ヨーガを人類救済に活かす聖なる仕事人





~物質的世界とヨーガの狭間で生きて~
ヨーガが世界中に知れ渡り、10数年が経ちました。私がスポーツクラブでヨーガのレッスンを初めて目にした時は、20代の頃。参加者はわずか2~3人で、スタジオ内が暗い印象でした。当時は、癒しという言葉も使われていませんでした。じっとしているその姿が、誰の目にも奇妙に映り、憧れどころか気味悪がられていたものです。

ところが今はどうでしょう。ハリウッド女優はヨーガインストラクター役を演じ、ヨーガの雑誌が出版され、おしゃれな世界に生まれ変わりました。ヨーガ産業も生み出され、ヨーガスタジオが続々とオープンしました。人々はこぞってヨーガインストラクターを目指し、インドにはヨーガ大臣まで誕生しました。

一頃は、インドビザ申請用紙の職業欄に、ヨーガ講師と書かないでくれと言われたほどです。ヨーガが盛んになったことで、本場インドに入国者が一気に増加してしまい、ヨーガ講師と書くと不正ではないかと疑われるからとまで言われ、この事態には驚きました。

そういう私は、この流れに存分に漬かっていたかというと、実はそうではないのです。どこか冷静な私がありました。フィーバーとも言えるこの流れを、客観的に冷静に眺めてみると、何かがおかしいと感じるのです。

ヨーガというこのフレーズの背景にある真髄から、現代のヨーガ事情を眺めると、何かがおかしいような、分裂しているような感覚を受けるのは・・・、私だけでしょうか?



10年程前、パワーヨーガ、ヴィンヤサヨーガと名のついたヨーガレッスンをアメリカで受けていた時、20代の頃同じ場所で受けていたエアロビクスの激しい呼吸による波動と変わらないものを感じました。

当時のエアロビクススタジオが、そのままヨーガスタジオに変わっただけで、そうした激しいヨーガにより、アメリカ人の特質と言われる攻撃的な側面が、より強化されているように見受けられました。「シャンティ~」とは唱えるものの、何かが違うと感じながら、L.A中のスタジオを巡りました。

認知度が低かったヨーガ。それが、世界中に認知されるまでの流れの中で生きて今思うことは、やはり変わりません。「何かが違う」 そして、変わったことは「やっぱり違った」と確信に至ったことです。

この確信に至るまで、私は様々な道のりから、このヨーガ事情を見るように仕組まれていたように思えてならないのです。ヨーガだけに限らず、あらゆるスピリチュアルと言われる世界、それに携わる人々、名声のある人々、ビジネスの世界。

何も知らない私が、そうした未知の世界を次から次に見せられたことは、既に知っているという偏見がなかったことが好転し、ありのままに見ることができました。よって、ありのままに見るわけですから、その中には虚偽もあります。これは、実際に体験してみないうちはわかりません。



~光と闇の道~
この物質世界は、物質それだけで成り立っているのではなく、霊性、精神、目には見えない力に支えられて成り立っています。そして、陰陽、プラスとマイナス、光と闇など二極の法則があります。この法則が働いていないところは、この宇宙どこにもないと言われている点から解釈すると、宇宙の一部であるこの地上に、それが働いていないわけがないのです。

ヨーガ、スピチュアルと言われる世界にも、もちろんその法則は働いています。ですから、一方からだけ見るのではなく、そうした二極の狭間から物事を体験しないと、何が本当でそうでないかは、全くわからないのです。ですから、良い体験ばかりではなく、その反対の体験も良い体験と同等にあるのです。

と、言葉で言うほどに簡単に受け流せることではありませんでした。実際に体験すると、良い面の時は良いのですが、その反対の体験には、痛みや辛さがともない、裏切りや失望と言ったことも当然にあります。

「地球の歩き方」という旅行ガイド本がありますね。私の場合は、こうした道を一心に歩んできて、「この道の歩み方」という指針が私の全身全霊に確立されたように思います。

このガイド本が魂に刻印されたことにより、私が変わったことといえば、ガイドもなく歩みをスタートしたあの時の「何かが違う・・・」という感覚が、確信となったことです。

何かが違ったのであれば、それを正せばよい。今はシンプルにそう思っています。

なぜ、5千年の智慧と言われるヨーガが、現代によみがえったのでしょうか?何でも人間の手に渡ればそうですが、人の手を介すほどに原形は変わっていきます。ですが、もしそれが神業であれば、人間によって変形しても、必ず原形によみがえります。そして、それ以上のものを人類にもたらすはずです。

ファッション化されたヨーガと原形のヨーガ。二極の法則という観点からみれば、一つの言葉に二つの概念が存在するのも理解できます。どちらもあってよいのです。問題は、どちらを選択するかです。


問題は、後者の原形の目的をそなえたヨーガを求めている方が、大勢いらっしゃることです。何が問題かというと、そうした方々の手に、届きにくい世の中になっていることです。ネットや本、雑誌でその世界を探し始めると思います。ですが、そこに紹介されていることが確かとは限りません。


~見据えて、どんな時でも~
ヨーガの概念が、今日では曖昧になってしまいました。そうした中では、求めていたものに出会うまでがすでに困難です。さらに、手にしたものが迷信と妄信をもたらすものになっています。ポーズができるようになって、ポーズで汗をかいてキレイになって、インドへ行って、ヨーガらしいライフスタイルやファッションに身をつつむ。特有の世界観が出来上がりました。これについていけない方も、大勢いるはずです。


世の中は、ヨーガ指導者の養成講座ばかりです。短期間で指導者の資格が取得でき、需要はお若い女性ばかりと狭く、人類にまで及んでいません。理性的に考えれば、こうしたことが精神世界のヨーガがもたらすかと考えれば、
何かおかしいと思いつつも、なおその世界にしがみつきます。

ヨーガと言葉にしつつも、その概念を的確に押さえて学んで下さっている方が、果たしてどれだけいるでしょうか?ヨーガが何だかわからず、迷いながら学び、学びが修了してもまだ悩み、迷いながらヨーガを普及している方は少なくありません。言葉を正せば、非常に多いと申し上げた方が的確です。


こうした現状になってしまった原因の一つは、世の中にヨーガの概念がきちんと表明されていないことです。とくに、先進国においては物質的意識が強いため、霊性の意識がそこに介入することは、厚い壁は防音作用が強いのと同じように、遮られます。


また、雑誌やダイエット、パワーヨーガ、ホットヨガ、癒しなどからヨーガを見始めたとすると、「これがヨーガだ」と固定された観念を外す作業は非常に困難です。ヨーガは、わけもわからずに信じるのではなく、確固とした知識の上に信念を持つことです。

ヨーガという真理の一翼が、こうして5千年の時を経て現代に戻ってきたのは、ダイエットやパワーヨーガ、ホットヨガのためだったのでしょうか?特殊な人のため、ほんの一握りの人のため?どこかの団体、協会のため?ヨーガの教室は増えたけれど、日本の年間自殺者数3万人という数は、いったい何だろうと思います。


「ヨーガは癒し」というキーワードから、それを求める人は大勢います。ですが、手にしたヨーガがエクササイズであったがために落胆し、期待が絶望になり、悲観に暮れている数知れない人々の姿が、目に浮かびませんか?


~目覚めよ、立ち上がれ~
これだけヨーガの認知度が世界規模で広がったのです。人間以外のもっと大きな意図が働いて、こうなったはずです。ヨーガは、スポーツクラブやヨーガスタジオ、ホットヨガで留めておくものではありません。この限られた商業施設を超えて、本当に必要としている方に手に届くように、立ち上がらなければならないと私は思っています。

そのためには、現存のヨーガインストラクターの意識を変えていかなければなりません。迷いながら学んだ先にあるものは、迷いです。迷う者が迷う者を救うことはできません。困っている人が困っている人を助けることもできません。まずは、あなたの迷いをはらうことです。それが、人のためにヨーガを教えていく有志ある者の努力と責任です。

ヨーガが現代によみがえった背景には、重大な目的があるはずなのです。すべての人間に宿る宇宙の力、魂の崇高な資質を、一人一人の人間に顕現させることです。それには、その一旦をになう志しのあるヨーガの普及者が必要なのです。神のはからいである人類救済の聖なる仕事に奉仕する「ホーリーワーカー」の存在です。


ホーリーワーカーは、ヨーガの健康指導法を核に、さらに一歩踏み込んで人類救済に奉仕します。ヨーガを学んでいくことは、宇宙の法則、真理を学ぶことです。真理は学ぶほどに、魂の資質が目覚めていく機縁になる力を包含しています。

よって、人々のために役に立ちたいという思いやりを、無理に思ってつくるのではなく、自然とこみあげるように、その人の人格上に魂から発揮され、顕現されるのです。これが、真理を知り、実践している何よりの証しです。


~聖なる仕事に仕える~
人類救済とは、物質的意識に過度に偏りすぎた人間の仕業、自然崩壊、動物虐待、幼児虐待などといった弱者に対する暴力、こうした霊性の欠陥に真理をもたらすのです。

人間として受け取るべき精神的成長、物理的な豊かさなどを手にできずにいる人々、悲観に暮れている方、死の恐怖に対面している方に、真理とともに手を差し伸べていきます。

その差し伸べる手となるものが、ヨーガです。一度に大勢の方に、というやり方では不可能です。この場合は、一人一人です。なぜなら、宇宙は一人一人の力で構成されているからです。一人が変わらなければ、大勢は変わらないのです。

自分の今生きている時間からこの作業を測ると、そんな一人一人なんて無理と根を上げることでしょう。効率悪いと。ですが、ひるんではなりません。この作業は、現代の私達が生まれる前から為されています。私達が去った後も続くのです。後世に道を敷かなければなりません。自分達の資格を取得して、終わっている場合ではないのです。

なぜなら、過度な物質的意識がもたらすものは、あらゆる崩壊だからです。これ以上、そうした事態を人間が起こさない様に、人生の背後にある法則、物質的な生活、精神的な生き方、霊性の生き方にある法則、それらを知り、畏敬の念を持って生きる生き方に変わっていくことが対策の一つです。

そして、人生の目的を果たすことです。人間は、生きながらにして、霊性を高めなければならない務めが全員にあるのです。それに気づかず、旅行や食べ歩き、趣味といった五感の楽しみばかりを追求していると、いつしか虚しさを感じる様になります。個人的な娯楽ばかりを追求するのが、人間本来の生き方ではないからです。

生まれてきた理由、内側に宿る本当の力と精神性、人間がこの世で為すべきこと、目指す本当の人間像、身につける知識、どこが地上での人間のゴールなのか、生きていくにはこうしたことに関する知識と理解が必要です。


~形式より、行動~
真理は、議論の対象になるものでも、説法や説教のためだけでもなく、実生活に応用させられなければ、本当の真理の意味はなくなります。

真理を知り、実践していくに連れ、自ら誤りを反省するようになります。自発的に不足を補い、これまでにしてしまった愚かさゆえの言動の数々を刈り取り、人のためになる生き方に変わっていきます。

今秋が始まろうとする頃、ある方とのご縁がありました。その方は、自然保護に携わる仕事に従事されていましたが、「自然保護の前にもっとやるべきことがある」と気づかれたと教えてくれました。それは、「まず人間の意識が変わらなければならない」のだと。その意志を、私は伏して受けとめました。なぜなら、その方の魂の使命だと観じたからです。

保護という裏面にある人間のエゴを垣間見たその経験が、「まずは人間から」という意識に到達させた縁となったのかもしれません。因はその方の中にすでにあり、その魂の想いを発現させる打撃となったのでしょう。目覚めはいつでも痛みをともなうものだと、その方のお話から我が身を振り返り思いました。

少しずつ samatwayog に、それぞれの「魂を発現させる打撃」のご体験を通過して、志し高くヨーガを普及する道を選択された方々が集い始めています。(その中のお一人のブログ

私の役目は、物質的意識に偏り、人生に不調和をきたした人々を自然の摂理で啓発していくため、ヨーガの普及活を志す方々のガイドです。自然の摂理を携えて歩む「この道の歩み方」のガイドです。これをきちんと解読付きで読み、実践をうながし、資質を自らに鍛え上げ、人間性を高めながら、やるべきことを着々とこなし準備してからスタートすればよいのです。臆することはありません。道はすでに用意されています。

むずかしいのではないか、資格がないとできないのではないか、私にできるかなどと難しく考えることはありません。形式にこだわわる必要もないのです。真理は非常にシンプルです。ところが、人間はそれでは気が済まないので、むずかしい知的理解の哲学や聖典、資格といった形式や慣習を好むのです。

そのような事をしなくても、ただひらすらに魂の目覚めを第一に考えておけば、普及のための方法はいくらでもあるのです。目的は資格を取ることでしょうか?救済のための普及でしょうかか?何であるかを、ご自身がしっかりと見極めることが大切です。


ヨーガは別名、死の準備と言われます。人間は、この地上で為すべきことを成就したら、次の霊の世界へ行く準備が整ったことになります。ヨーガは、この準備を着々と行っていくように仕向けるのです。そして、時期に達した時、その方の肉体に働いている自然の摂理には、科学の力でも抗うことはできません。どんな名医であったとしても、自然の摂理の前では私たちは小さな存在なのです。

自然の摂理に無知なままでは、「なんでこうなったのか?」「どうして私ばかり」と恨みつらみ、解決できない悶々とした思いを抱えた人生になります。こうした思いは、地上だけのものと思い込んでいませんか?

死んだら、肉体は朽ち果てますが、想いはそのままです。その証拠に、亡くなった後に名声が挙がる芸術家や発明家、発見の数々が実際にありませんか?そう、想念は残るのです。ですから、生きているうちにヨーガで心のコントロールを訓練して、低い心にスキを与え、あなたの人格上に登り上がらない様にしなければなりません。ポーズばかりでは、肉体意識が強化され、心のコントロールは困難になります。


今この瞬間にもこの地上には、殺されていく動物たち、破壊されていく自然、人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めを必要としている幼子、一片の真理を必要として渇望している方が大勢います。


そうした人々の救いとなるために、一人一人の意識ね目覚めのためにヨーガを普及する者は、一刻を惜しんでヨーガを普及するために努力するのです。資格にとらわれないで、自分という器を鍛え上げること。真理を自分に携えること。それを持ち歩き、必要な人に渡していけるようになるまで、ヨーガを実践することにエネルギーを注いでいくのです。


ここまでお読み下さり、どうもありがとうございます。この文章をご覧下さった方で、内側から突き動かされる何かを感じられる方が、いらっしゃるでしょうか?今、そうした方々が少しずつ私のまわりに集まって来て下さっています。

私は、向かうべき方向もわからずにいる人々に、道を示し、ともに訓練し、支え、任務を遂行して頂けるように世に送り出す役目を担っています。あなたが私を見つけて下されば幸いです。

持って生まれた魂の仕事を成し遂げましょう。まだであれば、どうぞ着手して下さい。それを果たす準備をして下さい。時間はないのです。地上でまかせられた仕事を、しっかりこなしてこの世を去るのです。

「もっとやっておけばよかった」と後悔しないで下さい。あなたの存在を、この世に活かすことを考えてみませんか?私は、魂の仕事を成し遂げるお手伝いをさせて頂いています。あなたを導き守っていらっしゃる、目には見えないガイドの皆々様に、慎んでそのお役目を担わせて頂けるようお祈りいたします。













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