学ぶ前に心の準備




インドへ行かれる方から、よく頂くご質問があります。

「(ヨーガの)良い先生がいたら教えて下さい」


一見、前向きな質問に見えます。ですが、こうしたご質問をする方にかぎり、心の準備ができていない方が多いように見受けられます。


心の準備とは、受け入れる準備です。

学ぶことは、これまでの誤認を正知していくこと、新しい知識に出会っていく体験です。

とくに人間は、人生の意味を深く洞察していくために、生涯にわたり経験していくことになります。



ところが、こうした貴重な学びを、無にしてしまうことがあります。

それは、解らない者同士が繰り広げる議論です。


ヨーガ哲学や霊的な知識には、物質世界で生きる人間には、理解の範囲を超える内容が多くあります。

頭が悪いから理解できないのではないのです。

五感で感じ、言葉からその不可視の世界を知り、それを脳で理解するには限界を超えた内容だから、理解できないだけです。


人間には、どうしても知り得ないことがあります。

肉体という鈍重な波動をまとっているため、精妙なものは感知できない範囲があるのです。


人間には人間の領分があります。

分をわきまえて生きることを知ると、高慢という我が消極的になります。

目の前の現象から今の自分には何が大事なことで、何をしなければならないか、自分で見えてくるようになります。

すると、先走りすることも、的が外れた霊的修行に走ってしまうこともありません。

謙虚にこの道を歩む心の態度がそなわるからです。


そうした魂は、負の心に妨げられないだけに、善霊からの援助が受けやすくなります。




地上世界で知り得ないものは、人間は知らなくていいように、自然の摂理ではかられています。

ですから、地上世界に滞在する間に知っていくべきことを、学び知ることに目を向けることです。


その後のことは、肉体を脱いだ後の世界で知れるようになっています。

そこではそこの学びがあります。

そちらでまた学べるように、ここでしっかりと受け入れる準備をしていきましょう。


魂の成長は、地上での生活を終えた後も続くとされているからです。



「良い先生いますか?」


あなたに受け入れる心のご準備ができた時、先生は現れて下さいます。


求めよ、さらば見出さん。
叩けよ、さらば開かれん。


抗わない、議論しない。

疑わない、だけど盲信しない。

ただ受け入れよ。

自然と解るようになる。

それが霊的な成長の道。

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