ソロリサイタルから合唱団へ

本当なら今頃は新しいホームページが公開されていたはずでした。

地球が丸ごと一変したような状況の今、ホームページの内容を全て白紙にしました。

コロナウィルスの勢力がやってくる前までの内容は、今この状況から始まる明日には対応できない、そう考えてのことです。








師事した先生方はお亡くなりになりましたが、「先生ならどうしていただろう」一人ひとり思い浮かべながら考えました。

現代のヨーガ普及活動は個人的な活動がメインですが、本来ヨーガもアーユルヴェーダも人と人の糸でつながってきたもの。

人から人へ受け継がれてきたこの尊い関係は失われ、信頼は資格に変わりました。




ヨガインストラクターという職業は憧れの対象になり、承認欲求を果たす効力さえ備えるようになりました。

しかし、そこに真理があるだろうかと考えた時、先生に頭を下げて学ばせていただいたあの日々を思い出したのです。

私の書棚には今日のヨーガを築かれた方々の本が並んでいます。

その中から1冊取り出してみると、そこには今この状況だからこそ実感がこもる内容が書かれてあるのです。




もう30年近くも前に故佐保田鶴治先生によって、日本に初めて正統ヨーガが紹介された。その後、混沌とした高度成長期の社会の中で、ヨーガも健康法として、あるいは美容ヨーガとして、さらに神秘性をおびた宗教として、人々に知られ理解されてきた。



この手記は、番場一雄先生の著書の「あとがき」です。1988年に書かれたことを思うと、今と状況は変わらず先生も同じ光景を見ていらしたことがわかります。



そして今からおよそ10年前頃には一つのヨーガブームがおこり、ヨーガという言葉が巷に聞かれるようになった。しかし、安易なヨーガブームは、特殊な宗教くさい面やアクロバット的な面が強調されたり、美容体操や一種のスポーツ的な感じを人々に与えてきたことはまぬがれない。



現代の日本のヨガは、アメリカ・ハリウッド経由で再び大ブームが起こりました。私が20代の頃のヨーガとは比べものにならないくらいに。ヨーガはマドンナが始めたものと思っている人もいたくらいです。




私はヨーガの持つ多様性の中からヨーガの普遍的な真理としてのエキスを引き出すために25年にわたって佐保田先生の示唆を賜りながら研究し実践を試みてきた。そこで結晶化したヨーガのエキスにはもはやインド的なヨーガの持つ特殊性や異様性、そして宗教的な匂いや迷信性はない。



このヨーガの素晴らしい真理が日本の全ての人々にはもちろんのこと、民族、国境を越えて拡がっていくことを願ってやまない。



何よりも目がとまった一文が「ヨーガの普遍的な真理としてのエキスを引き出すために25年にわたって」のところです。

コロナ禍により社会が変革していく今、孤立か集団かと問われています。

アップルもGoogleと連携して一つの力を創造しました。

今のヨーガに人と人の連携が25年も続くだろうか・・・、そう考えた時、私は自分自身の人格の低さをただただ反省することになりました。

今日の指導者にないものは先人方にあった人格です。この基礎がないことが今のヨーガの在り方を形成してきたのです。

私自身がゼロから歩み直しです。我が身の再建。今、生徒も1人もいない教室もクローズされて今、歩みなおす機会です。

そして、再建できた暁には、先人方をモデルにして歩んでいきたいと思います。






痛みや苦しみは人間に反省をもたらすもの、人間はそこからしか学べない。


痛みや苦しみという感覚は、すべてを科学技術にたより切ってきた現代人に、それらを通してしかできない何かを与えているということを学びました。

それらを自ら取りのぞいて快楽だけを良しとしてしまったら、人間は何を手段に力をつけていけるだろう。

「痛み」、「失う」ことの原理を知恵から知ることができれば、自分の人生に苦痛が訪れた時こそが反省する時であり、生まれ変わるために省みて、真理を学ぶ時だと気づくことができたでしょう。

痛みと苦しみがなければ、人間はどこまでも真の姿に気づかず、人智を超えた存在を認識することには至らないため、恐れに心を侵食されていくことになるのかもしれません。

時代の荒波、天変地異を乗り越えて現代につないで下さったヨーガのバトンを、人と人と手を取り合って受け取っていこうと思います。


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