病気が気づかせてくれた本当の自分

ラインの着信音で目が覚めました。

そのまま通話に切り替えたかったのですが、

体に睡魔が襲っていたため再び眠りに入りました。

痛みがあるので熟睡しているわけではありません。

意識が朦朧としている中、私はたくさんのメッセージを聴いたように思います。

これを書き留めておかなければならない。

痛みでパソコンに向かっている場合ではありませんが、

芯から強く思うので、ベッドの上でパソコンに向かっています



これをご覧下さっているあなたは、子どもの頃どんな子でしたか?

今、どんな大人になっていますか?

今回、私の体に痛みが勃発してから様々な意識を体験しました。

痛みと言っても尋常ではない痛みです。

自分にこんな声があるのかと思うほど痛みでうめき声をあげていました。

通常の呼吸は損なわれ、ハァハァと浅い呼吸でないと痛みを堪えられないのです。

そんな中、様々なメッセージを受けていたように思います。



私の子供の頃と今は別人です

覚えているのは、お肉がダメだったこと。

お肉が口内から食道に入ってくると胃の中から手が伸びてきて外に出そうとするのです。

大きな吐き気と共に拒否していましたが、親と学校の給食教育で食べられるように訓練されました。

脂身がどうしても食べられなかったのですが、

小学校の先生に「いつまでもお嬢様気分で甘えてるんじゃないよ!」と大勢の前で怒鳴られながら食べました。

女性の先生でしたが、目の周りがどす黒いクマでいつも怒りの目をしていたのを覚えています。



子供のくせに美しいものや大人の女性に憧れ、いつも姫気取りでいました。

歌うこと踊ることが大好きで。

帰宅した父に、「おかえりなさいませ、お父様」と言ったら、

「どこで覚えたんだ!そんな言葉」と鞄も置かず、

私のお嬢様座りをする姿に呆気にとられていた父の姿を覚えています。

本当にどこで覚えたんでしょう?

想像力が豊かで、絵本が大好きでした。

絵本の中に住みたいと本気で思っていたのです。

絵本に足を入れたら、そのまま絵本の中に吸い込まれていけばいいのに。

そう思っていました。

そっちの世界の方が私の本当にいる場所、そう感じていました。

絵本の中では子供も大人もオオカミも、クマもみんな仲良し。

皆んなでクッキーを食べたり踊ってる。

動物をいじめる人間はいない。

人間が動物に歌を歌ってあげている。

お花とも木々とも、月と太陽ともお話ができます。

私は心の底からそういう優しい世界に住みたいと思っていました。

しかし、そんな子ども心とは裏腹の人間になってしまいました。

どこかにそれがあるのを知っていながら。

誤魔化すようになっていったのです。

それが大人になることだったのでしょうか?




皆んなと仲良くするどころか誤解の渦の人間関係。

頭の中はいつも同じ思考パターン。

美しいものへの感性は雑なものに変わり。

聖なる存在との交信は途絶え。

私の脳は宇宙の知性ではなく、これまで聴いた他人の言葉で埋め尽くされています。




先週金曜日、再び歯科を訪れた時、

「あんたはお父さんに似て歯が弱いから」と母に決めつけられた言葉がふと脳裏から出てきました。

小学校の時、同じクラスの男子に理不尽にも頬から顎を大勢の前で叩かれたことも思い出しました。

叩くほどの理由はないのです。

彼は自分のヒーローぶりと正義感を皆にアピールしたかったのです。

私は泣きもせずただ苦笑いしていました。

その時の感情も出てきました。

本当は言い返したかったのですが、彼の不当な行為を正当化する表現が子供の私には持ち合わせていませんでした。

「それは相手を叩くほどの理由ですか?」と。




私の今回抱えている痛みが虫歯なら原因がつかめます。

予防の仕方もあるのです。

しかし、虫歯ではないのでどうしようもありません。

医師曰く「予防のしようがない。畠山さんの免疫力にかぎります」

免疫力は神の力。

私が患っている神経は、字のごとく「神の通り道」

そこが停滞しているということです。




人間には恒常性という神の力があります。

ですから、ある程度は本来の姿から分裂していても生存は可能です。

しかし、それにも限界があるのです。

宇宙のバランスを超えた時です。

アンバランスの中にもバランスがあり、

そこを超えた時にガタガタと音を立てて崩れ始めます。





あなたは子供の頃どんな性質の子供でしたか?

そこが本当の自分に近いところなのではないでしょうか?。

私はこの朦朧とする中で、自分の小さい頃を沢山思い出しました。

大祖母が私の魂の母ですが、大祖母の愛を思い出して子供のように泣きました。




そして、今パートーナーライフを送っている方は、どうぞ相手を大切にして下さい。

土曜から一気に具合が悪くなった時、高熱で背骨から腰が痛くなりました。

「あぁ、誰かにさすってほしい」自分で手を伸ばしてもさすれません。

人間は究極に弱くなると求めるものは人の手、手当なのですね。

私にはパートナーがいないので、あいにくさすってもらえませんでした。

病気になった時、この一筋の手がどれほど気力と癒しを与えることでしょう。

それができるのは、パートナーがいるからこそです。

パートナーでなくてもいい。

そこにどなたかがいれば、その方を大事にして下さい。

人は一人では生きていけないんだと、今回の痛みを通して痛いほど分かりました。




人間は皆弱い存在です。

神の前では。

失敗して過ちを犯してしまうのが人間なんです。

本心と別の行動や言い方をしてしまうのも、人間なんです。

人間同士はそれを裁き合います。

でも、神様の前では皆んな同じ失敗者であり、罪人という言葉がありますよね?

パートナーライフに限らずあらゆる人間関係において

自分にとって理想の人、気の合う人ばかりを求めるより、

相手の弱いところを理解してあげられる心がほしい。

私だからわかってあげられる、そんな私の片われとなるパートナーがきっとどこかにいると信じるようになりました。

そんなことも体の痛みを通して思えたことです。

ダメダメダメ、ではなく

どうして?そう思うの?と相手を理解してあげられる私になりたい。

50歳を目前にした大人の言うことではありませんね。

やっと気づいた性懲りもない人間です。

痛みがない時は、あんな人、こんな人と理想を述べまくります。

言われたことに対して相手を責める気持ちも出てきます。

しかし今は、背中をさすり合える優しい関係を求めています。



私、本当は優しく生きたかったんだ・・・

そう本当の自分を取り戻しました。

あなたもどうか、本当の自分にまずは気づいて下さい。

誰かが作った本当の自分に当てはめようとしないで下さい。

それこそ不幸のもとです。

花が好きなあなたが本当の自分なら、花を愛して生きる人生を構築して下さい。

動物が好きなあなたが本当の自分なら、動物を愛して生きる人生を構築して下さい。

皆んなが取った資格があなたを生涯保証するとは限りません。

生活は保証されるかもしれません。

でも、本当のあなたは、あなたにしか構築できないのです。

一人では生きていけないからと焦り、職やお給料に生涯の補償を求める女性が大勢います。

気持ちは嫌という程わかります。

しかし、女性の安心はそこから得られるものではありません。

お金で安心できる心と体につくられていないからです。

人から愛し、愛されて下さい。

あなたが愛するようにあなたを愛してくれる男性と生きて下さい。

そのような人間関係を築いていきたいと、命がけで思いました。

私にはお金より大事なことだとわかりました。


皆様の今宵むかえる新月の願い事が叶いますように神とともにお祈りいたします。

どうもありがとうございます。

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