幸せな生き方からやってくる幸せ
「それなら、どういう生き方が真実を最もよく知っている人の特徴なんだい?」
「幸せな生き方!」
〜アナスタシア シリーズ2 P170より〜
私は、17年以上にわたり、インドと日本を行き来してヨーガに生きた女性です。
いったい、どのくらいのエネルギーを費やしたことだろう。
ヨーガに生きて、深い感銘を受け、素晴らしい体験もした。
でも、その反対も同等に味わった。
そして今、私は変わった。
もしこれが、私にもたらされたヨーガの結果ならそれでいい。
悔いはないほど、人生をかけてきたから。
これまでの伝統的なヨーガの道を、さらに探求することも私にはできた。
でも、私はそうはしなかった。
私は、ヨーガを追求する道を降りた。
そして、女性として生きることを選んだ。
私の原点に立ち返ろうと、ある時ふとさとったから。
いずれ書くことになるのかも知れないけれど、私の神秘体験は幼稚園の頃だった。
私の内側の美と力を、幼稚園の水色のスモッグを着て体験してからというもの、それがどんな時も私の後を着いてきていた。
幼稚園児の私が、自分の内側の偉大なる女性を、鮮明に記憶しているのも奇妙な話だけど。
私は、もしかしたら、あの時に内側から感じた女性を探していたのかもしれない。
だから、その女性のイメージに似たものに私はすぐに反応する。
ところが、私が歩んだ伝統的なヨーガの世界は男性の世界。
僧侶の世界であり、秘儀の世界。
私が師事した人は、皆男性。
私の女性の肉体を逆さまにしても、さとるわけじゃない。
子宮が逆さまになっただけ。
肉体を逆さまにしなくても、女性の想像力を使えば、世の中を逆さまにみることはいとも簡単。
牛の顔のポーズは、子宮が締め付けられる。
コブラより、私は羊の方がいい。
月のポーズは、女性の内蔵にはバネが強すぎる。
マントラは、男性の世界。
子宮に響かなかった。
ヨーガのあらゆるテクニックを通して、私は女性の肉体に宿る精神なんだと気づいた。
私は、厳格で男性的な神の道より、自分の内側に感じたあの美と力の方を受け入れることにした。
神の道は、死後にもなお続く。
私は、今はこの地上で女性を生きることにした。
厳格な瞑想も手放した。
初めて自分で、インドに行かないと決めた。
私の探していたものは、私の中にあった。
女性の私のヨーガは、女性回帰だったのだ。
もしかしたら、これは、すべての女性に必要なヨーガではないかと思っている…
気づいている人は、きっとどこかにいるはず。
植物に水をかけてあげている時、
誰かのために掃除をしている時、
朝、軽く運動して自分の体を整えている時、
ハーブにくちづけする時、
髪の間を通っていった風の匂いに季節を感じる時、
そこがすでに瞑想になる。
女性のサンクチュアリは、日常にこそあるのだ。
あなたが女性なら、厳しさより、幸せな生き方をすること。
食事を抜いたり、不自然に排出させたり、自分に厳粛な課題を与えるより、女性の温かさを精神性に育んで。
あなたは、朝目覚めたら、すぐにやらなければならない事を考える?
起きたくない、起きなくちゃの間で押し問答してるの?
目覚めてすぐに、頭を回転させるより、ほんの少しでいいから、自然の音を五感で感じてみてほしい。
都会でも、耳をすませば、鳥の声はかすかにでも聞こえるでしょう?
活動のエネルギーが立ち込めていく前に、五感に静けさを感じさせてあげてほしい。
それだけでも、あなたが女性なら、何かを内側から感じられるはずだから。
骨盤をよく整えて。
私も、朝晩やってる。
女性のアンテナが豊かになるよ。
女性は、自分に厳しくしすぎちゃだめだけど、甘やかしてもだめ。
自分を戒めるように、ダイエットやエクササイズをしていない?
体重が少し減った喜びは、本当の喜びではないことに、勇気を出して気づいていくこと。
そして、理に適った努力で、本当の喜びを知ること。
人にどう思われるかより、あなたが感じる幸せな生き方を貫くの。
そのためには、女性の本能を抑圧しないこと。
私たち女性のスピリチュアルは、女性の本能を洗練させて生きること。
だから、智慧も必要。
女性の本能を、自他ともに幸せになるように生きればいいの。
それが、女性のヨーガ。
女性のヨーガを、あなたが体験して感じて、あなたからまず幸せになって下さい。