カラダは全部おぼえてる

「自分を取り戻す」

なんとなく魅力的に聞えるフレーズです。

しかしこれは、

雑誌で目にするような

言葉遊びだけのものではありません。

切実で現実的なことです。

一人一人が、

成し遂げるべき価値あるものだと思います。




「自分を取り戻す」

それは、こちらが予想しないことから

「蓋をしていた意識」が開く場合があります。




例えば、先日のブログでご紹介したこちらの生徒さんのように





ご自身曰く「若い頃」の体をふと思い出され、

それまで自分で自分を縛っていたマントラ

「コワイ、できない、動かない、無理!」を一気につき破りました。

肉体を通して潜在されていた何かが、

顕在意識に浮かび上がってくることがあります。

その証しが、この開脚です。

講師の私自身、予想外のことに驚きました。




この開脚を機に、

生徒さんの性格は変わりました。

それまでは、

いつも周りに気を遣いすぎている様な感じから

ハキハキお話しされるようになり、

体もどんどん柔軟になっていきます。

御歳7?歳です!

今年3月末から私のもとでヨーガを始めたばかりですが、

瞑想できるまでの姿勢と心の状態に上達されました。




紛れもなく私たちには一人一人、

頭では理解できない記憶の束を持っています。

記憶は心の働きの一部です。※ヨーガスートラより

その記憶から突き動かされ生きること

その束縛から自由を取り戻すこと。

それがヨーガなのです。

そのシステムを現代人に実践しやすく改良されたものが、

センシティブ・ヨガです。




自分を愛する。

自分を浄化する。

なんとなく気が向いた時だけ愛しても、

心の奥には届きません。

自分を愛するべきその領域は、

頭で考える意識とは違うからです。

まず、

“自分を愛する”この意味を知ることで

私たちははじめて、

自分を幸せにする本当の

実際の行動に移すことができます。




記憶という束縛。

そこから自分を救うことができるのは、

自分以外に存在しません。

そしてこの記憶は、

記憶を生み出したこの肉体、心、意識に根づいています。

ですから、

自分で自分の束縛を断ち切らない限り

魂はまた肉体を変えて

この記憶を繰り返しに地上にやってきます。

それが自分だとしたら?

そう思うと、

やはり自分を救えるのは自分しかいないとわかりますね。





記憶は意識の部分では、

残存印象として残ります。

ここにあるものを浄化できるのは

人間である今なのです。

浄化は、

最終的には自己努力と言われています。

記憶に突き動かされていては、

生きづらいと感じて当然です。

その生きづらさがあるなら、

何かまずは自分のために

小さなアクションを起こしてみて下さい。




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