体に対する嫌悪感を素直さに変えたとき光りは訪れる

幼少の頃から自分の体に対して嫌悪感を抱いていた方がいました。

自分に向けられた嫌悪感という心の矢は、

大人になっても解放されることはありませんでした。

その矢はいったい

どこへ行ってしまうのでしょう?



人は少なからず誰もが

自分に対する否定的な思いを持っているのではないでしょうか。

たとえば、「私は~がやりたいけど~だから出来ない」

こんな心の思い込みは、

日常の中で常にささやかれていますよね。



しかし問題なのは、

このささやきを客観的にとらえられていないことです。

無意識の心の層からスっと出てきたささやきを

承認してしまうのではないでしょうか?




つまり、

そのささやきが出てくると

さっきまでの夢も希望も、明るい考え方も

一気にねじ曲げられてしまうのです。

人格がスっと入れ替わっったかのように

自分に対する見方ばかりでなく

周りさえも嫌悪感の目線から見えていくことはありませんか?

「もっとこうすればいいのに、もっとあぁすればいいのに」

そんなふうに周りが見えた経験があるかもしれません。




今、自分の目に映っている目の前の情報を

どのように理解しているかよく自分の心を観察していきます。

そうすると、

どんな心の性質が発端となって

今目の前のこの光景を解釈しているのだろうか?

このように観ていくと、

自分の心の世界が少しずつ見えてきます。



自分に向けられた嫌悪感は、

それが体であれ心であれ、何であれ

自分を攻撃していることになるとはよく言われることです。




それと同じ意味が体にもあてはまります。

体は道具と同じです。

心を込めるとどんどん変わっていきます。

しかし、その反対に嫌悪感を向けられてしまうと

どうなるでしょう?



嫌悪感いっぱいに使用された道具の行く末がどうなるか

想像できますよね?

物には心が宿ると言うように、

体にはその人の心がありのままに宿ります。




現代人の頭の中は、

痩せている人がキレイという神話に洗脳されているため、

そこから少しでも自分の体が外れていると

嫌悪感を抱く人は少なくないのではないでしょうか?



また、自分の体に向けられる意識が疲れや痛み、

イライラやストレスからくる鈍重感など

マイナスの自覚を感じる時だけ

体に意識が向けられている場合もあると思います。

どういう心でそのものを意識しているかによって

道具の在り方は変わってきます。

道具がイキイキと能力を発揮するような

心の目線を持ってあげたいですね。




あなたがヨーガをする時は、

体という道具を労わり尊重し、

感謝する儀式のように行わなければなりません。

しかし、日本の現代女性にはホットヨガが流行していますね。

汗を大量に流され、水を大量に飲みこまされる。

そんな肉体労働のような野蛮な体の扱い方をしていると、

心もやがてそうなってしまうのです。




「日本の女性は汗をかくことと体の冷えにとらわれすぎているね」と

かつてのインドの師が冗談まじりに言っていたのを覚えています。




では、体が汗をかけなくなった時

自分の心がどう反応するかを考えてみて下さい。

健康的な心をヨーガで育てるならば、

汗をかける体になろう

冷え対策をしようとポーズで働きかけるより

なぜ私はそんなに自分の体から汗を出したいと思うのか?

なぜ私の体に冷たいと感じる反応が起きているのか?

ここを学んでいくことがヨーガです。



体は心の状態のあらわれにしかすぎないのです。

ですから心を改善していこうと働きかけないと

体は改善されていかないのです。



幼少からずっと自分の体に嫌悪感を抱かれてきた体は

やはりヨーガを続けても体は硬いままの一方でした。

しかし、心から頑固さが少しずつ解きほぐされ

素直さが表面に出てくるようになって

体が変わってきたのです。


嫌がる幼子の手を無理やり引っ張るように

ポーズをやらされていた体。

グループのヨーガレッスンから

アーサナ個人セッションに切り替え

自分の体と二人っきりになって少しずつ和解していくうちに、

無理やりという心の矢から放たれたアーサナを

体から解き放ってあげることができた時、

大量の涙があふれ出てきたことは

言うまでもありません。

心の矢ほど

体にとって痛いものはないのです。




あなたはどんな心でどんなふうに

体にアーサナを与えていますか?



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