生き方を問いなおす

「米コロナ死者数、世界最多 2万人超、イタリア上回る」

瞑想から日常生活に入って朝一番に入ってきた情報です。

こんな朝を迎える日がくることを誰が想像できたでしょうか。



この大事態をウィルスという形ではなくても、大きな変動を予測していた知識人は存在したと思います。

しかし、世界の大半は私たち大衆です。

大衆が情報や知識を与えられる側だとしたら、与えられる一方にならないように、この状況を通過した後の大転換にどのように順応して生きていくべきなのか、自分で考えられる力をつける必要があると思います。




知識がオンライン化していく中、誰かが言ったことに振り回されて生きますか?

それとも、大切なことは自分で直観して、選んで、自分に責任をもって生きますか?

後者の生き方は、ウィルスを責めること、社会や会社、自分以外の誰かを責めることはできなくなります。

しかし、私たち一人一人がこの理解で生きることができれば公衆衛生は健全になっていくでしょう。

そうなれば、弱い立場に属する方々(動物も含め)にも良い影響になります。

精神世界から生き方を学ぶということは、自己選択、自己責任、自業自得であることを自覚して生きることです。

この生き方は、忍耐という品格をそなえてくれます。

忘れないでください。精神世界の王道は謙遜と品格です。




社会的には大衆でも、精神レベルまでそこにとどまる必要はないのです。

精神をどこに設定するかは個人の自由です。

だからこそ、精神的な大衆レベルを超えていかなければ、いつまでも誰かが言ったことに振り回される側です。

本当にあなたが困った時、あなたに情報だけを与えた誰かがあなたを救ってくれましたか?

あなたの目の前にいないでしょう?オンラインなら尚更です。相手は画面の向こう側です。

だから、これからの時代は一人一人が力をつけること、そのための手段が必要なのです。



私の専門分野「ヨーガ」から答えを出そうとすると、アメリカ経由で大流行した今日のヨガは、アフターコロナの混乱を支える役目には不適格だろうと考えます。

地球のどこかで2万人の死者が出ている中で、かたや日本のどこかではランチを楽しむ人もいれば、ヨガクラスに参加してポーズをとっている人もいます。

残念ながらこれは、ヨーガクラス、ヨーガ教室という名前はついていますがヨーガではありません。



この事態は、特定の場所だけで起こっている惨事ではなく人類レベルの問題です。

実際に未感染であったとしても、この惨事にどのように反応し対応しているかに、精神性や秩序の程度が現れているのではないでしょうか。




私たちはこれまで消化できないほどの精神世界の知識に触れてきました。

その成果が現れているだろうかと考えた時、ふと手にした本の中に「教えが何世紀もの間与えられてきたのに、かつて何も起こらなかったという思いである」とありました。


「学んでも理解できない」「学んでも変わらない」この結果を、発信する側の私自身がよく直視しなければなりません。

私たちにとって未知の分野をこのまま与え続け、与えっぱなしにしていくのではなく、まず今精一杯できることに限定して、そこから成長する方法に、教える側も学ぶ側も切り替えなければなりません。



ヨーガ、精神世界の学びは、目的と手段(方法)を誤解しやすい道です。

目的ではなく手段、方法の方を重視してしまいます。

ここで多くの人が失敗するので気をつけるように、ヨーガの道ではこの点が注意深くガイドされているのです。

「方法という悪魔にとり憑かれないで」と歌でメッセージされていましたね。>>RPG







なぜ現代人は高い理想を学んでも理解できないのか、実行できないのか、変わらないのか?


このような問いかけを脳に与え、新たな指針を引き出すことが私の当面の仕事になります。

今、私たちが手にしている知識は、このように目には見えない仕事をしてくれた先人達が多く存在するおかげです。

世に知れ渡ることなく、大衆に承認されることもなく地上を去っていった方々の魂こそが今の私たちの先生です。

その想いを受け継ぎ、アフターコロナの新しい時代の要請に応える形にして打ち出すことで感謝の意を表したいと思います。

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