看護とナイチンゲールのヨーガ




人は誰でもそうですが、

日々忙殺されるような毎日を送っていると、

だんだんと正常な思考が働かなくなってきて

良くない状況だとわかっていてもそこから動けなくなります。

これまでヨーガ教室を通して、

そんな看護師の方や介護に携わる方々と出会うことがありました。

職場の人間関係の悩みや自分自身の体調不良に日々追われ、

この仕事を選んで自分はそこで何をしたかったのか。

その夢を叶えてどんな風に生きていきたかったのか。

そんなことを考える心の余裕はなく、

逆にそんなことを考えるのは女々しく感じる。

そんな殺伐とした心に出会うこともあります。

忙しくただただ毎日が大雑把に過ぎ去って行く。

 「毎日やることが多くて忙しすぎて、自分もまわりのスタッフもイライラして、言動もだんだんと雑になっていきます。男性化してくるのかもしれません」



一人の不機嫌は周りに素早く伝染します。

それがやがて不のスパイラルとなり空間にはびこると職場の雰囲気になります。

空間の波動は人の心に浸透します。

ギスギスした環境では優しい心は逆に攻撃の的になり、

誰もが自分の本心を隠さないと生存できない。

本当の自分を押し殺さなければならなかったのではないでしょうか?

それが職場の不健康な人間関係を生み出し、

不満や愚痴、悪口になっていったことは考えられないことではありません。

ケアする側が疲れてイライラしていたら、

周りの患者様に伝わってしまうのではないでしょうか?

私自身も病院で何度もその経験をしました。





知人のある看護師さんがこんなことを言っていました。

「ヨーガは看護そのものだ」と。

「自分自身にも看護にもヨーガは必要である」と。

ヨーガの教えに看護観や倫理とつながる点を発見されたのだと思います。

そしてヨーガの心の指導が看護と通じることを。



ヨーガは医療ではないのでもちろん医療的な指導や薬の処方はしません。

ではヨーガ教室は何をケアするのかというと、

病気になった心の態度を改める道のりをサポートすることです。



病気の症状が身体にありながら悪習慣をやめられない人は大勢います。

ヨーガにおける生活習慣とは食生活だけではありません。

物事の理解力、判断力、態度、言葉づかい、思考の持ち方も人間関係も生活習慣です。

それらがその人を形成していくからです。

ヨーガがケアするところはこうした目には見えていない病巣です。



そして病気が完治したその後の生き方。

自分の心と身体に対して健全な判断と選択ができるように、

智慧を理解するサポートをします。

身体の使い方、姿勢、呼吸はその人の智慧の現れです。

どのように身体を動かし姿勢を取っているかに智慧の程度が現れています。

呼吸に無意識であれば気づく力が欠如しています。

その気づき力の低下が問題を引き起こす最後の引き金になるのですから、

気づきの力を育てなければなりません。

疲弊しているのに具合が悪いのになぜ休むことを考えられなかったのか?

なぜ自分をそうまでして追い込んでいくのか?

お金や地位や見栄になぜ虚栄心を抱いてしまうのか?

このような内面の不健康な状態にも気づいていけるように、

自分と向き合うヨーガレッスンも継続できるようにサポートします。



病気になってしまった理由は様々にあると思います。

そのどれもがその方の幼少期からの人生に深く根ざしています。

それに気づきどんな考えを抱いたとしても認め向き合っていきます。

ヨーガに正解はないけれど智慧はあります。

正解に向かっていくことは、

時に相手もサポートする側も折れてしうことが考えられます。

心は一筋縄ではいかない上に、

薬で心の動きをコンロトールすることはできないからです(ヨーガの現場では)。

ですから、「〜してあげたい」という心持ちから行うのではなく

痛みも病気も悩みも人間を形成する一部として捉えています。

医療行為で痛みを取り去り楽になることばかりでなく、

その痛みを通してしかできない「反省の心」を持てるように

その痛みを改心の心で通過していけるようにサポートします。

完全に一心同体になって助けようとするのではなく(自他共に溺れてはならない為)、

一歩引いた態度が大切なのです。

かわいそうでしょうか?

それを乗り越えた先にあるものが智慧の次元から理解しているからこそできることです。

人間の生命力を智慧から学び、

相手の力を信頼しているからこそできることなのです。

それがないと感情で相手を「〜してあげたい」と動く傾向になります。




看護や介護という生命の現場で働く方にヨーガの教えはとても役立ちます。

「ヨーガがあるから仕事ができる」そう認める看護師さん

介護福祉士さんもいらっしゃいます。

ヨーガをポーズだけとして捉えるのではなく生き方と捉えてみると、

人間が健康で幸せに生きていくための智慧の宝庫であることがわかります。

 多くの看護師の方にヨーガの素晴らしさを知っていただきたいと思っています。



今疲れきってしまった看護師の方々も、

もともとは人をお世話することや人を元気にしたいと夢見たはずです。

看護を仕事にしたいと思われた温かい心根をお持ちであったと思います。

看護という大変な勉強にも耐えてこられたのです。

忍耐力も精神力も根底には太くあるはずです。


私は常々感じておりましたが看護師の方がヨーガの先生になったら

どんなに素晴らしい先生になるだろうと。

看護師のヨーガ教室があったら世の中の人たちにとってもどんなに良いだろう。

看護師さんはすでに医学の知識をお持ちの方々です。

疲れきってしまったギスギスした心は、

ヨーガの智慧に触れれば取り戻せます。

智慧は人間に生まれてきた意味に気づかせる力があります。

自分の使命を思い出し使命感を持って仕事に就けるようになれば、

肉体は使命を果たすための道具と化し疲れ知らずになります。


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