愛情と美しさの関係


西東京の青梅線にある牛浜という初めて聞いた駅から教室まで来て下さったAさん。

バラの花束を抱えたAさんが駅のロータリーに見えた時、

私は何故か迷子の子供を見つけた親のような安堵した気持ちになりました。




Aさんは、私が都内で教室を開催していた時、

何度かお会いしたことがありました。

教室に飾っていたお花を

Aさんに差し上げたことを覚えて下さっていて、

「今度は私が…」と

ゴージャスなピンクのバラを抱えて来てくれました。




バラを花瓶に挿しかえるため長い茎を切ろうと

「ごめんね、一瞬で終わるからね」とハサミを入れたら、

バラがハサミを吸い込んだような感じがしたのです。

こばんでいない。

受け入れてくれている。




お花屋さんで購入するバラの茎は、

切る時に硬いなぁと感じるものが多いのです。

ところが、Aさんのバラは柔らかい。

茎がすごく素直なんです。




Aさんに、「あのバラ、いつもお花屋さんで買うバラと違うね」と言ったら、

「わかりますか?!」と嬉しそうにAさん。




Aさんの持ってきて下さったバラは、

丹精込めて造られたバラ職人さんのバラ。

育てる行程からすでに違うのだそうです。

気持ちを込めて造られたバラの花をプレゼントして頂き、

私はとても嬉かったです。

遠くから、長い茎のままのバラを抱え

2時間以上もかけてアトリエまで来て下さったAさんのお気持ちに

心から感謝します。



さて、

そのバラを育てるお話をAさんから聴いた時、

私の脳裏に人でいっぱいのヨガスタジオが浮かびました。

人間の心と体も大量型式では

心の美しさまでは育たないのでは?

花と同じなのかもしれないなぁ・・・と。



売られていくために大量生産される花と、

同じように人の手に渡っていくけれど

育つまでの一つ一つの行程に心を込めて造られる花。




ヨーガもそうなんですね。

ポーズで、痩せよう、汗かこう、

痩せるために水をガンガン飲もう。

その心の動機から体を動かし、

ヨーガをやっているつもりになっていたら?

どんな人格になるのだろう?



某ホットヨガスタジオが初めてオープンした1号店に

当時30代前半だった私は体験レッスンに行きました。

人でいっぱいのギュウギュウのスタジオで

流れ作業のようにポーズをやって、

インストラクターの合図で大量のお水を飲まされた。

その光景に、

大量生産されていく動物を思い出した記憶があります。



人間の心は、大量生産では育たない。

肉体の姿形は変わるでしょう。

しかし、

心、意識、魂の成長は

人と並べられながらその他大勢のようにはいかないのだ。

心を込めて育まれたバラの存在感から思う。




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