ヨーガを続けた努力が実るとき

新たな週末がやってきました。自粛生活で時間がたくさんあるはずなのに1週間が早く感じます。

今朝はお風呂をそうじしながら良い気分になりました。泡でこすって石鹸カスをとり水で流す。タライを指でこすると「キュッキュッ」この音が好きだったります。


窓を開けて入ってきた風を感じて優しい気持ちになりました。そして、個人指導にきてくださっているMさんのことを思い出しました。Mさんはもう10年以上ヨーガの指導を受けて下さっています。

プリンセスとカップケーキが大好きなお姫(お嬢さま)と一緒に元気にしているかなぁ・・・。季節のご挨拶を一筆おくりたくなるそんな気持ちが込み上げてきたのです。


「昔の人は想いを言葉によらないで伝えていたのだよ」誰かの言葉を思い出しました。テレパシーですね。大人には見えない聞こえないものを感じる子どもの済んだ知覚力、というと身近に感じやすいでしょうか。







想いは相手に伝わるという言葉は本当です。それは、私たちに「エーテル体」がそなわっているからです。

エーテル「光や電磁波を伝える仲立ちとして宇宙に満ちていると考えられた物質」Google

この説から理解すると、エーテル体は光や電磁波を伝えるカラダであることがわかります。では、エーテル体が受けとる光や電磁波は?といったら「想い」になりますね。


私のことを考えながらメールを書いて下さっていたMさんの想いが、お風呂をそうじしている私のエーテル体に伝わったのだと思います。オンラインを超えたハイテクなコミュニケーションツールですね。



これまで続けてこられたMさんのヨーガが、今のこの状況を乗り越える力になってくれていることがわかって安堵の笑みがこぼれました。

ヨーガの魅力は、「人と人のつながり」を作り出すこと。そこから、人を前進させる勇気になり、無いところから生み出す創造の力に変わっていくことだと思います。


ヨーガをきっかけにしてこれまで縁のなかった人と人が出会い、智慧を共有していくことで、今まで知らなかったことを知って価値観が変わり、生き方の視野が広がっていきます。

「なんでこうなるの!?どうして私だけ!?」という我がままが消極的になっていき、雨が止むのを待てる心が育つのです。

ヨーガが形成する人間関係は、親子とも恋人とも、友達とも違う、ヨーガというものによって生み出される人間関係です。

それは、ヨーガが神様がくれた呼吸に乗って言葉を通して人から人へ、魂の部分にまで浸透していくからです。




コロナ禍により、社会における人間の自己規制力の低さが社会現象になっています。

スーパーでの買い物客のマナー、自粛という規制を無視した人々の行動がニュースに報じられるたび、なぜなのだろうと考えてしまいます。(とはいえ理由はあります)

自粛を乗り越えるために、家の中で楽しめる様々な工夫が提案されていますが、その一方で、現代人はあることを失っていくのではないか、そしてこれがコロナ危機後の現代人の特徴になっていくのではないかと危惧していることがあります。

それは、しっかり現実を見て、受け入れ、そこから自分で考える。こうした生きる力です。

大変なことは大変なこと、苦しいことは苦しいこと、我慢しなければならないことは我慢すること。

体験がもたらす様々な感情を経験して、そこから健全な状態に自分で変換していける精神の力を育てることは、どんな人にとっても必要なことです。

ですから、怒りも恐れも悲しみも、みんな必要な体験なのです。


それを十分に味わうことなく五感の楽しみで誤魔化してしまうのが現代の特徴になってしまうように思います。

倫理観、道徳心、秩序の低さが今、露呈されているのではないでしょうか。









今後の課題は、精神的なこと倫理と社会をつなげることだと思います。道徳の学びを子供の頃だけで終わらせず、大人が倫理をきちんと学ぶ必要性を感じます。

学ぶということは、学んだことを日常生活に応用できることで学んだことになります。ですから、話を聞いても生活態度が何も変わっていないということは学んでいるうちに入らないのです。



現代のヨーガは肉体の健康に焦点が当てられていますが、これは実はアンバランスな性格を形成します。

心と身体の健康には、生き方の教育と肉体の健康を目的とした運動、この2つが同時に行われる指導が必要です。

自粛生活の運動不足解消にヨーガを活用している方が多いと思いますが、いずれは心のあり方、精神を育てることにも意識を向けていただけたらと思います。




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