霊性を高める真のヨーガ入門





人間が霊性を向上させていく時は、心の落ち着きと安定がそなわっている状態のもとで行われます。


ヨーガが先ず、正しい心の姿勢を身につけることを目的としているのは、そうした理由があるためです。


人間は、心の安定が得られたときに初めて、真の自己を自覚できます。

真の自己と出会う方法は、ヨーガの真髄である瞑想です。




人間の心は、安定していない時は常にとりとめもない思いや感情でいっぱいの状態です。


不安定な状態では、大いなる存在の意味を知的にも理解できないばかりでなく、自覚することすらできないとされているのです。


心を安定させるはずのヨーガが逆効果にならないように、ヨーガの概念と体系を理解して行うことが大切です。


ヨーガのアーサナは、肉体的生理機能だけではなく、内面の深い部分に繊細に影響を与えていきます。


心と体がともに健康であることが、ヨーガの目的である完全な健康です。


単に肉体が病気になっていないだけではなく、抵抗力と免疫力をそなえ、変化に対応できる受容力があり、喜びと活気で満たされている状態を意味します。


このような状態を、現代人は外から与え過ぎているために、人間が持っている内面の活力を自覚する体験ができがたいのです。


とくに日本は、癒し産業が発達しすぎて、世間の関心は癒すことばかりに偏りすぎています。


この現象は、人間本来の力を徐々に失い、自分自身の脚で立つ機会を奪わせ、虚弱化させる原因です。


人々は、いっそうの癒しを求めることで、本来の抵抗力や心の活力を次第に失っていく裏面にも、目を向ける必要があります。


自分を守り、力を得るための様々なグッズや健康食品、サプリメント、代替療法、占いにまで発展するなど、外的な方法に頼らざるをえなくなってしまいます。


外から五官に刺激を与え、心を喜ばせたり活力を得てばかりでは、人間は無気力で怠惰になってしまう一方です。



ヨーガでは、スティヤーナ(無気力)とアーラスヤ(怠惰)は障害であると考えられています。


現代人に見られる症状ではないでしょうか?


これは、心身の不健康、不調和のサインであり、真剣に考える必要があります。


なぜなら、人生の逆境に出会うことを学習していないために、不意打ちを受けて初めて、自分に体力や気力、生きる智慧がないことに気づく状態が少なくないからです。


元気なうちに、適切に自分を鍛えておき、人生の意義や生き方を哲学や宗教から学んでおけば、こうはならなかったのにという状態まで落ち込んでしまう方が大勢います。


この現象は、人生に対する準備ができていないようにも見受けられます。


こうしたことからも、日本社会に鬱病が増加した理由が考えられないでしょうか?


このことから考察できることは、人間は本来の適応力や気づく能力を自覚の上にそなえ、環境の変化に対処できるように訓練する必要があるということです。



そもそもの原因は、現代人が自動的、無意識になりすぎてしまったことです。


この暗性の意識状態への対処法となるのが、自動化から意識化へと人間の意識をうながしていくヨーガです。


ヨーガは、アーサナにかぎらずプラーナーヤーマや他の行法も含め、全実習を通して意識化ということに重点をおかれています。


この意識化という行為には、高度な集中力と感受力を要します。


ところが、情報社会、IT社会に生きる現代人は、常に外の情報に反応し、ネット依存になって心が常に外に向かっているために、集中力が欠如していくばかりなのです。


つまり、心の安定を保っていられない状態になってしまっているということです。


こうした心の状態が、瞑想をむずかしいと感じさせる理由でもあります。



常に動いている方が安心感を得られる、という方は少なくありません。


ですから、プラーナーヤーマや瞑想といった動きがないものより、動きのあるポーズに人気が集まることも理解できるかもしれません。



ここで気をつけたいのが、ヨーガの激しいポーズをやり続けた場合です。


肉体に過度な刺激を与え続けると、動性を活発にしていきます。


動性が優位になると、活動的になります。


感受性も鋭くなり、元気になったように感じて良いのですが、過度な感受性は精神的不安定を生み出す原因になるとヨーガでは言われています。


これは、古来のヨギたちを、多くの危険へと引きづり込んでいった過度な感受性の高まりと似ています。


古代のハタヨーガは、苦行に近いものもあり、激しい肉体修行の結果、感受性が偏って高められ、短気になったり、怒りっぽくなったり、無性に食欲がわいたり、性欲が抑えられなくなったりしたという話があります。


こうした側面が含まれていることも考慮した上でヨーガを実践しないとならないことは、現代人の私たちにも同じことが言えます。


無意識に体に無理をしたポーズを行っていると、初めは辛くてもいつしかその辛さが自動化され、やがて習慣の一つになっていきます。


人間には、行為を自動化させる脳の働きがあるからです。


こうした自動化が行われるおかげで、人間は日常生活に必要なことを憶えて、生活していけるようになるのです。


ところが、この自動化があるがために、ヨーガには困った側面も出てきます。


ヨーガを始めたての頃は、誰もが新しい取り組みに、自分が変わっていくように感じ、喜びや達成感を味わいます。


ところが、あの時は新鮮に感じたポーズや深呼吸も、やがて自動化される時がきます。


すると、マンネリを感じたり、ヨーガの実習自体が停滞したように感じ始めてしまうのです。


すると、効果がなくなったのではないかと思い込み、もっとストイックにやろうとするか、あるいは飽きてやめてしまうといったケースもあります。


これは、ヨーガを始めて初期の頃は、誰にでも起こり得ることです。



ヨーガは、こうした過程も全て見据えた上の魂の成長の道です。



このような事態に陥らないためにも、自動化から意識化へと自分をうながしていく訓練が必要なのです。




意識化の訓練は、注意することから始められます。


自分の動きに注意している訓練を、様々な方法で行っていきます。


注意して行うと、人間が持つ考える脳と言われる部分の大脳新皮質がよく働きます。 


新しい動きには、慎重になり注意力がよく働きます。この時、意識化の能力が開発されていくのです。


この訓練には、鋭く繊細な感受性を養うことも含まれています。



意識化の訓練は、現代人が怠惰や無気力といった暗性が優位になり、自動的で無意識になってしまっている状態から抜け出させてくれる光となるはずです。

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