姿勢を変えることはプライドを削ぎ落とすこと





ヨーガ個人指導で自己改革を始められたMさん。

どのような経験をされたのでしょう?

ご承諾を頂き、Mさんの手記をご紹介いたします。


Mさんが感じて下さったことは、初心者のうちは自然なことです。

多くの方が同じ体験をされたことがあると思います。

感受力が乏しい己れを棚に上げ、

差し出された教えの意味と深さ、配慮を理解できず

「何だかよくわからない」

それもそのはず。

頭でわかるものではないのですから。


もちろん、私もはじめのうちはそうでした。




今回、Mさんが勇気ある手記を下さったおかげで

多くの方が素直さを取り戻されるはずです。

Mさん、どうもありがとうございます!




精神世界、いわゆるスピリチュアルな学びの初心者が経験するプライド。

このプライドが芽生えてきた頃に

良い指導者と出会うことができると、

そのプライドを巧みな存在感で取り去ってくれます。

もちろん、その幸運に巡り会えても

プライドを捨てきれない方もいらっしゃいます。

むしろ、こちらのケースの方が多いかもしれません。


そうすると、

自分の間違いを肯定してくれる人に出会うまで

さまよい続けることになりませんか?

そうではなく、

誤解を見抜いて修正できるように導いて下さる方が

無知なうちは必要なのです。


学ぶ側に謙虚な態度が身につくまで、

プライドはちょこちょこ顔を出してきます。


このプライドを表に出せたらラッキーです。

グルでない限り、

プライドという心の闇までは照らしてくれません。


私は、恥ずかしながらも

なにせ大馬鹿者でしたから、

この経験をたくさんしてきました。

師は、私よりふたまわり以上も人生の大先輩でもあり、

その道の専門家でもありました。

一瞬にして私の安っぽいプライドを見抜かれたのは当然です。

話しなどしなくても、

立ち居振る舞いから

すでにプライドは顔を出しているものです。


自分の隠しておきたいところを表に出させるなんてヒドイ!

意地悪!と思いますか?

逆なんですよ。

スピリチュアルな道においての障害は、

プライドです。

これこそが、理解と成長、浄化と進化の障害であることを知っている師ならば、

必ず生徒のその棘を早い段階で抜くように

気づかせて下さるはずです。



現代は、師弟関係で学ぶ精神世界ではありません。

短期の講座で学べる時代です。

プライドはどんどん発達するばかりです。

資格は、プライド証明書のように見えてなりません。

無知なうちに、その道の専門家として証明してしまうのです。

有頂天になってしまうのは、仕方のないことです。


霊的指導者に出会うのは希少なのです。



私は、まだまだ自分が何もわからない時、指導者を求めていました。   

スピリチュアルな師のことを、ヨガの世界では「グル」と言います。

師なくして歩めない世界であることを、私は嫌というほど知りました。




Mさんの手記

『一番最初に骨盤の動きを先生に誘導してもらって感じた時、

先生が丁寧に仰いました。

「この動きを感じるように」
「カラダに全てのこの世の教えが入っている」

私は正直ピンときませんでした。

「だから何なのだろう?」と思ってしまいました。


「こうやって動かせば動くのは当たり前なのではないか?」

そんなふうにしか思っていませんでした。(恥ずかしいです)


恐らく、

「ハッとするような感動や驚き」を求めていたのだろうと思います。



これまでの私は、完全に「知識」の世界にいました。


「自分が知らないことを知ることが必要」
「知らないことを知れば知るほど周りに認められるすごい自分になれる」

そう考えていたように思います。


ですから、

今回は全く期待とは違った内容でした。



身体の動きを丁寧に感じること。

そして、自分の肉体の中から神の教えを感じ取ること。

これこそが、なにより大切なことであること。

先生は、それを伝えたかったのではないか。

翌日になって思いました。



これに気が付き、

どれだけ自分の感受性が鈍っているのだろうと愕然としました。


教えていただいた動きを幾度か繰り返していくうちに少しづつ、

「こうやって身体は動いているのだ」と感じとることができ、

血が流れこんでくる温かさを感じられるようになりました。



「これが生きているということ」
「これがこの世で肉体を使うということなのかな」

と思えるようになってきました。




私は今までどれだけ、

使うべき肉体をおろそかにして頭だけを育てようと

逆のことをしてきたのだろうと反省しています。


しかし、

今までの経験があったからこそ反省に至れたのだと思っています。


この恥ずかしさ、痛みを忘れず

これからは頭を使うのではなく、

まずは身体を感じることを大切に。

そして、毎日教えていただいたことの積み重ねを大切に。

これから進んでいきたいと思います』。


Mさん、どうもありがとうございました。

知ったつもりになっていたことが、

そうではなかったことを

正しい知識に照らし合わせた時にわかると、

人はとたんに恥ずかしさが込み上げてくることがあります。

これも、初心者のうちの幼さゆえの心の反応です。


所詮私たちは、未知の世界を学んでいる人間です。

下から上を学んでいるのです。

自分の浅い経験から理解すると、

誤解が生じるのは当然のことです。

謙虚さが身につけば、恥ずかしさは感謝の気持ちに変わります。

恥ずかしく感じるのは、

まだ自惚れがあるからです。



スピリチュアルな道を歩み始めたお若い方。

どうぞ、あなたにとって真の師に出会って下さい。

その道の真の師であれば、

必ずあなたに謙虚さと感謝の心から身につけていくように

教えて下さるでしょう。


それが、

未知の扉だからです。

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