痛みを記憶にしない

今日はおかゆを炊いて食べました。

スプーンでつぶした梅干しをおかゆに混ぜて。

まだ噛めないので舌でこするように食べます。

それでも、おいしかった〜。

久しぶりの温かい食事は身にしみました。




昨日の治療のときドクターに

「畠山さん、痛み止めのんでいますか?まだありますか?」

・・・あまり飲んでいない私。

正直に伝えると「畠山さんの場合は並大抵の痛みじゃないので飲んで下さい」

その理由に驚きました。




「多くの患者さんが、”クスリは悪いもの”という信念があって、クスリなしでなんとか治そうとしてあまり飲まないんですけどね、

痛みの記憶ができてしまうから(コツコツ頭に触れながら)、本当に痛いときは我慢しないでのんで下さい」

痛みの記憶・・・




そうだ忘れていた。

痛みだって記憶になるんだ。

しかも自分の体を意識して痛む、

自分の感情を使う、

これは記憶になりやすいパターン。



痛みはすべての意識を持っていかれるほど強烈なパワーです。

経験すれば経験するほど、記憶になりやすいのは一理あるか・・・

クスリは良くない、病院に行くのは良くないという考えもありますが、

適切な判断が必要だと思います。

神様が必要なければこの世界からクスリも病院もないはずです。

人間はどちらも悪いものとしてみる傾向がありますが、

私は今回そのどちらにも助けられています。

自然療法と医学を時と場合に応じて使うと良いのですね。

頑固さから自然療養を選んでも、果たして結果はどうなのでしょうか?

最終的にはその人の信念にかかると思いますが、

これは相当の信念の強さが必要になります。

みじんたりとも疑いのない信念です。

痛みが強い時はむずかしいのではないでしょうか?

不調がある時は我慢をせずにクスリや適切な病院を利用して

痛みから自分を解放してあげることも大切なんですね。

そして、その痛い経験を通してカルマの清算をさせていただいているのだと思えば

痛みも受け入れざるをえません。




私も病院へ行くことは避けたいですが、今回はそうも言っていられない。

いやだな〜いやだな〜と思って病院へ行く、治療を受けるのではなく、

ありがたいな〜ありがたいな〜と思って治療を受ければ、

天の力が降りてきてドクターも患者の私も、まわりも良い波動で包まれると思います。


あの痛みに1時間半耐えた後

目に映る世界は天国です。

病院では治療の後あお向けになって休めないので、

病院から一番近いタリーズに入って

大きなソファの椅子に背中を沈めて休んでから帰ります。

治療から解放された私はボーっとして外を眺めています。

みんな自由なんだなぁ

今、私たちは自由を楽しんでいる魂なんだ。

そう見えてくると、

目に映る人みんなが兄弟のように見えてきて

涙が出てしまいました。


手をつないで歩くカップル。

ベビーカーを押した若いパパとその子供。

背中に赤ちゃんをおぶったお母さん。

おばあちゃん。

おじいちゃん。

ビジネスマン。

いろいろな人が私の視界に入ってきます。



以前は、気に食わない人がいると心の中でヘンな人だなぁ・・・なんて思ったりもしましたが、

自由という特権を味わっているだけなんですよね。

神様がくれた自由です。



心のスクリーンに映る街が平和に見えました。

どうもありがとうございます。


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