ヨガをやってるのに苦しいナゼ?の理由

内なる世界を知る旅



私のヨーガの核となるものはインドで培われてきました。

ですが、インドをそのまま日本に持ってきても適合しません。

ヨーガは内側の自分を知るために自分で探求していく道。

見えないものに絶対の信念があるインドのヨーガを日本に持ってきても、

人々は拒否反応を示すでしょう。

あるいは自分達にわかりやすく適合させて、

原型はカゲも形もなくなってしまうかもしれません。

そうした事もふまえ、インドから帰国後

今から12年前は

日本人の価値観や生活スタイルを考慮しながら伝えてきました。



ヨーガのサーダナには、

内側に向かう心の体力と繊細な集中力、

洗練された感受力がそなわっていることが必要とされます。

ところが現代日本人の感性といえば、幼稚になっていくものばかりです。

見たり味わったり、モチモチやフワモコなど幼い五感の感性は得意です。

ですが、五感以外の微細な感覚に意識を向けたり、自分の心をみていくことには慣れていません。

日本の現代生活の中では、内なるものを感じる機会を意図してとらないとならないでしょう。



その理由は、自然から切り離された都会の生活様式、情報過多で多忙な社会のあり方。

目には見えない不確かなものより、実際に在るものの方に信頼を寄せる物質有意な価値観。

そして、めまぐるしい変化のIT社会です。

人々はスマホ依存に陥り、常にSNSの世界にいます。

魂が蝕まれる物質的意識の世界に浸りすぎた肉体と心の状態で、何の準備もなくいきなりヨーガのポーズから始めるのは無理があります。

商業ヨガと本来の意味を持ったヨーガでは、始め方からやり方までまったく異なります。

どちらのヨーガを求めているのか、ご自身の気持ちを初めによく確かめてみて下さい。

誤ったものを手にする可能性は大いにあるからです。





現代人がヨーガを始める時は、物資的意識を霊的意識に傾けていく準備が必要です。

つまり、民間のテレビチャンネルから、霊的なチャンネルに切り替えていくのです。

準備されていないと、霊性のヨーガの世界と雑な物質意識が調和せず、ヨーガが見えない耳に入ってこない、という状態を招きます。

霊性のチャンネルに、肉体と心がチューニングされていないからです。

その状態では、たとえ目の前でヨーガを語られていたとしても、物質的意識に染まった五感の耳には入ってきません。


聞こえてはいますが、心がそれを受信するチャンネルに合わされていないため理解できないのです。


すると心は、訳も分からず「宗教みたい」または「深すぎる」と反応します。

ヨーガに違和感を感じる方が多いのは、こうした理由もあるのです。

それは、ヨーガは深すぎてよくわからないものなのではなく、受け取る側の過度な物質的意識がそのように感じさせてしまうのです。


アーサナが、いつしかやっているうちにエクササイズに脱線してしまうのも、霊性が発達不足なうちにヨーガに取り組んでしまうことが原因です。


これは、ヨーガの実践に入るには肉体も心もまだ早すぎたことが理由として挙げられます。

まず、肉体と心の準備から始めることで、途中で脱線せずヨーガの道を歩んでいけるようになります。



ハイテクノロジーの世界で生きる現代人は、便利さと引き換えに直観力を欠乏させてきました。

これは、ヨーガにおいては非常に残念なことです。

ヨーガを理解していくには、はじめは書物や先生を頼りに知的理解から入っていきます。

ですが、ヨーガは本や講座で体得していける対象ではありません。

最終的には、あなたの直観的理解により気づきにならなければ、深いところまでが変わっていく体験には至らないのです。




現代人は、この瞬間に生きることを忘れてしまいました。

動くこと、働くこと、考えること、過去を思い出すこと、未来に取り越し苦労を重ねること、常に何か行動していることが生き方になっています。

便利さと時間短縮を追求する日本人は、耐え忍ぶという日本人の特質を忘れ、じっと待つことを苦手とするようになりました。

内側の変化や進歩は、はっきりと目で確認できるレベルではなく、たいていは自分では気づかないほど繊細な領域で起こります。

実質的な変化というものは、そうした目には見えない潜在的なところでこそ起こるものです。

そして、あなたがどんなに望んでも祈ってもすべては神の手中です。

変化は然るべき時にしか起こらないようになっています。

この原理を理解していないと、実感が伴わないヨーガを実践することに、やがて飽きてきます。

心が繊細なヨーガの実習に耐えらるように、準備されていなかったがための結果です。

自分は変わっていないのではないか、私にはやっぱり無理だと決めつけ、早々に決着をつけたがります。

ですから、ヨーガのサーダナには、まずはじめにどのような道を歩むのか理解して、ヨーガに対する信頼と忍耐力が必要なのです。

「何となく…」の信頼ほどもろいものです。

知識を正しく理解することから生まれた信頼こそが、あなたが脱線しそうな時の何よりの支えになります。

このようなことからも、ヨーガはポーズで肉体を動かすことばかりでなく、知識の習得が欠かせないことがわかります。
ヨーガの実践は、じっと考察することで物事の本質に気づいていく内なる知性を開いていきます。

じっと見据えるこの忍耐力は、ヨーガを実践する上で大変に重要な役目を果たしています。

アーサナを実習する時、ポーズをとってしばらくの間じっとしていたと思います。

このじっとしている行為には、実は深い意味とやり方があります。

それが理解されていないと、雑な物質的意識でただ単に動いているだけになります。

そのやり方では、結果はエクササイズまでです。

体を動かして気持ちいい、スッキリした〜の感覚です。

ヨガのエクササイズではなく、「私はヨーガを学びたい」方は、これからお伝えすることをしっかり考察して下さい。

前述の「あ〜気持ちよかった」は五感の反応です。

これは、ヨーガの実践で目的とするものではないことを、ヨーガの知識をちんと学び理解する必要があります。


アーサナにはやり方の法則があります。

このポーズの時は、膝をどれくらい曲げてといった肉体的解剖学の体の使い方ではありません。

ヨーガを実践する上で必要なのは、心の解剖学です。

アーサナには、独特な意識のやり方があるのです。



日常では、心も五感も過度に働いている非常に粗雑な物質的意識で生きています。

この粗雑な意識に肉体も心も慣れてしまった現代人には、インドのヨーガを実践しても眠くなるか、飽きて見向きもしなくなるかのどちらかです。

やっている事の意味がわかっていないと、こうした心の反応が起こります。

ですから、多くの人々は実感しやすい欧米化されたポーズのやり方に走ってしまうのです。

それは一見ヨーガをやっている様です。

ですが、このやり方ではいつまでも心は低次なレベルのままです。

霊性の深化には至りません。

霊性が深まっていかないと、心のレベルも低次なままなのです。

ですから、ヨガをやっているのに、低い心の揺れ動きがおさえられていない(制御)ため苦しいのです。

ポーズばかりでヨーガで心を教育していかないと、低次の心に支配されて生きていたこれまでとまったく変わらないのです。

ヨガのレッスンで体を動かした後は気分が良いけど、自分の現実に戻るとこれまでの自分がいた、ということはありませんでしたか?

心を繊細なレベルにまで引き上げていかなければ、ヨーガの実践は実際には始まっていきません。

もしもヨーガでサーダナをしていくことをお求めの場合、ヨーガの導師か又は私欲のないヨーギがお近くに存在すれば、その方の指示を仰ぐことをお勧めします。

なぜ指示を必要とするのでしょうか?

それは、ヨーガは目でとらえられない対象に働きかける手法と理論から構成されているからです。

ヨーガ実践者は、この道を長年にわたり歩まれた専門家の指導が必要です。

自己流や自己判断でできるものではないからです。



まずはじめに、あなたのヨーガの導師を探して下さい。

そして、あなたがヨーガを始めていくために、今何が必要で何が不要であるかを教えて頂いて下さい。

可能であれば、個人的な内容で教えて頂けるとよいでしょう。

そして、肉体と心、生活パターン、食事、仕事、余暇といったあなたという存在を構成している要素のうち、何がサーダナの障害になる可能性があるかを見極めて頂いて下さい。

それを取り除くすべも示して頂いて下さい。

ヨーガの導師であれば、必ずこのことは見抜いて下さいます。

又は、あなたがそれを知る時期であれば教えて下さるでしょう。

このことを、導師からあなたが授かることによって、はじめてヨーガの出だしの準備が整うことになります。



ここまでお読み下さったことで、ヨーガには準備が何より大切であることに気づいて頂けましたら幸いに思います。

どうぞ皆様、正しいスタートを切って下さい。

ヨーガははじめの一歩が大事です。

目を開いて、正しいヨーガを見極めて下さい。

あなたがヨーガを実践する時間は限られております。

地上で人間として生きているうちに限ります。

意味がわからず雑に始めてしまったヨーガを、心を入れ替え謙虚に始め直してみることは、より大きなものを人生の中で手にすることにつながるはずです。

サーダナの道中は、誤りを正すその謙虚さを、常に忘れず進まれて下さい。

途中で何があっても惑わされず、知識に支えられた信頼を信じて、全ては神の手中なのだと内なる神にゆだねていかれますように。


皆様が導師に出会い、導かれ、真理へ解放されていきますように心からお祈りいたします。


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