心の解剖学講座・弘前チームのご感想



医療介護の現職者を中心とした9人のメンバーで学んでいる心の解剖学。

3回目の昨日は、「心って何をするところですか?」という講師の問いかけに

しどろもどろになる場面から始まりましたが、

いかにふだん「心」という言葉を曖昧な認識で使っているかがよく分かりました。

一般的に私たちが「心」と表現しているものには、

四つの機能で構成されており、

その構造を馬車のモチーフを使いながら学びました。

その中で、メンバーの関心が集まったのが「心素」と「我執」。

 心素は記憶。

記憶はともすると私たちの悲嘆や不安、

トラウマといったものの原因になるものですが、

本来は私たちを苦しめるためのものではないということ。

「私は一体何のために生まれてきたのだろう」。

このような問いを多くの人が自分の中に持っていると思いますが、

この答えにたどり着くために必要なものが心素であるということです。

また、心素には自覚できるものと、自覚できないものがあり、

自覚できるようになった心素は機が熟しているというサイン。

解放のチャンスであるということ。

このことは、先日のスピリチュアルレッスンの内容とも重なります。

そして我執。エゴです。

エゴは間違った認識で否定的な表現で使われることが多い言葉ですが、

私が私を私と思っている意識が我執であり、

この地上に生まれ出てくるためには必要なもの。

講師がこのエゴを、ペットボトルの水を使って表現してくれました。

「私たちは何処から来て何処へ行くのか」 その答えがそこにありました。

悩みの原因となることの多い「心」。

しかし、どの機能をとっても不必要なものはなく、

必要があるから私たちに与えられたもの。

悩んでしまうのは私たちが「心」の性質とその役割、使い方を知らないから。

 経験という人生の目的を達成するために

パートナーとして与えられた心をしっかり理解し、

この人生を共に歩んでいきたいと思いました。

全6回の講座のうちの3回が終了しました。

 次回からいよいよ後半戦です。

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