真のヨーガ修行は愛





いつもこの時期になると、ふと思い出すことがあります。


私が初めてインドのリシケシを訪れた日のことです。


二度目の二十歳を迎えた2月6日でした。


冷たい雨が降っていました。



インドなど全く興味がなかった私ですが、インドへ行くというたった一瞬の閃きが、3ヶ月後のお正月には南インドへ私を連れて行きました。


それから何度か足を運ぶようになり、ついには日本の仕事をやめてインドで暮らすまでに至りました。


インドで生きて、さぞかし立派な師について、ヨーガ修行をしたことだろうと思われるかもしれません。


ですが、私には他人に語れるようなヨーガ修行も、有名な師に師事した経験もありません。


アシュラムも、1ヶ月滞在しましたが、興味はありませんでした。


異端児みたいですね。



地上で生きる人間の魂は、人間という境遇を生きることを通して霊核を向上させるため、地上に一時期滞在します。


アシュラムの決まり切ったカリキュラムをこなすことではなく、地上に滞在する間、この境遇と予期せぬ出来事を生き抜くことこそが、アシュラムだと思うようになりました。


人生を、真理を学ぶ師として理解してみると、真理が出来事になって顕われている霊的な成長の場です。


地上の人生こそが、まさにヨーガアシュラムなのです。



人生にふりかかる出来事を、感情で観ず深く洞察すること。


するとそこには、言葉で語らぬ存在の教えが織り込まれています。


病気になった時や家族を亡くした時、お金を失った、裏切られた騙された、などの人間社会にとっての不運ほど、魂にとっては最高の師です。


なぜなら、不幸と言われる出来事こそが、魂の力を引き出す打撃となっているからです。



自然の摂理は人間を制するために働き、苦しみの時こそカルマの埋め合わせが為されていることが観えてくると、どんな苦悩であってもこの心は甘受の境地に至ります。


打撃を通してこの傲慢の角が一つとれると、代わりに謙虚さや魂の力が出てきます。


そうした変容の過程を経たことにより成長した魂は、その霊核に適した真理に出会っていくようになっているのです。


「哲学の入り口は、苦しみでなければならない」という一節があります。


ここに、人間が地上で真理に出会っていく道すじが説かれています。




霊的深化のヨーガに取り組む時は、師の存在は重要であると説かれています。


ですが、必ずしも肉体を持った存在ではなくてもよいと言われています。


ただし、様々な階層の次元がありますから、自己責任のもとで望むことが大切です。


その場合、人間側に必要なことは、あなたより高い霊核の存在に指導を仰ぐための感受力の訓練と努力、心を清めることです。


ヨーガは、自分を洗い清めながら感受力を高めていく霊的な修行です。


霊の世界は、物質世界の地上よりも上の世界になります。


下から上を目指して参る修行ですから、入会金と引き換えに入ろうなどとせず、礼儀と謙虚さ、真摯さをともなって参りましょう。



自己を洗い清めるために最も適した修行は、カルマヨーガ、奉仕のヨーガです。


自己犠牲の精神をもって、同胞のために尽くすことだと教えられています。


自己犠牲は、人間社会では乏しくみられますが、霊の世界では美徳となります。


霊核が高い存在であればあるほど、自己犠牲で人類に奉仕していらっしゃいます。


人間には利己的な想いがあるため、自己犠牲が美徳であるとは、理解しがたい精神だと思います。




~人間が低い世界からその上の世界へ移る中間の状態である人々は、真実に対するより深い理解を求め、そのためにお互いの助け合いが必要となる。

こうして、救い(解脱)に至るための最も重要な要素である愛が心に芽生えてくる。~



これは、聖なる科学に書かれてあるヨーガの過程の一文です。


解脱に至るための最も重要な要素は、と説かれていますね。


このことからも、ヨーガの大師シバナンダジが、「瞑想にふけっている暇があったらカルマヨーガをしなさい」と言われていた理由がわかります。


ポーズは、魂の器である肉体を整えることができますが、利己的な動機であっては、ポーズをやっても愛は育ちません。


より、利己的になっていくだけです。



誰かのために慈しみの想いを抱き、自分の愛を惜しみなく明け渡す何かをした方が、ポーズで筋肉を伸ばしているより自分の中の愛は拡大していきます。



利己的な目的で解脱を目指したり、超能力を開発するなどといった動機からヨーガを行わないように、自分の心の内をよく調べてからお始め下さい。


動機が不純であれば、自然の摂理が働いて道が閉ざされていくようになっているからです。


ヨーガは、自他愛の修行です。


利己的な想いが強い人間にとって、これは易しい修行ではありません。



ですから、愛を育てるきちんとした動機と心構えをもって、準備してから参りましょう。


謙虚さがあるところには、必ず道が開けるようになっているからです。




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