心を静めて座る



何の素地もないまま精神世界に入り、迷っている人々がいます。

精神世界こそ、地に足がついてないと歩めないと思います。

なぜなら、頭の理解を超えた世界であるからです。



「創造主」と言葉にすることはできます。

しかし、

創造主を想像することは、頭では限界があると言われています。

限界ある頭で無限の世界を学ぶという矛盾。

この矛盾に気づいていたら、

浮かれてはいられない。


思想では人は救えない。

感情では人は変われない。

どちらもなったつもりにはなれます。

皆んなといる時はいい。

その妙な興奮が変わったつもりにさせてくれる。

しかし「つもり」の効力ほど切れるのが早いものはない。

部屋で一人になった時がそうじゃないでしょうか。


人生が揺れるのは、

あなた、

「つもり」になっていませんか?と足もとを見られている時。

浮き足立っていることを、

人生が教えてくれているのですね。

私は、

何の素地もなく精神世界に資格取得やテクニックから入ってしまったお若い方々に、

よろしければ

お教えしたいことがあるのです。


黙って静かに座れるようになりましょう。

まだ何もしなくてよいですから。

静かに静かに座れるように。

動けば動くほど、

心は揺れ動くもの。


そして、

頭を使えば使うほど、

知ったつもりになっていくんですよ。


知ったつもりの知識がどんなに浅いものか

もうおわかりになったでしょう?

ですから、

静かに座れるように心を育てることから謙虚に始めましょう。

やり直しはいくらでもできます。

素地がないままテクニックだけ身につけても

わかったつもりになり、

スピリチュアルなプライドが芽生えてしまうだけなのです。

プライドは自らを苦しめていく心です。

まず、

静かに座れる姿勢をつくります。

座れるようになったら次は、

心を観る練習です。

その訓練がなされていない心には、

堪え性がつきません。

ですから、

ヌっと顔を出してきた心に怖れをなしてしまうのです。

怖れることはありません。

自らこしらえた心です。

静かに見つめられるように落ち着きを養いましょう。



心に受容性と体には健康を。

無気力、怠惰であってはなりません。

食べすぎ食べなさすぎも。

働きすぎやらなすぎも。

日常の雑事から離れリラックスをとって。

キツキツだと受容性を欠いていきます。

中庸を身につけていきましょう。


精神世界のお勉強は、

こうして精神的な土台を作ってからなのですよ。

落ち着いて姿勢を整え

冷静に学びましょう。

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