人生こそがヨーガの師





日本は豊かな国です。


それを知る機会になったのは、インドで生きたあの日々でした。


冷暖房完備もなく、電化製品にも囲まていない。自然はありのままに、虫は虫のままに。


何もかもが共存であったあの日々が、それまで日本で生きてきた生ぬるい私の意識を変えました。




2010年、1年間の期限付きのヨーガvisaを、インド大使館から特別なはからいで頂き渡印しました。


当時の私は、日本には帰って来ないつもりで片道航空券を買いました。



一番大きな真紅のスーツケースに、それでも収まりきらなかった荷物を他にも持って、2月6日の私の誕生日に日本を発ちました。


私の部屋は整理整頓され、洋服も全て売り払い、誰かに明け渡せる状態にして行ったのです。


かつては大家族であった大きな家に、年老いた母と猫2匹、ピアノを残して。


大袈裟ですが、それほどの覚悟でした。


何に対する覚悟?


ヨーガに自分をささげる覚悟です。



ヨーガの人類救済のはからいの為に、必要であればこの私の肉体をこの声を、この女の人生を使って下さい。


なぜなら、私はあなたのもの。


大沙汰に聞こえるかもしれませんが、私には呼吸と同じくらい自然な想いなのです。




さて、現代のヨーガを学ぶ手段は、ヨーガスタジオやヨーガ教室、アシュラムと言われる道場がはじめに考えつくでしょうか?



他に、ワークショップや大きな団体から学ぶ、インストラクター養成講座、資格取得、リトリートなど様々に選択肢があります。


様々な選択肢⁈


たった、これだけで?という声が聞こえてきそうです。



確かにそうかもしれません。ヨーガという無限の知識の選択肢が、上記の限りでは。


私は、その選択肢の限りを超えたかった。その想いは、魂からの熱望とも表現できるものでした。


だからと言って、インドへわざわざ行く必要はないのです。


創始者の息は、この宇宙の全てにかかっているからです。




ヨーガをツールにして、先進国の日本人がこの先進化していくには、まず、インドでヨーガを学ぶという思い込みを、そろそろ取り払わないとなりません。


人生という様々な体験が織り込まれた宇宙にこそ、創始者が姿を変え、教えとして現れています。


そうでなければ、苦しみから学べるなんて、どうして受け入れられましょう?


学びは、人生に現れている現象を洞察することで得られます。



楽しい、苦しいといった感情から読むのではありません。すると、楽しいことだけを受け入れることしかできなくなってしまいます。


たいていは、楽しいといった感情とは反対の出来事に、魂を輝かせる秘密が潜んでいます。


そう言われても、人生という意義を知るまでは、人生に隠された真意を洞察することはできません。


ですから、人生の意義を知識として学んでおくと、いざという時に役立ちます。


学んでおくと、何か大きな転機など抱えた時、事の意味がわかるようになります。


それこそが、魂を輝かせる打撃となっいることがわかります。



それが、魂を目覚めさせるために必要であったと理解できた時、霊性が高められていくのです。


きちんと理由が解れば、受け入れることもできるようになります。



ですから、地上で人間が生きる意味を学んでおくのです。地上人生を生き抜くために、霊的知識を活かして下さい。




次に必要なのは、肉体に覆われ内在する力を、自覚する方法を得ることです。



その力を自覚するために、霊性を発達させていきます。


動機をきちんと持って、取り組みを行って下さい。



単に霊性を発達させたい、開発したいという想いは動機になりません。



現代のヨーガは、私利私欲に走りすぎています。



これが、現代人がヨーガを行っても霊性の発達までに至らない一つの理由です。



霊性の発達に志しを持たれる時は、何のためなのか、必ず動機を確認して下さい。



根底となる動機は、人のためになるものであることです。そして、その動機に誠実さがあるかどうかも見極めて下さい。



ヨーガは、利己的な欲で行うものではないからです。利己的な欲を満足させるように、ヨーガを教えてもならないのです。




ヨーガがファッション感覚になっている現代に生きる私たちは、このことを心に留めておかなければなりませんね。





このブログの人気の投稿

オープンクラスのお知らせ

ヨガインストラクターに欠かせない指導技術

ヨーガ・スートラ受講者Sさんのご感想