発想を変える時、それは心の断捨離
ニュース番組の街頭インタビューに返答する人々の中に、ある一つの言葉が共通して出てくることに気づきました。
「祈っています」。(皆男性でした)
最後の神頼みの心境に至っていることが、わずか数秒のシーンから切実に伝わりました。
「神様、どうか助けてください」
どうしようもなくなった時、胸の内からふとわいてくる言葉ではないでしょうか。
なぜ、私たちは共通してこの方法を知っているのでしょう。
それは、私たち人間には「神性」という性質が宿っているからなのだそうです。
地下からよみがえってきた八戸市の是川縄文館にお住まいの合掌土偶。
国宝的アイドル(?)となり、世界中の人々に認知されましたね。
古えのものは、その時代を救う時期が訪れた時、どんなに深く埋没されていたとしても必ず地上に甦ってくると言われています。
ヨーガもそうです。一気に拡がったと思いませんか?
バガヴァッド・ギーターに、この流れのことが説明されています。
この普遍的な教えを、まず個人に当てはめて考えることから始めていきます。
自分自身の人生に置き換えながら理解する練習です。
そこから、家族や友達、会社、地域、社会、国、世界へと、どんどん規模を広げていきながら、最終的に「人類は一つ」という認識へ発達することを目標にしています。
このプロセスのことを、意識の進化といいます。
そして、そのための教育法と訓練の場が、ヨーガです。
このように、まずは小さな考え方からはじめ、その考えが自分の生き方に現れるように心と身体を意識して動かしていきます。
ですから、ヨーガの訓練は、思考の用い方と生き方の訓練なのです。
NHKスペシャル「感染爆発をどう防ぐか」のワンシーン(1分39秒)に目がとまりました。
小学校の校長先生が「やっぱり私たちが発想を変えていかないといけない」と発言されていました。
「祈っています」。(皆男性でした)
最後の神頼みの心境に至っていることが、わずか数秒のシーンから切実に伝わりました。
「神様、どうか助けてください」
どうしようもなくなった時、胸の内からふとわいてくる言葉ではないでしょうか。
なぜ、私たちは共通してこの方法を知っているのでしょう。
それは、私たち人間には「神性」という性質が宿っているからなのだそうです。
地下からよみがえってきた八戸市の是川縄文館にお住まいの合掌土偶。
国宝的アイドル(?)となり、世界中の人々に認知されましたね。
古えのものは、その時代を救う時期が訪れた時、どんなに深く埋没されていたとしても必ず地上に甦ってくると言われています。
ヨーガもそうです。一気に拡がったと思いませんか?
バガヴァッド・ギーターに、この流れのことが説明されています。
到るところに、法の衰退と無法の出現がある時はいつでもわたしはわたし自身を顕わす。
正しき者たちの救済のために、悪事を働くような者たちの撲滅のために、
神の法のしっかりとした確立のために、わたしは、時代から時代へと出現する。
バガヴァッド・ギーター第4章 7〜8節
この普遍的な教えを、まず個人に当てはめて考えることから始めていきます。
自分自身の人生に置き換えながら理解する練習です。
そこから、家族や友達、会社、地域、社会、国、世界へと、どんどん規模を広げていきながら、最終的に「人類は一つ」という認識へ発達することを目標にしています。
このプロセスのことを、意識の進化といいます。
そして、そのための教育法と訓練の場が、ヨーガです。
このように、まずは小さな考え方からはじめ、その考えが自分の生き方に現れるように心と身体を意識して動かしていきます。
ですから、ヨーガの訓練は、思考の用い方と生き方の訓練なのです。
NHKスペシャル「感染爆発をどう防ぐか」のワンシーン(1分39秒)に目がとまりました。
小学校の校長先生が「やっぱり私たちが発想を変えていかないといけない」と発言されていました。
今、これまでの考え方を大きく変えざるを得ない状況に誰もが直面しています。
しかし、考え方は変えようと思ってもなかなか変えられないと感じた経験はありませんか?
仕組みを理解しておくことで、苦しまずにできるようになります。
ブログから簡単にご説明します。
変えなければならない考え、今抱えている発想。
これは、何が基になっているでしょうか。
まず、ここに視点をおいて、変えようとする意志を持つ必要があります。
この心構えがないまま言葉だけで「発想を変えよう」とすると変わりません。
なぜなら、今抱えている発想の根幹は記憶です。
記憶は普段は眠っていますが(わかりやすく説明しています)、機会があると起きてきます。
根深い性質を持つ記憶は、一度起きるとなかなか寝てくれません。
頭の中にずっと居座ります。
その記憶を基に思考し、行動すると、その記憶はますます居座り続けます。
記憶は過去のものなのに、今を生きている私たちの意識を占領してしまうのです。
しかし、所詮それらは記憶です。古いデータなのです。
今ここに役立つものではありません。やがて効力を失います。
USBに入っている古い画像を見ても、やがて飽きますよね?それと同じです。
「発想を変えなければならない」時は、今抱えている発想にまず客観的に気づきましょう。
そして、それは記憶であることを知れば、いさぎよく手放して、新しい考え方をしようという意志が動き始めます。
この意志があるところにこそ新しいアイディアがわいてくるのです。
この文章であることに気づきませんか?
アイディアは、わいてくるものだということです。
ですから、頭を使ってウンウン唸るのではなく、アイディアをいただくために私たちができることは、断捨離をしてスペースを生み出すことなのです。
今、これまでの日常がもう戻ってこないくらい様変わりしています。
動画の校長先生に限らず、多くの方が「発想を変えなければならない」窮地に立たされていると思います。
そこで苦しまないように、手放せないことから執着心を追加してしまわないように(余計に苦しくなるので)、今日のブログの内容を少し思い出していただければ幸いです。