第二の人生、漠然とした不安を人間的深みに変えるワザを持っておく

こうして自粛生活を続けていると、曜日の感覚もなくなってくるものですね。

仕事もストップしているので、私が目にする生命体といえば2匹のネコと母、窓の外を飛んでいるカラスとかツバメとか。。


時々ラインで話す友達との会話が、唯一私の口を大きく開けてくれます。

それ以外はマウナ(言葉を発しない精神修行)のような日々です。


この状況にある意味は人それぞれだと思います。

この状況に置かれて、私自身もいろいろなことを考えました。









これまでのルーティンワークが回転しなくなってきました。

今朝、起きた時に頭の中にいつもまわる思考が浮かんでいないことに気づきました。

思考がフル回転していたことで、見えていなかった考えや自分のイヤな部分が浮き彫りになってきます。

しかし、これは心が記憶を消化している時なのです。

意識に浮かんできたネガティブな思考や記憶の意味を知らず、抑圧して忘れようとしてしまう方が多いと思います。

日常生活で悩みや不安を漠然と感じている方の不安は、少なからずここにあるのではないでしょうか。



ソコンやスマホを思い出して下さい。更新のお知らせが画面にスッと現れませんか?

バージョンアップするためのお知らせですね。

パソコンがバージョンアップされている間の私たちと言えば、作業することを止められます。

「ちょっと済むまでの間、何もしないで静かに待て」ということです。

実は、私たちの心にもこの工程と同じことが頻繁に起きています。

50代以降の心と身体のエネルギーは死に向かっているため、心を軽くしていく成長フェーズに入っています。

ですので、この先の人生に持っていても何の役にも立たないネガティブな思考や古い考えが顕在意識に上がってきます。



こういう時に必要なのは、自分を俯瞰してみることができる心の技術です。

本屋さんへ駆け込んだり、ネットで探したり心を忙しなく動かしますが、実はこの間は逆の行動が必要です。

この時期に行う瞑想こそが、豊かな人間に変える力です。

50代からの人生は、日常にほんの少しでも良いので瞑想を取り入れることをお勧めします。





気づいていなかった自分の考えに気づいてしまうことは、誰にとってもイヤなものです。

でも、ここに向き合うことこそが大人のたしなみだと思います。

この痛みから逃げないで、痛みを抜けたその先の姿を人生の後輩たちに見せていくこと。

年齢を重ねてもファッションやお洒落な生き方で、人生の後輩たちを魅了していくのとはまた違った度から、年齢を重ねていくことへの不安を取りのぞいてあげることができます。



私が自分でする時は、客観視の意識を持って自分の中から出てくる言葉をひたすらみています。

大切なのは身体の力を抜くこと、間違っても全身に力を入れずに行うことが大事です。

そうすることでエゴがニュートラルになり、浮かんできたネガティブな思考と争うことなく静かに観ていられるようになります。



ネガティブな思考が湧いてきて平然でいられる人などいません。

心と身体は神経でつながっているので、感情や思考にふさわしい感覚になります。

ですから、人間には精神修行が与えられているのです。

耐えることを知らない心と身体は、容赦なく訪れる年齢の変化になすすべがなく生きていく気力を失っていきます。

50代からの人生を迎えた私たち一人ひとりが、人生を通して心を鍛えられています。

ありがたいことです。


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