はずれた道から正道へ





私は、皆様が瞑想できるようになるためにヨーガをお教えしたい。そう思っているのです。


「瞑想できる」と安易に思ってはなりません。

安易な瞑想の取り組みから得られるものは、自分の想像か居眠りです。


メディアの世界では、目を閉じて静かに座っているイメージを映します。

ですから、自分もすぐにそうできると思い込んでしまうのは、仕方ないことなのですが…。


瞑想は、ただ目を閉じているわけではないのです。

瞑想の心と体の条件を、あなた自身がそなえてからのことです。


ヨーガのポーズや呼吸法は、あなたが瞑想をしていくための準備です。そうした意味を正しくとらえて理解して、ポーズや呼吸法の実習を行って下さい。

そうして頂かないと、ポーズや呼吸法が、本来の意味と全く違ったやり方になります。

すると、道はずれていく一方になるからです。



ヨーガのポーズは、骨盤を修正したり、内臓の働きを良くしたり、血行を促すこともあるかもしれません。ですが、それを目的に取り組みすぎてはならないのです。

きちんとヨーガに適した目的をお持ちの上で、ヨーガの実習に取り組んで下さい。


ヨーガは、はじめの一歩が肝心であることをご存じでしょうか?

入会金を払えば、ヨーガのレッスンが始まるというものではないのです。




始めは、なんとなく・・・から始めて下さっても構いません。

ですが、ヨーガはなんとなくのものでも、単なるストレスや運動不足解消の為のものでもないのです。

早期のうちにヨーガの意味を正しく学びましょう。


ヨーガは、人間が地上で霊的な成長を為すことを助ける補助的なものです。


ヨーガに取り組む動機が、肉体やストレス解消ばかりに意識が向いた取り組み方になると、道はやはりずれていかざるを得なくなります。


このずれた道の過程には、飽きがやってきます。


自分好みにやっていても、同じことです。

やったり、やらなかったり。

正しく知識を学ぶことをおろそかにして、自分なりのヨーガの見方でヨーガを実習しても、何も成すことはありません。


あるとするなら、運動不足だと感じているその気持ちを晴らせた、という経験だけです。

するとやはり、飽きてしまいます。



変われることへの夢を抱いて手に入れたヨガマット。


いつしか部屋の隅に追いやられ。

そんなマットは、いったいこの世界に何本あるのでしょう?


この地上世界に、あなたが生まれて来られた理由は、五感の満足を堪能することだったのでしょうか?


「心と体が喜ぶこと」?

旅行へ出かけ、美味しいものを探して、食べに行って、ご褒美の何かを自分に買ってあげて、何かを観て感動して。


人間ならではの楽しみの経験です。


ですが、これらが「心と体が喜ぶこと」の真意ではないのです。


心は、何かをしたから、何かを与えたから喜ぶものではなく、喜べる心に人間のあなたがお育てすることです。

体は、何かをしたから、何かを与えたから、どこかへ連れて行ったから喜ぶのではなく、本来の体に養生することです。


ヨーガの実習は、この二つに取り組んでいます。

喜びを見出せる心と、養生された体をもって瞑想して下さい。


あなたのまわりには、これまでにも、どれだけの守護の力が働いていたか。

涙を流され、その背景をさとられることでしょう。


それをさとるに、他者の言葉は必要ありません。

他人より、あなたをお守り下さるそのものを信じて下さい。


あなたの心が静まり、肉体が落ち着いていれば、瞑想を通して自ずとおわかりになります。


その気づきが、自分でつくり上げた想像にならないように、純粋な意識を感じ取るために繊細な意識へ高めるのです。


そのように、ヨーガにお取り組み下さい。


地上での私たち人間の時間は、非常に限られております。


あなたがここに人間として再生し、今世で成すべきことが何であるのか。早く気づいて下さいますようにお祈りいたします。


真のヨーガを理解して実践する方が一人ずつ増え、霊的成長の取り組みに目覚める人間が増えていきますように。


この地上で人間として生きる時間を、誰もが有効に使い過ごせますように心からお祈りいたします。



守護のお力に感謝いたします。





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