつながる目的で存在しています。ですから、今日この日を迎えるための準備だったのです。
精神世界には「自己選択」という自由意志が与えられています。この猶予があるため、無知な私たち人間には自己解釈や自論があるレベルまでは許容されています。
なぜなら、本人の意識が進化しないかぎり、それは見えてこないからです。
新型コロナウィルスのワクチン開発が精力的に進められていることと並行して、個人においてもするべきことがあります。
魂のレベルから心も身体も総合的に自己管理できる能力を身につけることが、新しい時代の健康概念として確立される必要があると考えます。
魂は目に見えません。その一つの目処になるのが「言葉」です。
カロリーや運動量、食事の質など物理的な面でとらえる健康意識ではなく、自分自身が何によって構成されている存在なのか、人間をメタ解剖学的に学び知る必要があります。
人間は自らの内に神性があることに自分の肉体を通して気づき、それにより生かされている謙虚さを体現できるように心の美徳を高め、精神的安心感を体感レベルで得ること。
このような健康レベルに向上させる指導ができるヨーガ指導者が必要です。
全てを機械化、短期化しようとする現代人の意識は、根本から人間をとらえ探究しようとしない、見ようとしない甘さが潜在的にあるがためのように思います。
これは、今日の医学もまた同様であるのではないでしょうか。ヨーガはそれを何千年にわたり人間に訴え続けているのです。
霊的な界層から人間をとらえた知識を一般人が理解できる教育、社会的地位のある教育体制を建設すること。
倫理と社会、真理と科学技術の融合がこれからの時代に必要だと考えています。
それは必ずしもインド風である必要は全くなく、スピリチュアル的に演出する必要もなく、古代をそのまま現代人に用いるものでもありません。
古代人と今の私たちは、文明も価値観もライフスタイルも全く違います。古代の智慧は、今の私たちに適用する形に応用する、この一手間が今この時代に生きる指導者の債務です。
そして、いつの時代にもめぐる過渡期においてそれを担うのが地上における本来のヨーガ指導者の存在意義なのです。
私たちはそれを果たさなければなりません。
荒野で咲く一輪のバラのように、私はコロナ禍の中で今をよく見ていたいと思います。
そして、そこから得たヨーガの新たな道をこれから少しずつブログに書いていきます。
気持ち新たにヨーガに取り組みたいとお考えの方々にお読みいただき、ご賛同いただければ幸いに思います。
そして、この喜びは私にヨーガの道を見せてくれたこれまでの指導者の方々へつながっています。
最後までお読みくださりどうもありがとうございました。
乱雑な表現も多々あったことと思います。未熟者故、どうかご容赦ください。
皆さまのご健闘を心からお祈りいたします。
そして、ヨーガのとらえ方においても、今まで見えていなかったヨーガの正体を現すことにつながるくらいの転換なくして今この変化にはもはや対応できなくなっています。
これから私たちは古いものを手離して新たなやり方や価値観にぬり替えていく作業を、ページをめくるかのようにこなしていかなければなりません。
誰もが今はじっと我慢の時です。
今動くより、この社会情勢の変動を通過しなければならない私たちの心理状態と動向を観察し、次の方向性を発見する務めに専心する道を私は選んでいます。
なぜなら、時代は変わるのです。
これまでにはないコロナ禍によって生まれた苦悩に対応できる対策を、新たに生み出さなければなりません。
そうは言っても無収入ですからつらい選択になりますが、宇宙が大きく転換している時は人間はあれこれ動こうとせず嵐がやむのを耐えて待つ姿勢も時に必要です。
そのためにこの凛とした姿勢を培ってきたと言っても過言ではありません。
あぁ無常の意味を知る
無常という法の中で生きなければならない人間は、変化の中でバランスをとるために、変化とは反対の不動を身につけるのです。
荒れ狂う中で不動の姿勢をとり、人々が恐るコロナ禍に潜在された意図を感じとるのです。
必ずそこには闇だけではない、新たな世界につながる指針が潜んでいるはずです。
そこから新たな創造につながるヨーガを、今この苦難を乗り越えた私たちの進化につながる道を指し示すことが、これからの時代に必要とされるヨーガでありヨーガ指導者です。
そのシフトの時期を経て、新たな次元によみがえるまで私自身も今は耐える時です。
皆さまにまたお目にかかれることができればと思っています。
今この状況ではこれまでの肉体的・心理的セラピー、カウンセリングやその他対人による援助の技法が十全な効果を発揮することはできません。
従来のセッションをオンラインで提供することは私にとっては苦渋の決断になります。
この境地を私を医師として例えるならば、十全な成果を出せる治療を施せないのをわかっていて遂行し治療費をいただくようなものです。
ですから、これまでの時代に謳歌したものを、今この状況に無理やり適用させようと躍起になるのではなく、冷静になってコロナ禍からの未来を考えること。
コロナ禍に置かれた人々の必要は何であろうか観察し、それに応えられるもの、成長につながるものを創造する責任があると思っています。
なぜなら、人間が抗うことのできない自然の流れにのみ込まれ、それを通して可能になる大きな転換を経て、新たに自分自身をも含めた全体を刷新させない限り、ヨーガ自体も生き延びられなくなると考えています。
つまり、提供するヨーガそのものと、人材の質が、これまで以上に低下していくということにもつながっていくのです。
ヨーガ指導者は生業でありながら教育家、研究者と実務家の両方の立場を取らなければ成立しない仕事です。
ですから、単にオンラインに切り替えれば良いという問題意識ではこの場を乗り切る解決にならないのです。
とはいえ、時代の波に乗らなければなりません。
オンラインにシフトされるならオンラインに適したプログラムへ刷新するための研究、そして自分自身の指導者としてのあり方・見せ方、自分という人間も含め総合的にバージョンアップさせる必要があります。
果たして、自分自身の脱皮と刷新の過程に取り組んでいる方がどれだけいるだろうかと思います。
なぜなら、指導の道には「盲人は盲人を導けない」この原則があるからです。この苦悩の時代に人を導いていくには、まず自分の目を開かせなければなりません。それも、この渦中の中で、です。
目先のことにとらわれ、今この場を乗り切ることに焦りから策を興じても、次の時代に対応する基礎的体力がこの苦境の中で訓練されなかったツケが、後に現れてしまうことになりかねないのです。
今、この状況の中でヨーガに出会われた方、そして、この苦境に接することで生き方を問い正したい、改めて「ヨーガとは何か」を問い、そこから丁寧に学び直したい、そう思われた方もいらっしゃることと思います。
このコロナは、私たち一人ひとりにこれまでの自分のあり方を反省する機会を与えたと思います。私自身は大いにそれに当てはまる人間です。
ですから、社会を責めるより自分です。なぜなら、ヨーガにおいての社会の健全さは、健全な個人の集合体とみなしています。
ヨーガは、個人を進化させることで社会全体の進化を目的にしている科学なのです。
一人ひとりがヨーガに健全に取り組むことによって得られる結果は、コロナを経験した私たち現代人が新しい世界を創造することにつながることが考えられませんか?
そのために、これまでの私たちのヨーガの自己解釈を指導者ともども改める、軌道修正する必要があるのです。
自分の都合でヨーガを決めつけず、食わず嫌いや、偏見、先入観を手放し、ヨーガを学ばせていただく者として、純粋に受け入れ、学び直すことが必要です。
このまま誤った理解と方向性のまま従来のヨガを続けていっても得れらるものはありません。
ですから、コロナはヨーガをも崩壊していったと思うのです。創造・維持・破壊の宇宙の法に沿って。
日本のヨガはアメリカのパワーヨガの影響を受けて今に至りました。それが今のアメリカの状況を見ると目を閉じること以外にできる反応がありません。
これまでの取り組みを心機一転させよと啓示しているのではないでしょうか。
では、これまでのヨーガがダメだったのかと言うとそうではありません。
精神世界の道は、常に今手にしている学びが次のステップにつながる目的で存在しています。ですから、今日この日を迎えるための準備だったのです。
精神世界には「自己選択」という自由意志が与えられています。この猶予があるため、無知な私たち人間には自己解釈や自論があるレベルまでは許容されています。
なぜなら、本人の意識が進化しないかぎり、それは見えてこないからです。
新型コロナウィルスのワクチン開発が精力的に進められていることと並行して、個人においてもするべきことがあります。
魂のレベルから心も身体も総合的に自己管理できる能力を身につけることが、新しい時代の健康概念として確立される必要があると考えます。
魂は目に見えません。その一つの目処になるのが「言葉」です。
カロリーや運動量、食事の質など物理的な面でとらえる健康意識ではなく、自分自身が何によって構成されている存在なのか、人間をメタ解剖学的に学び知る必要があります。
人間は自らの内に神性があることに自分の肉体を通して気づき、それにより生かされている謙虚さを体現できるように心の美徳を高め、精神的安心感を体感レベルで得ること。
このような健康レベルに向上させる指導ができるヨーガ指導者が必要です。
全てを機械化、短期化しようとする現代人の意識は、根本から人間をとらえ探究しようとしない、見ようとしない甘さが潜在的にあるがためのように思います。
これは、今日の医学もまた同様であるのではないでしょうか。ヨーガはそれを何千年にわたり人間に訴え続けているのです。
霊的な界層から人間をとらえた知識を一般人が理解できる教育、社会的地位のある教育体制を建設すること。
倫理と社会、真理と科学技術の融合がこれからの時代に必要だと考えています。
それは必ずしもインド風である必要は全くなく、スピリチュアル的に演出する必要もなく、古代をそのまま現代人に用いるものでもありません。
古代人と今の私たちは、文明も価値観もライフスタイルも全く違います。古代の智慧は、今の私たちに適用する形に応用する、この一手間が今この時代に生きる指導者の債務です。
そして、いつの時代にもめぐる過渡期においてそれを担うのが地上における本来のヨーガ指導者の存在意義なのです。
私たちはそれを果たさなければなりません。
荒野で咲く一輪のバラのように、私はコロナ禍の中で今をよく見ていたいと思います。
そして、そこから得たヨーガの新たな道をこれから少しずつブログに書いていきます。
気持ち新たにヨーガに取り組みたいとお考えの方々にお読みいただき、ご賛同いただければ幸いに思います。
そして、この喜びは私にヨーガの道を見せてくれたこれまでの指導者の方々へつながっています。
最後までお読みくださりどうもありがとうございました。
乱雑な表現も多々あったことと思います。未熟者故、どうかご容赦ください。
皆さまのご健闘を心からお祈りいたします。