私が私を癒してあげるとき

今日、6日ぶりに食物をとりました。

青森から送られてきたりんごを擦って食べました。

ていねいに擦って、ていねいに擦って。

痛みに人一倍ヨワい私、よくあの治療に耐えている。

えらいよ、えらいよ、ってほめあげたい。

片手で持てるほどのブルーの器に小さなスプーン。

久しぶりの食事だ〜。



食べる、ってこういうことなんだ。

それはね、映画をみるより感動すること。

だって、自分の体も五感、心も使うんだもの。

擦ったりんごから出た汁をすくって飲んだら

あまりに染みわたって目を閉じてしまいました。

舌の付け根が腫れているので口を動かせないから

今は擦ったりんごだけど、そのうちシャッキって噛みたいなぁ。


今回のことを機に、ある本をアマゾンで取り寄せた。

「歯医者が怖い」歯の痛みは心の痛み?

私のように虫歯でもない、これといった原因もない。

これからどうしよう?と考えていた時に目の前に現れた本です。

まだペラペラ読みですが、ストレスは歯にも出るということが作者の体験からわかります。

歯痛は虫歯として片づけられますが、虫歯ではないのに口内に痛みを抱えている人は大勢います。

以前、個人セッションで「口腔心身症」を患ったとおっしゃる方とお会いしたことがあります。

この本の作者と同じように、ドクターショッピングを重ね、それでも痛みから解放されないお悩みを抱えてヨーガにいらしたのです。



歯痛にともなう苦しみは周りにもなかなかわかってもらえない。

ただの歯の治療と思われやすいからです。

歯の治療ほど耐え難いものはないのではないでしょうか?

いっそのこと全身麻酔で眠らせてほしいくらいです。

1時間半、恥ずかしいほど口を開けられ、閉じれないように何かをはめられて、

半分逆さまにされたような状態での治療は、まるで拷問みたい。



歯科の医師の方々にも、歯と心の関係を学んでいただきたいです。

歯ばかりをみるのではなく、もっと患者の痛みの原因となっている心をみてほしい。

私はそう思いました。



もし、歯に気になるところがある方は、この本お勧めかもしれません。

歯医者が怖い。歯の痛みは心の痛み? 大塚ひかり著 平凡社新書 ¥680




朝目覚めても、夜寝るまでも、一時も私のそばを離れないこの痛み。

先週の死んでしまうかのような激痛からは解放されたものの油断はできません。

今は、私が私を癒すときです。

これまで、人を癒してきたときのあのヒーリングの力を自分に充てるときなのだと思いました。

ところが、おかしいですね。

自分になると、あの集中力も何もかもないんです。

そう、ヒーリングというのは他者のためだからこそなんですね。

そういう気持ちのところに、聖なる力が降りてくるのかもしれません。

では、私にはないの?

ありますよ、お祈りです。

あと、いただくメールやラインのメッセージ。



先週のあの激痛に耐えた3日間。

救急車を呼んでほしいほどでした。

歯痛からここまでなるのでしょうか?

頭の中にはスコップで雪かきをするようなザックザックという音が鳴り響き、

全身が痛みの脈動をドックドックと打っている。

患部は右側なためか右の足がピクっピクっと痙攣していました。

こんなに痛いのに、苦しいのに。

職業柄ですね(苦笑)。

どこかで観察している私がいるのです。

回復したら、自分に起きた一連のことを解明していこうと思っています。

食欲がまったくないので、食欲と脳の関係について。

痛みの原因について。

人間という存在を深い意味でもっと知りたくなりました。

現代はあらゆる学べる環境がありますが、一番は自分を通してではないでしょうか?

「痛み」や「呼吸」について学んでも、それを経験した人でないと絶対にわからないでしょう?



痛みがある時は、ヨーガのポーズどころではありません。

瞑想も深呼吸もできない。

少し、痛みから解放されてもやはり体はポーズは欲していません。

それよりも欲しいのは、この体で感じる「安らぎ」「安堵感」なのです。

これは、痛みを今現在抱えている人すべてに共通するのではないでしょうか?

こうして考えていると、また職業柄が出て来て、図書館へ行ってしまうところですが、

今はいつものパターンの自分から離れます。

学ぼうとしない、体もムリに動かさない。

自分を見つめて、優しくして、今に生きること。

ネガティブな思考は毒になるからやめておきます。

元気な時は好き放題の思考も、今は私に見張られているので

体にとって毒になりそうな思考だなと気づいたら

やめるようにしています。

思考パターンが病気の構造になると思うからです。

ネガティブなことを考えたからそれがすぐに病気になるのではなくて、

「塵も積もれば山となる」です。

今世での思考パターンばかりではなく、カルマもあるような気が薄々しています。

カルマは機が熟せば実るようになっています。

痛みを通してカルマの清算をさせていただいてるのだなと。

もうここまでくると降参しかないんですね。

良くなりたいことを放棄した降参ではないんですよ。

「絶対良くなってやる!」と闘ってはならないんです。

その気持ちも大事ですが、信じること、神様に祈ること、愛すること、感謝。

これも忘れてはならないのですよね。



元気な時ほどアクセクして、それが実はストレスを盛っていることになっているとは

人はなかなか気づかない。

私は今回の爆弾が急に落ちたことを機に、「落ち着く」という神様の恩恵をもう一度

再確認しています。

落ち着きは、私たちの本当の姿だから。

私は見た目は落ち着いていても、

脳や神経が落ち着いていなかったのです。

だとしたら、都会の喧騒の中で昼も夜も働く人たちは

どれほど脳と神経がパニックになっているのでしょう?

「落ち着いていますか?」




落ち着きは癒しと治癒の根底になければならいものです。

私も癒され痛みから解放されるためにも、今は治るためにアレをコレをと焦るのではなく

じっと落ち着いています。

こんな時私は思います。


「ヨーガをやっている自分でよかった!!!!」


痛みのエネルギーと本当の自分を切り離せる。

自分に起きていることを客観的に観れる。

なぜこういうことが起きているかと意味を知ろうとする。

感謝の心を育てておけば、こういう時に役に立つ。

だって、痛い時に感謝の心ってなかなか思えないと思いませんか?

あ、でも、痛みを通して芽生える感謝もありますね。




もし私がヨーガで心のレッスンをしていなかったら、

痛みでボロボロになっていたと思います。

自己嫌悪になり、被害者意識になり、

ネガティブに考えすぎてウツになっていったと思います。



幸いにも想像力もヨーガで鍛えていたので、

「治ったら冷たーくシャキッとした蜜の入ったりんごを食べたいな」とベッドの中で想像していました。


そうしたら、八戸のヨガインストラクター美林子さんから昨日りんごが届きました。





ありがとう、ありがとう、ありがとう!






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