本当は泣きたかった
夜のヨーガクラスに参加して下さった三名の生徒さん。
ロウソクの灯りの中みなでお祈りしていた時、叱られた後に許してもらった子供のように泣いてしまいました。
実は最近、教室には生徒さんがお供えして下さったお花でいっぱいなのです。
この教室を守って下さる神様が、「やっと私のところに来てくれたか」と、ヨシヨシしてくれたのかもしれません。
人は大きな優しさを感じるほど、なぜか泣けてしまいますものね。
三人揃って、目をウサギの様に真っ赤にしてお帰りになりました。
肉体からヨーガを行う時は、心の力を抜き、姿勢を整え、肉体を本来の調和した状態に戻すのです。
頭寒足熱です。
脚は心を支えるために根を張るように立ち、胸から上は力を抜いて自然に伸びていくように。
ヨーガの神聖な時間に心身をおき、それまでいた俗世間から自分を引き離していきます。
他人を気にしていた自分を楽にさせてあげて下さい。
正しい姿勢で肉体を静かに座らせてあげましょう。
あなたは、真心から合掌をしたことありますか?
張り詰めていた我の力を、たった一本でもいいからゆるめてみて下さい。
河の流れをせき止めていた石をどけた時の様に、一気に流れが大海原に向かって流れていく様に、
我の力に抑えつけられていた心が広がって、安堵の想いから泣くのです。
我が抜けて、縛られていた力が抜けて嬉しいから。
魂が。
魂が顔を出すと、今まで忘れていた大切なことを思い出します。
本当は、もっと人に優しく生きたかった。
もっと、ありがとうと言えたらよかった。
素直に「はい」と言えたらよかった。
ごめんなさいと言えたらよかった。
もういいよと、許し合えればよかった。
我に抑えつけられていた心は、やっと楽になれて泣くのです。
我の力が抜ければ抜けるほど、人はこれまでの自分の生き方を省みるようになります。
そして、改心していこうと心の底から誓うことができるのです。
我の力を抜いてもらえた心は、河が大海原へ向かっていくように、神(真理)に向かっていくようになります。
心は本来、神をさとるために人間に授けられた道具です。
ところが、我が強まると神性を忘れ心は物質的になります。
すると、あの人が嫌いこれはイヤ、あれを持っていないと自分の価値が下がるなど、物質的な考えに縛られるようになります。
これは、心本来の働きではないのです。
だから、あなたは辛いのです。
心が、大宇宙の法則に従った働きをしていないから辛くなるのです。
ヨーガを始めたら、まず、我の力を抜いていくように進めて下さい。
心を改めようと思う境地に至るまで。
老若男女問わず人類みな、泣くことが必要ではないでしょうか?
人間本来の生き方をしていないから、みな本当は辛いのかもしれません。
「人に優しくしてなかった」そう気づくだけで、優しくしてこなかった人達を思い出し嗚咽になると思います。
なぜなら、それは本来のあなたの生き方ではないのですもの。
人間の本質は魂です。
みながお互いの本当の姿に気づくことができれば、許し合え生き方を改めていくことができるでしょう。
そんな地球に、いつか戻っていくのですね。きっと。
まずは、我をゆるめ楽になって泣いて下さい。
「泣いていいですか?」
神様が微笑んでいますよ。
我の力を抜きましょうって。